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あした、秘密の回廊で  作者: うえのきくの
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「佐野さん……なにを?」

 瑛太はその場に立ち尽くしてしまう。 今おかれている状況がわからない。 なぜ佐野がナイフなど持って幼稚園に侵入しているのか。

 さっき自分を探していた。 普通の用事ならこんな風にしてこなくてもいいはずだ。 いくらもう、連絡してくるなと言ったとしても。

「斎藤先生に会いに来たんですよ。もう、会ってくれないなんて冷たいこと言うから」

「それは……」

 うまく考えがまとまらない。 瑛太をストーキングしていたのは、佐野なのか? この様子だと廉には用事はないのか?

 だったらなぜ動物園で廉は狙われたのだろう。

 何が起きている?

「僕はここにいます。佐野さんのお話も全部聞きます。だから子供たちや他の先生は解放してください。お願いします」

「へえ、斎藤先生はやっぱりいい先生だね? そういうところ、僕は尊敬していましたよ。いいでしょう、みんな外に出てください。僕は斎藤先生だけに用事があるんです」


 他の教員が子供たちを連れ園庭に出ていく。 ここにいなかった子供たちは異変を感じた教職員によってすでに避難したらしい。

 しっかりと手を繋ぎ、涙でグシャグシャな顔をこちらに向け、ほのかと心音が瑛太の前を過ぎる。

「えいたせんせい……」

「大丈夫だよ。絢音先生の言うこと、よく聞いてね?」

  何度も頷くほのかの頭を撫でると、心音が瑛太の反対の手を握った。 小さくて暖かい、でも何よりも力強い手。 瑛太も強く握り返すと、二人は外に駆け出していった。

 瑛太たちがいたホールにはもう誰もいない。 ここからも見えないところをみると、園の敷地外に避難したのだろう。

「どうしてみんなを逃がしてくださったんですか?警察に連絡されてしまいますよ?」

「いいんだ。僕はもう、どうせただじゃすまないよ。二人も人を殺しているんだもの」

「それは……」

「立ち話もなんだから座らない?」

 佐野は近くにあった木製のボックスに腰を下ろした。 瑛太もその向かい辺りにあった椅子に座る。

 佐野はこの異常事態にもいつもと変わらない穏やかな笑みを見せていた。 まるで、瑛太だけがおかしな世界に吸い込まれてしまったように感じる。

 でも確かにナイフは佐野の手には握られていて、不気味に輝いていた。

 佐野は、視線を落としてホールの床をじっと見ていた。 ワックスをかけて輝く床には子供たちの笑い声が染み込んでいる。 そんな幸せな光景も、この男の脳裏には描けないのだろう。

「何から話したらいいのかな……僕はね、本当に君が好きだったんだ。たぶん、出会ったときからずっと」

「……」

 相当の時間をおいてから、佐野が言った。 覚悟したような声だった。

 その告白を聞いてなお、瑛太はどうしてこんなことになってしまったのかと答えを出せない。

 お互いに大切に思っていたはずなのに、なぜこんなところで向かい合っているのだろう。

「あの時僕は絶望していたんだ。乳飲み子を残して妻は出ていって、仕事もあるし、子供を預けられる親も僕にはいなかった」

「ご両親は……」

「死んだよ。五年前かな? 交通事故で二人一緒に。とてもなかのいい両親だったから一緒に逝けてよかったのかもしれないね」

 幸せな思い出話を聞かせるように佐野の表情はどこまでもやわらかい。 穏やかに語る佐野に、瑛太は抗えないような恐怖を感じる。

「斎藤先生に惹かれていることを、なぜかすぐに西原先生には知られてしまったんだよ。隠していたつもりだったのに、おかしいね。それで、僕の相談に乗ってくれたんだ。どうしたら、斎藤先生は僕を好きになってくれるだろうかって」

「……西原先生は、なんて?」

「翔真は邪魔なんじゃないかって。だって、もとの奥さんの子供だろう? 斎藤先生は間違いなく僕のことが好きなのに、翔真がいる限りは安心して僕のところに来てくれないだろうって。西原先生は斎藤先生の気持ちもお見通しだったのかな。どう、当たってる?」

「そんなことはありません」

「まあ、いいや。今更だよね。そういうわけで、翔真を殺したよ」

 なんということだろう。 翔真は自分の父親に殺されたと? 瑛太のために、瑛太を思うあまり?

「あなたは……」

「あの日、斎藤先生が病児室を出ていくとすぐに西原先生に合図をもらって中に入った。翔真の鼻と口を手でふさいだよ。あっという間だったな。あんなに簡単に人が死ぬなんて思いもしなかった」

「……」

 瑛太は言葉も出なかった。 なんと言ったらいいのだろう。 自分の目的にために、我が子を……

 生前の翔真の顔を思い出す。 まだ七ヶ月。 やっとお座りができてふくふくとした赤い頬のかわいい男の子だった。 寝返りが得意でコロコロと転がっては笑い声をあげていた。

 あんなにかわいい子供を、手に掛けるなんて。

「あなたは……酷い人だ。我が子を殺すなんて……なんてこと……」

「だって、そうしないと斎藤先生は僕を好きになってくれなかったんでしょ? 翔真より、僕は斎藤先生が欲しかったんだもの」

 鼓動が早くなり、座っているのに息が上がってしまう。 視界が滲んでいるのは涙が出ているからかもしれない。

「……ふ、二人、殺したって……もう一人は……」

「ん? ああ、西原先生。だって彼女、今になって僕のことが好きだったなんて言うんだもの。さんざん協力してくれるような顔しておいて、自分と結婚してくれなかったら僕が翔真を殺したことを警察に言うって。酷いよね?」

 まさかとは思っていたが、菜奈美までこの男の手にかかったと言うのか。 しかも、告白までされておきながら。 自分を一心に思ってくれていた人に対する情はないのか。

「結局あの女、自分にとって邪魔だから翔真を殺させたんだ。僕のことをずっと見てたから、先生を好きなこともすぐにわかっちゃうわけだよねー」

「……それで、ビルから突き落としたんですか?」

「そうだよ、よく知ってるねえ? 話があるからって呼び出して、抱えあげて放り投げたよ」

 優しそうに見えていた顔は、瑛太にだけ向けていた嘘の姿だったのだ。 きれいに飾った表面を剥がせば、恐ろしく残忍な素顔が隠れていた。

 この人は悪魔だ。 瑛太は体の震えを止めることができなかった。


 ホールのとなりの職員室で電話が鳴る。 園の関係者だろうか。 出た方がいいのだろうか。

「斎藤先生。電話、出る?」

「……いいんですか?」

「逃げてった他の先生が通報してるだろうしね。警察じゃないの?」

「……出ます」

 瑛太は震える指で受話器をあげた。

「はい、斎藤です」

『瑛太か?』

「あ……彰!?」

『ああ、無事か。犯人は? 話ができるか?』

「……佐野さん、警察の人が話したいそうです」

 瑛太の後ろにぴったりとついてきた佐野に話しかける。 瑛太の背中にはナイフが押し付けられている。

「ああ、君の友達の? 彼とはどういう関係なの? やけに親しかったけど」

「関係なんて……古い友人です」

「そう? じゃあいいけど……もしもし、お電話替わりました。佐野と申します……いえ、特に要求なんてないんですよ。僕はここにいる斎藤先生と話したかっただけなので……ええ……いえ……ああ、もうそんな時間? 食事も必要ありませんよ。すぐ終わりますから」

 瑛太を見て、佐野が不気味な笑顔を見せた。 今までになく背中がゾッとした。

 なにも要求しない佐野に業を煮やしたのか、馬場はなにか大声で怒鳴っている 。佐野は薄笑いで電話を切ってしまった。

 戻りますよ、とナイフを突きつけられたままホールに向かう。 背中がピリピリと痛い。 刺さっているのかもという事実を確かめる勇気もない。

 不気味な笑顔、もうすぐ終わる……彼は

「……僕も、殺すんですね?」

「うーん、どうしようかな。僕もきっと……まあでも二人殺したくらいじゃ死刑にはならないかも知れないけど、相当長い間服役することになるだろうからねえ。それならここで斎藤先生と一緒に死ねたら幸せかもね」

「……」

「それに斎藤先生は、あのやくざ男が好きなんでしょう?  酷いよね。僕は先生のために人まで殺してるのに、さっさと別の男を好きになっちゃうなんて。生きてたら他の人のものになっちゃうなら、そうだね、ここで死んでもらおうかな」

「……僕をストーキングしたのも、うちの園児を拐おうとしたのも佐野さんなんですね?」

 すると佐野はキョトンとした顔をして瑛太を見た。

「ストーキングは僕だけど。誘拐なんてしようとしてないよ?」

「え? 車で僕たちを轢こうとしたのは……」

「やだなあ、僕じゃないよ。第一、僕免許持ってないし」

「え、だって……」


 ガランッ……

 トイレの方からものすごい音が聞こえた。 狭い空間でバケツをひっくり返したような。

 佐野が一瞬で険しい表情に変え、そちらをにらんだ。

「佐野さんっ! まだ子供がトイレにでも残っていたのかもしれない。僕が様子を見てきますからっ」

「先生に行かせる訳がないじゃないですか」

 佐野は持参したバッグの中からビニールテープをだし、ホールの椅子に体と足を縛り付けた。

「これで動けないでしょ?おとなしくしててくださいね。帰ってきたら終わりにしましょう」

 佐野が辺りを見回しながら廊下へ消えていった。

 逃げ遅れた子供だったらどうしよう。

 自分もそこへいかなくてはと気持ちがあせる。 瑛太は足をモゾモゾ動かすが椅子にしっかりくっついていて身動きがとれない。

「くそっ……」

 ガタガタと椅子をならしている音の隙間に、小さな声が聞こえた。

「せんせい……えいたせんせい」

「……廉くん?」

 回廊の開閉口の隙間から廉の声がする。 無理矢理首を捻りそちらをみると、廉もそこから瑛太を見ていた。

「何してるの?! 逃げてって言ったのに!」

「いま、そうくんとこうきくんが、といれでばけつをけとばしました。すぐににげているはずなので、だいじょうぶです。けいさつのひとが、もうまわりにたくさんいます。もうすぐたすけてもらえるから、がんばってください」

 そしてこともあろうか、通路から出てきて瑛太を縛っているひもをほどこうとするではないか。

 佐野は容赦のない男だ。 目的のために自分の息子まで殺してしまうような。 廉がここで見つかったら、逃がしてもらえるとは思えない。

 ましてや、何か交渉の余地がある訳でもないのだ。 彼はもう自分の人生にさえ希望を持っていないのだから。

「廉くん、僕は大丈夫だから早く逃げてっ! すぐに警察の人も助けに来てくれるんでしょっ」

「せんせい、いっしょににげよう。もうすこしで、ほどけるから……」

「あれ? ここにいたの」

 瑛太と廉の動きが止まった。 凍りついたような首をひねると、廊下に続く引き戸の桟に佐野がもたれ掛かっていた。

「佐野さん……この子は……」

 動かないからだをなんとかにじって廉を背中に隠そうとする。 しかし、それを遮るように廉が瑛太に前に立ちはだかった。

「せんせいをどうするつもりだ! なにかしてみろ、ぼくがぜったいゆるさないぞ!」

「おやおや。かわいいこと。うちの翔真も生きていたらこんなに勇ましいことを言うようになったのかな?」

「佐野さん、彼は関係ない。すぐに逃がしてください……佐野さん!」

「ん? 関係なくはないでしょう。この子は稲葉裕之の息子でしょう? 立派な関係者だ」

「佐野さん!」

「まずはその子から始末しちゃおうか? そうしたら君もあんなに男に気持ちが移ったこと、後悔するでしょう?」

「佐野さん! やめてください!」

 大声をあげるしかできない瑛太は、声の限りに叫んだ。 周囲には警察が来ていると言っていた。 誰かがなかの様子をうかがっていてくれれば、この緊急事態にも気がついてくれるはずだ。


 キンッッ……


 一瞬、耳をつんざくような音がして周囲が真っ白になった。

 なんだ? 視界がゼロになる。

 廉がぎゅっとしがみついてきた。 腕を拘束されているから、抱き締め返すことはできないけれどあごと胸でしっかり廉の肩をはさむ。

 光の向こうから複数の人の足音が聞こえてきて、瑛太は胸を撫で下ろした。 助けが来たのだ。

 廉を、失わないですんだ。

 自分は、もう仕方ないと思っていた。 他でもない佐野が起こした事件だ。 なにも関係ないなどと口が裂けても言えない。

 瑛太の存在が佐野を血迷わせ翔真と菜奈美の命を奪った。 そのことから言い逃れはできない。

 自分が彼の手にかかるのはもう避けられないと思った。 でも、廉は違う。

 これから先もずっと、何があるのかわからないけれど生きていかなくてはならない。 前を見て、もしかしたら流されてしまうのかもしれないけれど、それでも進んでいかなくてはならないのだ。


 一瞬、佐野がわめくような声が聞こえたが、それもじきに消えた。

「廉くん、良かった……」

 触れあった頬同士が、いとおしさを伝える。 両手が自由だったらよかったのに。 思いきり廉を抱き締めてやりたい。

「せんせいも、どこもいたくないですか?」

「うん、大丈夫。廉くんが守ってくれたから、どこも痛くないよ」

「ぼくが、せんせいをまもった……?」

 廉のしがみつく腕が強くなった。

 ああ、彼は今、自分が守りきれなかったと思っている母親のことを思っているのかもしれない。

 あの時だって今日だって廉にはなんの罪もないのに、心を痛めていたのだろう。

「そうだよ。廉くんが来てくれたから先生、助かった。本当にどうもありがとう」

「……うん」

 廉がグリグリと瑛太の肩に額を擦り付ける。 トレーナーが暖かく濡れていく。

 嬉しかったり照れくさかったり、ちょっとだけ悲しかったり、きっと色々な感情が渦巻いているのだろう。

 瑛太はそれを誇らしい気持ちで受け止めていた。








ラストスパートでっす。

もう少しお付き合いくださいね?

うえの

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