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あした、秘密の回廊で  作者: うえのきくの
20/23

20

 

 外に出るともうすっかり夜の中だった。

 瑛太たちがいた建物は、ごみ回収業者の施設のひとつだったようだ。 錆びたトタンのような壁がついた小屋。 大声を出せばきっと外にも漏れ出るほどの粗末な作りだ。

 敷地のあちこちから照明がたかれ、中心だけは昼のように明るい。

 瑛太の後ろにいた大塚が右側に立ち、反対をもう一人の男に挟まれた。 二人はそれぞれ瑛太の腕を痛いほどつかみライトのほぼ中央に立たせた。

「来ました」

 入り口と思わしき方向から、黒いセダンが近づいてきた。 いつか大塚に送ってもらったときに乗った車だ。

 少し離れたところに停まるとすぐに裕之が降りてきた。

「一人か?」

 瑛太の左の男が声をかける。

「言われた通りに一人だ。早く彼を放せ」

「まあ、慌てるな」

 おい、と別の男を呼び、何やら書類を持ち出した。

「サインしろ」

「……私、稲葉裕之はこの度の幹部選に出馬しないことをご報告します……か。お前らのところのボスも幹部なんて大役引き受ける自信があるなら、こんな姑息なことをさせなくてもいいのになぁ。下らねえ」

 裕之はわざわざ大声で書面を読み上げた。 男たちの顔が歪む。

「さあ、サインをお願いしますよ頭。でないとかわいい先生の頭が吹っ飛びますよ?」

 ゴリッと冷たい感触がしてこめかみに銃口が突きつけられた。 大塚の冷たい口調に瑛大は思わずごくりと唾を飲む。

「大塚、てめぇ……」

 憎らしげに裕之の顔が歪む。

 薄笑いすら浮かべていたからあまり動じていないのかと思ったが、今は怒りと苛立ちで目があった瞬間に殺されそうな形相だ。

 回りの空気まで凍りついた。

 瑛太ははじめて稲葉という男が、その回りの人間たちが、自分とは全く違う世界に生きていることを実感した。 

「貴様にはがっかりだ。戸田さんが目をかけた男だっていうから側に置いてやればこの様だ」

「義理や人情ばかりに気をとられるから、こんな間抜けなことになるんですよ。さぁ、さっさとサインして、かわいこちゃんを連れて帰ってくださいよ」

 男の一人が掲げたアタッシュケースの上、先程の書類がおかれペンが差し出された。

「平塚」

 瑛太の隣の男が、低い声で大塚を呼んだ。

「はい」

「あいつがサインを終えて頭をあげたら、こいつを殺れ」

「はい」

「俺は稲葉を撃つ」

「はい」

「なっ!」

 やはりそうか。 この人たちは生きて二人を帰すつもりなんて端からなかったのだ。

「おっと、声を出すな。平塚、口塞いどけ」

「~~~!!」

「黙って。先生は私の言うことを聞いていてください」

 鼻と口を塞がれて苦しい。 二人の会話をなんとか稲葉に知らせなければ。

 スローモーションに見えた。

 稲葉がサインを終えてゆっくりと頭をあげる。 その彼に向けて隣の男が銃を構えた。

 瑛太は思いきり顔をそらせ、声をあげようとした。 たぶん、ここで瑛太が叫ぶより大塚が引き金を引く方が早いだろう。

 それでも、なにもしないよりはいい。

 なにもしないで愛する人を死なせてしまうよりずっと。

 ああ。 本当に自分は彼を好きだったんだ。 なにも持たない瑛太がすべてを差し出せるほどに。

 もし、ここから生きて帰れたら、彼には幸せになってほしい。

 廉と、組長や澄子さんと、本当はそうじゃないんだろうけれど稲葉組の愉快な組員たちと、いつまでも元気に。

 固く目をつぶり、首を大きく振った。 深く息を吸い声をあげようとしたとき、至近距離で大塚が叫んだ。

「しゃがめ!」

 ヒュウっと喉から変な音が出て、呼吸が止まった。

 さっき大塚はなんと言った?


『私の言うことを絶対に聞いてください』

『先生は私の言うことを聞いていてください』


 あ。

 頭で考えるよりからだが先に反応した。 一気に膝を折りその場にしゃがみこんだ。

「なにをっ!?」

 左の男が声をあげるや否や、大塚の手刀が後頭部めがけて降り下ろされた。 あの勢いで殴られたら、軽い脳震盪も起こすだろう。 男は頭を抱えて倒れこんだ。

「頭っ!」

 向こうでは裕之が足を振ったと思ったら書類を持ってきた男が吹っ飛んだ。

「あらあら、そんなに思いっきり蹴っ飛ばしたら脳挫傷起こしちゃますよ?」

「構わねえ。先生のことまで巻き込みやがって……」

 座り込んだまま、ことのなりゆきを見守っていた瑛太は、今度は安心して力が抜けてしまった。

 どういういきさつなのかはわからないが、大塚は裕之を裏切ったりしていない。

 大塚が瑛太にしゃがむように指示を出さなければ、怪我をしていたのは瑛太だ。 自分の指示に従うようにずっと言い聞かせていたのはこのためだったのだ。

 そして今、裕之と大塚はお互いを労うように視線を合わせている。

 よかった。裕之は裏切られてはいない。

 こうなることは予定通りだったのか、大塚は用意していたのであろうロープで二人の男を拘束している。


 ……あれ、男は三人いなかったか?

「……ってめぇっ!」

「大塚さんっ、後ろっ!」

 瑛太の後方から最後の男が木材を構えたまま走ってきた。 声をあげたが大塚も裕之もまだ男をとらえてはいない。

「くそっ……」

 瑛太はがくがくする足に気合いをいれ、男の方に駆け出した。

 男が瑛太に気がつき、木材をこちらに向かって振り上げる。

「っは……」

 その勢いを利用して、瑛太は男を投げ飛ばした。 そして倒れた男にのし掛かる。 自分の方が体型では不利だ。ここはスピード勝負と首に腕を回し頸動脈に圧をかけた。

 ものの数秒で男は気を失った。

「うわ、完全にブラックアウトしてますね……。先生何か武道の心得でも?」

「あ、いえ、特に段持ちとかではないのでお恥ずかしいんですけれど」

 これはすぐに意識が戻ってしまう締め技なので手早く手足を拘束しながら話す。

 実は大学に入ってしばらくして馬場と頻繁に会うようになった頃、彼の所属する警察署で行われている武術の講習に参加させてもらうようになったのだ。 柔道や合気道もあったが、帯の色には興味がなかったので、将来、子供たちに万が一があったとき守ってやれるように総合護身術の講習を受けていたのだ。

「え、じゃあ先生、それだけできれば幼稚園で監禁されたときだって簡単に犯人伸せたんじゃないですか?」

 解放されてすぐに大塚に捕まったことを考えると、一部始終を彼らも知っていたということになる。 そうでなくたって、園のまわりは一日中、稲葉組の若い組員が見張っていたのだから。

「はあ、やろうと思えば。でも、あのときは他の先生方や子供たちもいたし、佐野さんの話を聞き終わってからは廉くんがいたので……」

 自分以外に守る対象があるときには攻撃はなかなか難しい。 できる限り相手を刺激せず、チャンスを待つのが得策だ。

「ああ、それがあの刑事との秘密、ですか?」

「ええ。目に見えての資格ではないので、人にお話しできるようなものではなくて……」

 大体、格闘技のようなものをかじっているような風貌でもない。 仕事に役立てようとしていたからといえ、あまりに似合わない。 よって、誰にも話したことはなかったのだ。

 小首をかしげて照れ笑いをする瑛太を二人はまじまじと見つめた。

「……なるほど」

「若頭、あなたとあの刑事が頻繁に会っているのを知って、物凄い嫉妬してたんですよー。あの二人は付き合っているのか?! とかすごい剣幕で」

「大塚、少し黙ってろ」

「はーい」

「……」

 なんだか、色々いたたまれない。

 三人目の男も拘束すると、裕之と大塚はやっと一息ついた。 裕之がくわえたタバコに大塚がスッと火を着ける。 その姿を見て、瑛太の疑問は吹き出した。

「そ、そうだっ! どういうことなんですか?! 説明してください! どうして大塚さんが平塚さんで、稲葉さんを裏切るようなそぶりを見せて、稲葉さんも騙された振りなんかしてっ!」

「ああ、そうですね……まず、この大塚なんですが」

 ニッ、と大塚が裕之のとなりで微笑む。 瑛太はもう、何を信じたものだかつられてふにゃりと笑い返してしまう。

「戸田聖也というのが本当の名前です。組長の側近、戸田という男なんですが、彼の息子です」

「戸田、さん?」

 組長の側近……瑛太はカレーの夜を思い出す。 そういえば組長の後ろには少し体格のいい男が影のようについていた。彼の息子?

「……といっても養子です」

「養子?」

「聖也は家族に恵まれず、幼少時戸田の家に引き取られ養子縁組で親子になった。それからずっと戸田の元から学校に通い、礼儀作法や武術を叩き込まれたんです」

「でも、最近まで大塚……平塚、戸田さん? のことは誰もご存じなかったんですよね?」

 井上も柴崎も、彼のことは急に現れたようなことを言っていた。

 大塚でいいよ? と裕之の隣の男が微笑む。 少し頭が混乱してきた。

「そうですね……戸田はこの世界に聖也をいれるつもりはなかったようです。実際聖也の存在を俺たちは知りませんでした。親父だけはそういう子供を引き取って育てているとは聞いていたようですが。戸田は聖也のことは普通に社会に出て結婚して生きていけばいいと思っていたんです。実際そうしていたんです」

「はい、証券会社に勤めていました!」

「はあ……」

 それならどうして、彼……大塚が裕之の側近となって近くにいることになったのだろう。

 柴崎が言っていた。自分と同じ二年ほど前に大塚は組にやって来たと。二年前、彼らには何が……

「あ……もしかして」

「私の妻……組長の娘が殺された頃のことです。犯人は関連している組の構成員。現行犯逮捕されたやつは本当に下っぱ。あいつが主犯であるはずがない。そこで、親父と戸田は考えました。塙にモグラをいれようと」

「モグ、ラ……?」

「そう。まあ、スパイね? 組に忠実で、なおかついい仕事をする。芝居も打てて度胸も腕もある。その上、百戦錬磨の暴力団組員をたらし込めそうなルックス……っていったら、私しかいないでしょう?」

「はあ……」

 誰だこの男は?

 今まで瑛太が見てきたクールでミステリアスな大塚は、化けの皮が剥がれたからうっちゃったとでもいうのか……。

「そういうわけで、聖也は平塚と名前を変えて塙に潜入した。そして向こうでも気に入られ、塙の若頭に俺に近づくようにといわれて、いわば二重スパイとして稲葉に戻ってきたというわけです」

「と、戸田さんは自分の息子をそんな危険な目に遭わせることをどう思われていたんですか?」

「危険かもしれませんが、任せられるのが聖也以外になかった。戸田は、聖也ならやり遂げると信じていたのでしょう。じゃなきゃ、親父に紹介なんてしません」

「塙組の人だって、そんなに気に入った組員を危ない任務につかせるなんて……」

「向こうは捨てゴマみたいに思っていたかもしれません。こいつが消されたところで、やつらは痛くも痒くもない。いくらでも補充が利く兵隊だ」

「……」

 やはりそうなのか。 やくざの世界では組員など一介の兵隊。 いなくなればまたどこかから持ってきていくらでも替えのきくような。

 瑛太はうつむいて、意識が戻ってきた男たちを眺めた。

 この人たちが例えここで殺されても、もう二度と家族のもとに帰らなくても、この人たちのボスは何事もなかったように生きていくのか。自 分に命がけで尽くしてくれた子分たちを、まるで最初からいなかったように。

「稲葉の親父さんは、違うよ?」

「え?」

 ゆううつな考えに顔色をなくした瑛太に聖也は明るく話しかける。

「親父さん、いつも私たちのこと考えてくれるもの。塙で潜入してるときもしょっちゅう連絡いれてきて『危なくなったら組のことはどうでもいいから逃げろ』って。あんまり頻繁に連絡される方が余計に危ないから止めてくださいって、言うに言えなくて困ったよー」

「あ……」

「頭だって、同じだよ。ちゃんとみんなのことを考えてくれてる。こいつらのトップとは似ても似つかない」

 こら起きろ、と大塚は靴の先で三人の縛られている男を蹴飛ばした。

「私は戸田と田嶋さんたちを呼んで、こいつらを塙に届けてきます。そうしたら、ほとぼりが覚めるまでどこかに行ってきます」

「ああ、気を付けてな」

「どこかに、って……」

「ミスした組員に優しい団体さんじゃあないからね。ましてや、稲葉と関わりがあるなんてばれたらただじゃ済まない。消される前にこっちから消えるよ。だから、先生とはここでお別れ!」

「そんな……だって」

 まだ、誤解していたことを謝っていない。 助けてもらったお礼もできていない。 これでさよならになるなんて。

「先生のことは裕之さん、送っていってくださいね? 病院にも忘れずに寄って下さいよ。背中、ちゃんと手当てしてもらわなくちゃ。今日一日、すごく疲れちゃってるんですから」

「……わかった。お前もくれぐれも気を付けて行け」

「ありがとうございます」


 裕之が乗ってきた車に、今度は二人で乗って家路をたどる。 眠っていたからわからなかったが、隣県の山の中に連れてこられていたことを知り、ゾッとする。 本当に誘拐だったら、生きては帰れなかったかもしれない。 瑛太は窓を流れる景色を見ながら、ため息をついた。

「疲れたでしょう、寝ててください。結構時間かかりますから。ついたら起こします」

「あ、あー……緊張はしていたんですけど、結構眠らされていたもので、眠気はないんです。かえって目が冴えているくらいで……」

「そうですか……じゃあ、少し私の話をしても?」

「あ、はい」

 明かりひとつない山道を、黒い車が走る。 瑛太は裕之の口からなんの話がされるのかと、体を固くして待った。

 瑛太からだって聞きたいことは山にようにある。 でも今は、この人の声を聞いていたい。

 例えそれが、辛い話でも。


「……妻が亡くなったとき、親父と澄子さんは……半狂乱でした。泣いて、叫んで。もう手が付けられなかった」

 鋭さを隠して穏やかに笑う組長と品のある美しさの澄子を思い出す。 たった一人の娘を理不尽な理由で失うというのは、いったいどういう気持ちだろう。

 永遠に見つからないパズルのピースを探して、裸足で樹海さ迷うような気持ちかもしれない。

 瑛太には想像もつかないが、きっと今もまだ、素足で踏み抜く木の枝やごつごつした石が付ける傷と戦い続けているのだろう。

 そして、隣にいるこの人も。

「どうもおかしい、あのチンピラの単独行動とは思えないと、一度疑えばもうキリがない。しかしあそこの組長とうちの親父は、ずっと懇意にしてきて関係も良好……というか、血が繋がった兄弟より仲がよかったんです」

「じゃあ、そちらの組長さんも悲しまれたでしょう?」

「通夜の席で会場に飛び込んできたかと思ったら土下座してね。もう、身も世もないってのはああいうことかと思いました。普段、何人もの組員引き連れて堂々としている叔父貴が、ひどく取り乱して泣きに泣いて……」

 義兄弟の契りが、実際の人間関係においてどれ程の影響があるか瑛太は知らない。 それでも、その二人においては実の兄弟以上に固いものだったのだろう。

 それならば、自分の部下が弟の娘を殺めるなど、謝罪のしようもない。

「調べていくうちに、どうやら向こうの若頭が何やら噛んでいるらしいことがわかったんです。それで、聖也に潜入してもらった次第です。先生まで危ない目に遭わせるなんて、本当になんと詫びたらいいのか……」

「稲葉さんは……」

「はい」

「稲葉さんの悲しい気持ちは、行き場所が見つかったんですか?」

 組長や澄子、塙の組長の悲しみはわかった。 でも、裕之の気持ちは聞いていない。

 悲しくなかったわけがない。 犯人を憎まないはずがない。

 いくら組織の中で動く人間だからって、感情がないわけではないのだ。

「……俺は……」

(あ。今、俺って)

 瑛太と話すときはいつも『私』と言っていた。 今の裕之はきっと素の彼なのだろう。

 どんなに胸が痛むことを聞かされても、ひとつ残らず聞き逃したくないと、瑛太は彼の横顔を見た。





ニッポンがんばれっp(^-^)q


明日もよろしくお願いします。

もうすぐ終わりで寂しいよー。

うえの

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