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あした、秘密の回廊で  作者: うえのきくの
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「それでね、ここねはそうくんがすきで、こうきくんはほのかちゃんがすきなの。でもほのかちゃんは、えいたせんせいみたいなおとなのおとこがタイプだし、そうくんはぼんやりしてるから、むずかしいのよ」

「……へえ、大変なんだ」

「そうよ。ひとのこころはコントロールできないものなの」

 瑛太の会話の相手は成田心音(ナリタココネ)。 瑛太が担当するわかばぐみ(年中、五歳児)の園児だ。 そして今は絶賛かくれんぼ中。

 ひまわり幼稚園の特徴のひとつに、園内がまるごと遊び場になっているというところがある。

 建物自体は古く、それこそ瑛太が通っていた頃からのものだが、改築を重ね現在の形になっている。 ぱっと見なんの変てつもない教室も端の方までいってみるとよくわかる。 収納に見える大人の腰ほどの壁。 その内側は子供が一人通れるくらいの通路になっているのだ。

 通路は教室同士を繋ぎ、廊下をわたりトイレや階段のそばまで走っている。 小さな出入り口から玄関を通らず外にも出られる。掃除と戸締まりが大変だが子供たちには人気だ。

 時々遊び疲れた子供が通路で眠っていることもある。 瑛太にはそれを回収するのも楽しい作業だ。

 二階から降りる階段の脇には秘密の通路から延びた滑り台が並走していて、子供たちは移動しながら遊園地気分も満喫できるのだ。

 瑛太と心音はその秘密の通路にぎゅうぎゅうにつまって鬼の目から逃れていた。

 本当に子供用の通路なので、そこそこに身長のある瑛太が身を隠すのは至難の技だ。 狭いところがあまり得意ではない瑛太はもしここに屋根があったら、心音の誘いを大人げなく断固拒否していただろう。


 会話に出てきた瀬戸ほのか、川原航希(カワハラコウキ)安達爽(アダチソウ)と心音は初日に瑛太を家族ごっこに誘った同じわかばぐみの子供たちだ。 ちなみにあの日の配役は、男・航希、女・ほのか、妻・心音、子供・爽である。 瑛太は言うまでもなく犬だ。

 現在の鬼、航希が瑛大たちの隠れた壁のそばまでやって来た。 瑛太と心音は息をつめる。 もうほとんどの子供が見つかっているはずだ。 さっきも爽の叫び声が聞こえていた。

「えいたせんせいはすきなひととかいないの? あやねせんせい、いま、かれしぼしゅうちゅうだっていってたよ」

「……いや、まだここの仕事に慣れてないし、絢音先生だって自分より稼ぎの少ない男じゃ困るだろう」

「そうね。ねんしゅうは、けっこんをきめるうえでおおきなもんだいよね。それだけでにんげんせいがはんだんされるとはもちろんおもわないけど、きめてのひとつにはなるわ」

 この話題を反らそうと思って言ったのにまともに返されて瑛大は少しへこんだ。 隣で心音はまだうんうんとうなずいている。 やっぱりへこむ。

 収入があろうとなかろうと、絢音は瑛太にとって恋愛対象ではない。 尊敬すべき先輩教諭であるということを除いても、瑛太の心は動かない。

 彼はゲイなのだ。

 自分が他の男と違うとはっきり感じたのは高校一年の時だった。

 初めてのバイト先で知り合った二十代後半の男性社員に好意を持った。

 それまでも女の子を好きになれない自分に違和感を感じてはいたが、回りにも好みがうるさいんだとか理想が高すぎるんだなどと言われ、心当たりはないがそうなのかもしれないと諦めていた。

 その矢先に出会った大人の男。 誰にでも優しくて、でも仕事には厳しく真面目だった。 自分より高い背や大きい手にときめいた。 彼に笑いかけられれば天にものぼる気持ちになり、彼から注意を受ければこの世の終わりかと思った。

 そして、ああ、自分は男を愛する人種なのだと、初めての恋の前に絶望した。

 それほどにいい男が女性にモテないわけはない。 瑛大がバイトに入って一年目の終わり、同じ社員のかわいい女の子と結婚してしまった。

 悲しかった。一人の部屋で泣いたりもした。 でも、それは最初からわかっていたことだ。 こんな思いが成就するわけがない。 彼は幸せになったのだ。 喜ばなくてはいけないのだ。

 だって彼に好かれなくたって、彼がくれた優しい気持ちや思いやり、仕事を教えてくれた一生懸命さが嘘だったわけではない。

 自分が彼を好きだという気持ちだけ、それを持てたことだけでいいのだ。 報われなくても構わない。 一人で、心のなかでいつまでも好きでいればいい。 それを誰がとがめられるだろう。


 そういうわけで絢音に限らず全ての女性が恋愛対象ではない瑛太は、昨日出会った廉の父、裕之のことを思い出していた。

 この園に来てから数日で今まで経験してこなかったことにたくさん遭遇したが、裕之の存在は圧倒的だった。

 まさに最終兵器。

 前日の大中小にも驚いたがさすがボスは迫力が違った。

 男として恵まれた体躯、うっとりするような声、まとう雰囲気。 黙って立っていたときは切れ味のいい刃物のような鋭さを感じた。 怖かった。

 それなのに廉に向ける視線はどこまでも優しい。

 あまりに違う世界の人過ぎて、恋愛感情など持てるわけもないがその存在はずっと静かに生きてきた瑛太に鮮烈な印象を植え付けた。

「それにさ」

「せんせい、しずかに!」

「はい」

 つい、心の声が漏れだして心音に怒られてしまった。

 それに、瑛太は思う。 あの秘書だという大塚という男。 廉の背中に手をかけた裕之の反対側で腕にすがり付くようにしなだれかかっていた。 秘書というには近すぎるのではないか。

 その答えは今日、絢音と嶋田歌穂が教えてくれた。 歌穂は年少組の副担任で教員一年目の新人だ。 しかしここでは瑛太の先輩に当たるので向こうは気さくに話しかけてくれるが瑛太は敬語を崩さない。


「できてんだよ、あの二人」

「ねー、絶対そうですよー」

「……えっと」

「だって、大塚さんっていっつも若頭にべったりだもん」

「そうそう。話しかけるときだって、ああっ、くちびるくっつく! ってとこまですりよっちゃって。あんなことする必要ないですよねー」

 やおら、絢音と歌穂が見つめ会った。

「裕之さん……」

「聖也」

 二人の教諭がガバッと抱き合う。

 ああ、大塚さんは聖也さんなんですね? じゃなくて……色々突っ込こみたいところはあるのだが。

 瑛太はとっ散らかった自分の頭を整理しつつ質問する。

「稲葉さん……廉くんのお父さんは若頭さんなんですか?」

「うん。えっと、今の会長……まあ、組長ね。その人の娘さんと結婚して婿養子になったの。奥さんは亡くなったんだけど今は組の今はナンバーツー。それまでも本当のご両親は子供の頃に亡くされて、遠縁にあたる稲葉家で育ったって聞いてるよ」

「うんうん。高校からは全寮制の学校に通って、結構いい大学も出してもらってるって」

 聞けば地方出身の瑛太でも知っている国立の経済大学だった。 それは、組長という人に対しての恩義は深いだろう。

「まあ、あんまり大きい組でもないし、物騒な事件もないけど。それでも事務所の前はいつも警察の車がいるよねー」

「そっちの人の方が怖いですよねー」

 二人で頷き合う。

 暴力団の若頭で、組長の娘婿で美しい男の恋人がいる男。 手が届く届かない以前に住んでいる星が違う。


 瑛太は幼い頃この幼稚園の近所に住んでいた。 そしてひまわり幼稚園に通っていた。

 卒園し小学校に通いだしてすぐ、父方の伯父が亡くなった。 父の実家は古くからある酒蔵で、祖父と伯父は二人でそこを切り盛りしていた。 父は兄の代わりにそこを継ぐことを決め一家揃って引っ越したのだ。

 瑛太はほとんど知らない土地に引っ越す不安を、ひまわり幼稚園の園長である都に訴え、とても励ましてもらった。

『寂しくなったら手紙をちょうだい。先生お返事書くから』

『まだあんまり、じはかけないよ』

『一生懸命お勉強して先生にお手紙かいてね?待ってるよ』

『……うん』

『どこにいても、先生、瑛太くんのこと応援してるよ』

 そう言って送り出してくれた。 中学生になっても高校生になっても、細々とした交流は続き、東京に戻り大学に入ってからは園にも時々顔を出した。

 この園に世話になることになったとき、瑛太は自分の性癖を都に打ち明けた。 後々問題になっては申し訳ないと考えたからだ。

 都は最初、不思議そうな顔をしていたがフッと笑って言った。

『そんなことで瑛太くんの価値が下がることはないわ。なんの問題もない。それともあなた、幼い男の子が好きな訳じゃないでしょう?それなら考えるけど……』

 瑛太はブルブルと頭を振った。 自らの欲求を満たすためにこの仕事を目指したと思われてはたまらない。

 瑛太の好みはあくまで歳上の自分よりたくましい男性なのだ。


 いくら瑛太がゲイでも、裕之の容姿が好みだとしても、やはりあり得ない。 住んでいる世界も違えば何より園児の父親だ。 思いを寄せることさえ間違っている。 目の保養はそれ以上でも以下でもない。

 自分はまず、目の前の仕事を、子供たちの安全と成長を見守らなければならないのだ。


「じゃあ、お友だちと二人一組で手を繋ぎましょう」

 朝の遊びの時間が終わってお遊戯の時間だ。

 最初は遊びのように慣れ親しませておいて半年煮詰めて冬の発表会の出し物になるらしい。

 年長組は年齢が上がるとすぐに鼓笛隊の練習を始める。

「あれ、廉くんはひとり?」

「うん、いつもなのよ。おとなしいし、子供たちもお家で色々言われてるみたいで……」

「そっか。じゃあ、絢音先生。僕が組んできます」

 瑛太はひとり壁にもたれてうつむいていた廉のそばに行き声をかける。

「廉くん、僕もひとりになっちゃったから一緒に踊ってくれる?それに、このお遊戯僕、初めてだから全然わからないんだ。教えてね?」

 廉は恐る恐る瑛太の顔を見た。 そして困ったように首をかしげると「うん」と消え入るような声で答え、瑛太の手を握った。

 さあ合流しようと、他の園児の輪に入ろうとすると、目の前にほのかが立ち塞がった。

「どうしたの、ほのかちゃん。お遊戯始まるよ?」

 瑛太が問いかけるとほのかは憮然とした顔でいい放った。

「せんせい、れんくんのおうちはやくざなんだから、なかよくしたらけいさつにつかまっちゃうんだよ?!」

「……え?」

「きんじょのおばちゃんがそういってたもん! えいたせんせいもけいむしょにつれていかれちゃうんだよ!」

 ほのかの手を繋いでいた心音が困った顔でほのかをもといた場所へつれていこうと必死になっている。 四人の回りには他の子供たちも集まってきて何が起こったかと見つめていた

 廉は瑛太の手を握りしめる手から力を抜いた。 するりと小さな手が逃げていく。

 ここで間違ったことを言ったら終わりだ。 瑛太はごくりと喉をならした。

 ほのかが言うことは決して間違ってはいない。 今の世の中、反社会勢力には厳しい。 祭りの縁日にそういった関係の業者を出入りさせたというだけで祭りの責任者側も処罰されるのだという。 長い間祭りを守り盛り上げてきたのは、そういったいわゆるテキヤといわれる人たちだっただろうに。

 でも、その事と廉は関係ない。 遠い将来彼が家業を継いだ時ならいざ知らず、いまはまだ幼児だ。 大人の都合で子供までが差別されていいわけがない。

「ちょっとみんな、座ろうか」

 教室の前の方で固まっていた絢音に目配せをして、瑛太はその場にしゃがみこんだ。

「廉くん、おいで?」

 うつむいたまま近寄ってきた廉を、あぐらの足の間に座らせた。 みんなも座りなよ、と目で合図をする。瑛太と廉の前に子供たちが座ったのを確認して、瑛太は口を開いた。

「昨日のニュースを見た人ー?」

 瑛太は手をあげて子供たちに答えを促す。

「みてなーい」

「ニュースなんてみないー」

「おとうさんがみてたから、みたー」

 様々な答えが帰ってくる。 瑛太はそれらを子供の顔を見ながら受けとる。

「そっか。じゃあね、昨日の一番大きいニュースの話をするね?神奈川を走っている電車の線路にいたずらをして、電車が脱線してしまいました。怪我人がたくさんでて亡くなったかたもいました」

「なくなるってなにー?」

「死んじゃうことだよ。みんなのおうちには死んじゃった人はいないかな?」

「おばあちゃんー」

「ひいおじいちゃんー」

「飼ってたペットでもいいよ?」

「チャッピー」

「うさまるー」

「ぴぴちゃん」

 このぐらいの子供たちでは死に直面している方が少ないだろう。 それでも家族として飼われていたペットの話になれば何人かの子供がその名前をあげた。

「死んじゃうって言うことはもう、会えなくなって遊んだりできなくなるっていうことです。そして、そのいたずらをした犯人は、中学生のお兄さんでした」

「えー?」

「ちゅうがくせいー?」

 子供たちは大きな声をあげた。 彼らと十歳は違わない少年が起こした事件に目を丸くして驚いている。

「去年、歩行者天国にわざと車で突っ込み、人を何人も轢いて怪我をさせたりしたのは僕と同じくらいの年の会社員でした。いま、ニュースになっている大きい事件を起こしているほとんどは僕たちと変わらない普通の人だよ。ヤクザって呼ばれる人たちは確かにいるけど、一般の人にひどいことをしたりはしないよ」

 それは善良な心からではないと何かで読んだことはある。 一般人を巻き込んで警察が出てきて騒ぎになれば、いたくない腹まで探られかねないから。 まあ、大抵の場合痛いのかもしれないが。

「だって、ピストルとかもってるんだよー。あぶないんだよー!?」

「僕が子供の頃住んでいた近所のおじさんは散弾銃持ってたよ?」

 散弾銃てこういうのね、とジェスチャーつきで説明する。 弾が一度にたくさん出るんだよ、とも。

 えーっ!?と子供たちは声をあげる。狩猟が趣味のおじさんはもちろん許可を得て猟銃を所持していた。 仕止めたキジやイノシシなどを見せてもらったことがあるが子供心にショックだった。


「悪い心はね、僕の中にもある。みんなの中にもある。ヤクザさんはね一番偉い人がみんなのことをしっかりまとめているから、勝手に悪いことは絶対にしないよ。だけど、さっきの電車のお兄ちゃんみたいに悪いことをしてニュースになるのは普通の人ばっかりだ。それなのに、廉くんを仲間はずれにするのかな。それは、悪いことじゃないの?」

「だって……」

「でも……」

 勢いを削がれた子供たちはうつむき、しゅんとなった。 瑛太はにっこり笑ってほのかの頭に手を乗せる。

「ほのかちゃんはいい子だね。色々心配してくれたんだろ? 僕が逮捕されたら廉くんが悲しい思いをするからでしょ。大丈夫だよ、たくさん仲良くしても逮捕なんかされない」

「……ほんとう?」

「本当だよ。僕と廉くんはもう仲良しだもん」

 ね?と廉の顔をのぞくと驚きで固まっていた。 そして、ゆっくりと顔が崩れたと思ったらくるりと体制を替え瑛太の胸にすがり付いて泣き出した。

「さあ、僕たちは廉くんが落ち着くまで座って見てるから、みんなはお遊戯に戻ろう? 僕もあとで踊らなきゃいけないんだから、ちゃんとお手本見せてよね?」

 はーい、と子供たちは教室の前の方へ駆けていった。 いつのまにか都も立っている。絢音が困って呼んで来たのかもしれない。 瑛太の顔を見てにっこり笑うと手を振って帰っていった。

 瑛太の前にほのかがしばらく立ち尽くしていた。 泣き出した廉が気になるのだろう。

「ほのかちゃんも大丈夫だから、みんなと踊っておいで?」

「……うん。廉くん、怒ってないかな?」

 思わず笑いたくなる衝動をやっとのところでこらえた。 さっきはあんなにおしゃまに正義感を振り回していたのに、今は泣いている友達がかわいそうだと手のひらを返したように言ってしまえる。

 気まずさとかプライドがまだ育っていないから、どこまでも素直だ。 瑛太は笑いを噛み殺しことさら優しい声で言った。

「廉くんはわかってると思うけど、ほのかちゃんは優しいから気になるよね。廉くんが落ち着いたらごめんなさいするといいよ。これからは仲良くしようね?」

「……」

 ほのかは無言で頷くと心音の手をひいてお遊戯の中に混ざっていった。




明日も23時頃お邪魔します。

おやすみなさいー。

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