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あした、秘密の回廊で  作者: うえのきくの
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「二年間、あっという間だった。親父や澄子さんを支えて、その間統率のとれなくなった組を必死で建て直そうとした。新しく入ってきたやつらに、一時家事を教えていたのは俺なんですよ……廉はどんどん大きくなるし、そんな状態だからとてシノギも免除される訳じゃない。悲しいなんて、思わなかった」

「……」

 そんなわけないのに、そうならざるを得なかった。 最愛の相手を、失う悲しさ。 それは、経験したものにしか理解できない。

 瑛太も、迂闊に「わかります」などと言える図々しさは持ち合わせていなかった。

「前にも話しましたよね。子供の頃のこと。俺の両親は事故で死んだと言ったと思います」

「そう、うかがいました」

「本当は自殺だったんです。俺は、その場にいた」

「……」


 両親が金で困っていたのは薄々感じていた。

 父親が友人の保証人になっただとか、今なら毎日でも耳にするような会話を二人が話していたのをうっすらと覚えている。

 家に人相の悪い男たちが訪ねてくるようになれば、暮らしが崩壊するのはあっという間だった。

 なぜ、二人が自己破産に踏みきらなかったは今でもわからない。 今なら自殺による借金の返済は認められていないが、金利もめちゃくちゃだったあの頃のことだ。 違法な業者と取引があったなら草も生えないほど搾り取られたことだろう。


 最後に母は「裕之も一緒に来る?」と聞いた。

 裕之は、一緒にいたいと思った。絶対に離れたくないと思っていた。

 ところが、その時、彼は首を横に振ったのだ。

 あとから何度考えても、なぜ自分がそうしたのかはわからない。

 その答えを聞くと両親は、おじさんが迎えに来るからここに隠れていなさい、と言って押し入れに裕之を入れ、ふすまを閉めた。


「親父の会社の人が二人を鴨居から下ろすのも、葬式を出してくれたのも夢の中のことみたいだ。それからしばらくして、借金取りのやつらが書類やなんや持っていった。でも、母親が言ってた迎えはいつまでも来なかった」

「お母さんは、誰が来ると思っていたんでしょう?」

「俺はどうしていいかわからなくて、学校にも行けなかったから、そっちから児相に連絡がいくことは想像してたかもしれませんね」

 自分が助けてあげられたらよかったのに。胸が押し潰されそうに痛む。 瑛太は思ったが、恐らくその頃は自分は小学校低学年だ。 出会っていたとしてもなにもできず、彼を見失っていただろう。

「でも、見えたのは稲葉の組長さんだった」

「ええ。あの頃悲しかったこともあいまいだし、学生の頃遠巻きにされていたことも、みのり……妻が死んだこともよく覚えていないんです。もうずっと過ぎ去ったことはカーテンで隔てた向こうにあるみたいに、自分とは切り離されたものみたいに感じてた。それなのに」

 裕之は急に言葉を切った。 なにかと思って前を見ると信号が赤だった。 必死に話を追っていたらすっかり町中に出てきていたようだ。

 視線を裕之にもどすと彼はハンドルに腕をかけ、瑛太の方を見ていた。

「……稲葉さん?」

「先生に会ったとき、全部思い出した」


 両親が死んだとき、住み慣れた町を離れるとき。 日々起こる細かい悲しみや寂しさ。

 そんなことを毎日圧し殺して生きてきた。カーテンの向こうに押しやっていたのは裕之本人だった。

 みのりが死んで、葬式を出し、小さい廉が塞ぎこんでいくのをどうすることもできなかった。

 瑛太があの日、廉の隣でシャツに袖を通しているのを見た。 大袈裟なほどわが子を誉めちぎっていた。その横で廉が、弾けるような笑顔を見せたとき。

 今まで閉じていたカーテンが切って落とされ、過ぎた思い出が一気になだれ込んできた。

 悲しかった少年時代の自分を、妻の死を、やっと自分のこととして受け止められた。

 その事に気づいたら彼の、瑛太のそばで、今まで起こったことのひとつひとつを話してみたくなった。

 今、廉がそうされているように、彼の全力で誉めてもらいたかった。

 辛かったね、偉かったね、と。


「結局、どんなに偉ぶってみても、情けない男だって言うことを認めてしまったら、なんだか楽になったんですよ。若頭だのなんだの持ち上げられたって、組のやつらがいないとなにもできない。廉や先生に何かあれば、普通の男みたいに取り乱してしまう。それでも……」

 信号が青になり、車は静かに走り出す。 大塚ほどではないが裕之の運転もとても上手い。

 それなのに瑛太はスピードを上げ続ける改造車にでも乗ったように、心臓が走っていた。

 そういえばさっき、大塚からとんでもないことを聞いたんだった。


『本当に嫌になるほど鈍感ですね?稲葉はあなたを愛しているんですよ』


「……」

「俺は先生が好きです。できれば……先生が不安に思っていることを乗り越えて一緒にいてほしいと思っています」

「……ぁ……」

「返事は急ぎません。俺はたぶんもう他に誰かを好きになったりしない。ずっと待っていますから」

 車は瑛太たちの住む市に入った。見慣れた町を横目に瑛太は固まっている。

 好きだと言われた。

 そばにいてほしいと言われた。

 言われて初めて、自分がどんなにその言葉に飢えていたかを知った。

 ずっとずっと、愛されたかった。 自分だけを見てくれる人に。 そして自分もその人を好きで、なんでもない生活がただキラキラと輝く。

「……」

 車はある建物の駐車場に入った。

「山田医院……」

「先生もこの間会われましたよね? 俺の知り合いで医者の」

「ああ、山田先生!」

 何となくヤクザの事務所と関わりのある病院というイメージから、かなり寂れたものを想像していたのだが、なかなかどうして立派な施設だった。

「あいつ意外と優秀らしいですよ。人当たりもいいし。とりあえず背中の傷、見てもらってください。何かあってはいけない。あと、眠っていたって眠らされていたって言うことですよね。聖也のことだから心配はしていませんが、一応検査してもらいましょう」

「あ、はい。そうだ、僕ってどうなったことになっているんですか? 警察に連絡とかしないと……」

「たぶん、聖也がしていると思います。恐らく、こちらで送っていきますとか、馬場刑事に」

「ああ、なるほど」

 病院の裏手の緊急入り口に車をつけると、中から山田が飛び出してきた。

「瑛太先生! 怪我したって、大丈夫なの?」

「はい、少し痛むくらいです」

「早く見せて。稲葉は? 付き添ってくれるんだろ」

「すまない。後処理ですぐ戻る」

「なんだって? 薄情だなー。とにかく、瑛太先生こちらにどうぞ」

「はい……」

 別れがたい気持ちを見透かされただろうか。 裕之は不意に瑛太の髪に手を伸ばした。

 せっかく初めて触られるのに、今日は砂ぼこりにまみれている。 髪も、顔もさっきの倉庫できっとえらいことになっているだろう。 唯一自分で確認できる白いトレーナーが物語っている。

 それでもそんなことはお構いなしに、裕之は地肌から毛先に指を滑らせる。

「この髪にも触ってみたかった」

 そんなことを言って微笑む。

「はいはい、そういうことはあとにして。瑛太先生、行きますよ!」

 山田に肩を抱えられ建物の方へ促された瑛太は

「あのっ」

 勢いあまって裕之を呼び止めてしまった。上半身を捻ってこちらを向いた彼が、素の顔でこちらを見ている。

 ああっ、その顔もカッコいい! うなじから背中のラインもいい……じゃなくてっ!

「明日……明日もしお時間があったら……僕を探してくださいっ!」

 え、と裕之も山田もキョトンとしている。 瑛太も急に何を言ってしまったんだろうと挙動不審になってしまう。

「どこで?」

 我にかえった裕之が面白そうに笑って聞く。

「えっ……と、幼稚園で。それまで、さっきのこと考えておきます。稲葉さんが探してくれたら、僕の思っていることをお話しします」

「っふ……かくれんぼですね。わかりました。必ず探し出しますよ」

 軽く手を振ると、裕之は車で去っていった。 瑛太はボゥっとした顔で見送っていたが、山田がとんでもないことを言うので目が覚めた。

「そのようすだと、あれ? 愛を打ち明けられちゃったりした?」

「はあっ?! ななななんでそんなことっ!」

「えー、だって稲葉、相当浮かれてたもん。それであんなやらしくさわってたら、わかるってー」

「やっ!やらしくなんてっ……」

 でもちょっとゾクゾクした。 もう一分ぐらい触られていたら、のっぴきならないことになったかもしれない。

 病院の前で、しかも怪我人のくせに何やってんだという話だ。

 瑛太はそのまま病院内に連れていかれて、隅々まで検査されたのだった。



 夕べはかなり遅くなってしまったが都と馬場には連絡をいれた。

 都は急にいなくなった瑛太をとても心配していた。 ちゃんと裕之が病院につれていってくれたことと、背中の傷も大したことないことを話すとほっとしていた様だった。

 ただし、幼稚園から支給されたトレーナーはダメになってしまったので、新しいものをお願いしたい旨を伝えると、そんなこと気にしているんじゃない! と怒られた。

 都にはそう言ったが背中の傷は思ったよりも深かった。 縫うほどではないが、お互い歩きながらナイフが当たっていたので、すっぱり切れたよりも治りが遅いらしい。 傷も残るだろうと言われている。

 廉は、様子見で一泊入院したそうだ。 怪我はないがずいぶん怖い想いをして興奮しているので、安静のためだという。 すぐに澄子も駆けつけ、本人も安心していたようだ。

 今後のことは、おいおい話していきましょうと言われ、こうなったら都も幼稚園に瑛太をおいてはおけないだろうと、覚悟した。

 それでも、園児たち、同僚たちが無事だったことは不幸中の幸いだと喜ぶべきだ。


 馬場に電話したのは、取り調べのようすが知りたかったというのもある。

 とりあえず、急にいなくなったことを詫びた。 でも、誘拐されたことについて話していいのかよくわからなかったので、裕之に病院につれてきてもらった、とだけ言っておいた。

 詳しい取り調べは明日以降になるらしいが佐野おおむね協力的だと言っていた。

 瑛太が渡したiphoneに二人の会話が丸々入っていたので嘘もつけない。 瑛太に話した通り、翔真と菜奈美殺害は自供した。 そして、瑛太に対してのストーキング、馬場に怪我をさせたことも、菜奈美と共謀してしたことだとしゃべった。

 しかし、園児の列に車で突っ込んだこと、廉の誘拐未遂はやはり否定した。

 これからまだ調べるが、これだけ素直に取り調べに応じているのに、その二件について嘘をつくことも考えにくいと警察内でも意見が別れているらしい。



「……」

 瑛太はいつもの秘密の通路で、膝を抱え頭をかしげ見つけられるのを待っていた。


 幼稚園は朝から昨日の事件について警察の現場検証が入って、関係者以外立ち入り禁止になっていた。 瑛太も他の職員と一緒に調書をとられた。 また明日警察署に出向かなくてはならない。

 二年前の事件のことを思うと怖くてしかたがないが、佐野が犯人だとはっきりしたのだ。 堂々と行ってやると開き直ったような気持ちだった。


 午後にはそれらも終わり、少しだけ考えたいことがある、と都から鍵を借り誰もいないホールで身を潜めていた。

 思えばここに赴任してからおどろくことばかりだ。 元気な子供たちに振り回され、わらって、怒って、一緒に成長してきた。

 そして、出会うはずのない人に会った。

 人から逃げて、ひっそりと生きていた瑛太を、裕之は見つけ出してくれた。 たいして良いところもない自分を好きになってくれた。

「でも……」

 やっぱり、これ以上裕之に近づいてはいけないと思う。

 保護者と教員、男同士、暴力団員と幼稚園職員。 どう考えても、必要以上に親しくなってはいけない。

 昨日一晩、夢を見られた。

 裕之と付き合える自分。 いつも、彼と廉のそばにいて、家族のように世話を焼ける自分。 これまで通り、大中小の漫談に笑える自分。

 どれも叶いそうだけれど、なにかひとつが壊れたらなにも手の中には残らない。

 一晩の夢だけで充分だ。

「……どう考えても無理だよ」

 いっそのこと探し出してもらえない方がいいかもしれない。 そうしたら瑛太も決定的なことを言わなくて済む。

 このまま、宙ぶらりんのまま、夢を見続けていたっていいんじゃないか。


「見つけた」

「……稲葉さん」

 回廊と部屋を分ける壁から、裕之が瑛太を見下ろしている。 今日も隙のないスーツ姿だ。 足元は見えないけれどいつものスリッパなのだろう。

「見つかったのに、笑いましたね?」

「笑ってますか?」

「はい」

 嬉しいんだ。 見つけてもらえてすごく嬉しい。

 でも、やっぱりこんなのはおかしい。 見つかってしまったのだから、ここできっぱりと言わなくてはいけない。

「あの、稲葉さん。やっぱり僕、いいお返事はできません。まえに、大塚さんにも話したからご存じかもしれませんが……」

「その時、大塚はなんと言っていましたか?特に、最後の心配に対して」

「……」


『少し長い目で見ていていただきたいんです。今、私の口から申し上げることは出来ないのですが』


 そういえば、あれはどういう意味だったのだろう。

 なにか言葉を絞り出そうとした口のかたちのまま、瑛太は裕之を見上げる。

 下げた頭のせいで少し影になった顔まで、凛々しく見えるのは贔屓目だろうか。

「私は……稲葉をやめてもいいと思っています。もちろん今すぐにではないですが」

「そ、そんなっ……」

 瑛太は思わず立ち上がる。 そんな大きな決断を自分のことがきっかけで決めてしまうなんて。

 突然の宣言に慌てた瑛太をなだめるように裕之は言う。

「先生が責任を感じることではありません。もう、ずっと前から決めていたことです。ただ、まだ私にはやり残したことがある。それを終えたら、もうなんの心残りもなくやめることができる。それまで、もし先生がよかったら待っていてはもらえないでしょうか」

「あ、の……」

 本当にいいのだろうか。 この人の気持ちを受け取って。

 誰も傷つけたりしないだろうか。 迷惑になったりしないだろうか。

「……」

「返事は、今でなくてもいい。ただ……ひとつだけ教えてほしい。今、俺を好きな気持ちはある?」

 ああ、また俺、って言った。

 きっと今、自分を覆う鎧を全部はずして、彼個人として向き合ってくれている。

 どうしよう、また好きになってしまう。

「……先生?」

 瑛太は、もう自分の気持ちにも抗えなかった。 泣き出したいほど切なくて、駆け出したいほど気持ちが急く。 この人がどういう人かなんてもうどうでもいい。


「好きです……稲葉さんのこと、大好きです」

 好きで、好きで、なにと引き換えにしても欲しい。

 恋がこんなに恐ろしいものだなんて、知らなかった。

「……ありがとう」

 裕之が笑った。 子供みたいな笑顔だった。

 きっと初めてこの町に来た日、涙が枯れるほど泣いた幼い裕之も、組長とみのりにこんな笑顔を見せたのではないか。

 長い腕が延びてきて裕之は瑛太を抱き締めた。

 肌触りのいいジャケットの生地、自分とは違うスパイシーな香り。

 なにもかも慣れ親しんだものとは違うのに、こんなに落ち着いて安らげる。


 明日の自分がどうなるかなんて、きっと誰にもわからない。 目に前にはたくさんのドアがあって、どれもが違う道に繋がっている。

 彼に出会うまで、どうか誰にも見つからないで、命が終わるその時までは静かに生きていたいと思っていた。

 背中の腕がさっきより少しきつく瑛太に絡む。 思わず熱い息を吐き出してしまう。

 このままずっと裕之が望んでくれるなら、この腕の中で一緒に冒険をしてみたい。 子供たちが園庭の隅や近所の大学の広場で見つけるそれとは訳が違うかもしれないけれど。

 二人で、廉も一緒に。 どこまでも行けたら。

 瑛太は強く抱き締められた腕をむずむずと動かして、自分もしっかり彼の背中に腕を回した。

 どんな冒険が待っていようと、決して振り落とされないように。





明日で最終回です。

お付き合いいただきありがとうございます。

また明日お会いできますように!

うえの


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