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あした、秘密の回廊で  作者: うえのきくの
13/23

13

 

 数日は何事もなく過ぎていった。

 幼稚園にも瑛太にも不審な出来事は起こらず、職員の様子も落ち着いてきた。

 しかし廉だけは、先日打ち明けた不安のせいか冴えない表情を見せている。

 子供ながらにどれだけ胸を痛めているのだろうか、想像すると切なくなる。 それでもあの日以来、その事は口にしない。 園長や絢音たちとも相談しながら、様子をうかがうことに決めていた。


 ところがそんな廉の心の均衡はある日突然崩れてしまった。 急に高熱を出し倒れてしまったのだ。

 いつもと変わった様子もなく、廉はほのかたちと弁当を食べていた。 テーブルの雰囲気も和やかで、おしゃべりなほのかに、みんなが付き合っている構図もいつも通りだった。

 食事が終わり、合わせていたテーブルを教室の隅に運ぶのは子供たちの仕事。 みんなで協力して午後のカリキュラムに備えて片付けをする。

 航希が急に大声をあげた。

「せんせい! れんくん、きもちがわるいみたい」

「え?」

 瑛太が振り向くと、廉は真っ青な顔をしてしゃがみこんでいた。 慌てて絢音が駆け寄り、その額に手を当てると瑛太を振り返る。

「熱が高いなぁ。風邪かも」

「職員室に運びます」

 瑛太はそっと背中と膝裏に手を差し込み抱えあげた。

「気持ち悪い? 吐きそう?」

「……」

 廉は眉間にシワを寄せ、それでも首を横に振った。

 そうは言われてものんびりはしていられない。 瑛太は廊下を走らない程度の早さで歩き、職員室へ戻った。


「……困ったわね」

「繋がりませんか?」

 職員室に戻った瑛太は、とりあえず都に事情を説明すると、隣の延長保育室に布団を広げ、そこへ廉を寝かせた。

 このくらいの年齢の子供は熱が出ると食べたものを戻したり、ひきつけを起こしたりで若いお母さんたちを驚かせる。 ひきつけも吐き気も怖いことはないが、処置を誤ると大事になってしまう。 廉の身上調査書には確か熱性けいれんの記載はなかったと思うが、瑛太はしばらくそばで見守っていた。

 十分程で、都が電話の子機を持ったまま延長保育室にやって来た。 どうやら廉の家と連絡がつかないらしい。父親の携帯も同様だ。

「病児保育はできないし……ここもあと二時間くらいで使えなくなっちゃうしねえ……」

 ひまわり幼稚園では熱がある子供の通園を禁止している。 保育中でも体調を崩した子供はすぐに迎えに来てもらうことになっている。

「……あ」

「どうしたの? 瑛太先生」

「僕、柴崎さんの携帯番号知ってます。ちょっとかけてみますね?」

 思いだし、ロッカーからiPhoneを取り出す。柴崎の名前を呼び出して掛けてみた。

『……はい、柴崎です』

 いつもより、少し低めの声に怯んだ。 普段の彼はこんな声を出しているのだ。

 もしかすると、廉や瑛太といるときには鋭さを隠しているのかもしれない。

「あ、よかった柴崎さん! ひまわり幼稚園の斎藤です」

『え、瑛太先生? どうしたんですかー?』

 いつもの調子に戻った柴崎が、それでも声を潜めた様子で答える。 仕事中なのだから仕方がない。どんな仕事なのかは確かめる気も起きないけれど。

「実は廉くんが熱を出してしまって。具合の悪い子はお迎えに来てもらう決まりになってるんだけど、どなたかいらっしゃれますか?」

『あー……。そうしたら、オレちょっと戻ります。そんで、すぐ家政婦さんに来てもらうように手配しておきますんで』

「お願いします」

『っと……先生、廉さんを本宅まで送っていただくわけにはいかないですかね? 結構時間かかっちゃいそうなんですよ……熱、高いんですよね?』

 柴崎が小声のままそれでも心配そうに聞く。 かといってそれはたぶん、認められていないだろう。 他の保護者たちも仕事の都合をつけてなんとか迎えに来てくれていることを考えれば。

「……ちょっと、園長に相談してみます」

『頼みます!』

 瑛太はロッカーのある更衣室から携帯を持ったまま職員室に走った。


「……仕方ないですね。今回だけですよ? 裕之くんにもちゃんと言っておいてね。忙しいのはみんな一緒なんですから。一番おうちの人に来てほしいのは心細い思いをしている廉くんなんですからね」

 電話口で対応していた都は、園児を注意するように柴崎にきつく言い聞かせていた。 都の前にあっては、五歳児も暴力団構成員も同じだ。

 用務員さんはこのあと二時から始まるバス送迎のために出ていくことはできない。 そこで、瑛太がタクシーで送っていくことになった。

 廉の熱は三十八度まで上がっていて、呼吸も苦しげだ。 寒い、というところをみると、まだこれから上がっていくのだろう。 早く連れ帰って主治医に見せてほしい。

 瑛太は苦しくない程度に毛布でくるんだ廉を車に乗せ、稲葉邸へと向かった。



 出掛ける直前のようだった若い男に後部座席に横たわる廉を見せ、家にあげてもらった。

 彼はこの前にも会った。 瑛太のことを覚えていてくれて助かった。この間カレーをごちそうになったお陰だ。

 誘拐などと間違えられては、命がいくつあっても足りない。

 しばらくすると柴崎がものすごい勢いで戻ってきた。 そして、ガバッと頭を下げるや否や瑛太に謝ってきたのだ。

「スンマセン!! ここにしばらくいていただけないでしょうかっ! 誰も抜けてこれなくてっ!!」

「いや、謝られてもちょっと無理っていうか……ここじゃ、あれだから向こうで」

 瑛太は柴崎を引っ張って、廉に声の届かないところまでいく。 子供の世話を押し付け合うところは本人には聞かせられない。 瑛太の部屋では向こうとこっちでも筒抜けだが、さすが豪邸は違う。

「僕がここに来たことだってかなりのイレギュラーなんです。家政婦さんが来てくれるっていう話だったんじゃないですか?」

「それが都合が悪いらしくって……」

「派遣会社なら替わりの人寄越してくれるでしょう?」

「それは……うちみたいなところは普通の企業さんが付き合ってくれないから……」

 そうか。 当たり前みたいに幼稚園に廉が来ているから不思議には思わなかったけれど、この人たちは普段、瑛太がなんとも思わずやっていることができなかったりするのだ。

 銀行、保険、病院。 暴力団関係お断りのポスターは至るところで見られる。 この場合の家政婦も恐らくは関係者の家族や古くからの付き合いのあるもののことなのだろう。

「……ごめんなさい、僕、無神経で」

「いえいえいえいえ! 全然! 気にしないでくださいっ!」

「うん、でも、ごめん。それより、廉くんだね。ちょっと都先生に聞いてみる」

「お願いします。俺、園長先生おっかなくてー」

「え? いい子には、優しいよー。……あ、都先生ですか? 斎藤です。え? はあ、よくわかりましたね……」

 稲葉家の事情など、都にはお見通しなのだろうか。 瑛太が電話口で名乗った途端に『みんな忙しくて廉くんのこと見てられないとか言ってるんでしょう!』と捲し立てられた。 自分が怒られているようで思わず受話器から耳を遠ざけてしまう。

 今までもそんなことがあったのかもしれない。 都は大きくひとつため息をつくと

「瑛太先生、申し訳ないけど誰か帰ってくるまで廉くんのそばにいてあげてくれる? 今日はもう帰宅扱いにしておくから」

 と困ったような声で言ったのだ。 但し、場所が変わって規定外の保育なのだから、何かあってもなんの保証もないと、電話を換わった柴崎にギリッと言いつけることも忘れなかった。

「やっぱり園長、怖いっす」

 金髪が気合いの入った立ち上がりかたをした男が情けない声で言う。

「柴崎さんを震え上がらせるんだから、相当だね」


 家の中には留守番のものは数名いるが邪魔にならないよう声をかけていくから、と柴崎は言った。

 そして、先方の都合なので時間はわからないが、往診も頼んでいるから対応してほしいとのことだった。

 台所も冷蔵庫の中身も風呂も好きに使ってくれて構わないが、廊下を曲がった向こう側は、偉い人のプライベートスペースになっているから行かないようにとも釘を刺された。


 柴崎が出ていくと、広すぎる家は急に静かになる。

 廉は前回瑛太が寝かされた部屋とは違う、キッチンに近い部屋に布団を用意され横になっている。

 がさつに見えて柴崎は、廉の着替えやタオルなどをたくさん用意していってくれた。 洗濯物は丸めて置いておいてくれと言い置いて。

 とりあえず、往診が来るまで薬は飲めない。 今はまだ寒気がしているようだから冷やさない方がいいだろう。

 瑛太はうつらうつらし始めた廉の横にぺたりと座った。


 三十分もたっただろうか。 玄関の方へ誰かが走っていく音がする。 そのすぐあとに来客を知らせる呼び鈴がなった。 往診が来たのかもしれない。瑛太も廊下に顔を出してみる。

 玄関の方から話し声がして『先生』という単語も聞こえたことで、瑛太は胸を撫で下ろした。 これで少しは廉が楽になれるだろう。

 玄関の方へ歩いていくと、若い組員と一緒にいる四十代位の白衣を着た男が靴を脱いでいるところだった。

「こんにちわ」

「……あら、ずいぶんきれいな組員が入ったこと」

「あ、渉先生、違うんです。あちらは廉さんの担任の先生で」

「だよなー。あんなに儚げな子、あっという間に伸されちゃうよなー。おれ、隣町の山田医院の三代目、山田渉です。よろしくね」

 ガハハ、と笑った顔は最初の印象より若く見える。 瑛太はそばまで近づくと、その、儚げに見える(らしい)笑顔で自己紹介をした。

「はじめまして、斎藤です。よろしくお願いします」

「笑うとまた、美人だなあ。モテるでしょ?」

「はい、子供には。男女問わず」

「ははっ。そりゃいい。モテない先生は致命的だもんなあ」

 バンバンと瑛太の背中を叩き、山田医師は笑う。痛い、物凄く。

 そして勝手知ったる様子で廊下を歩き、廉の寝ている部屋の前まで来た。

「ここかあ?」

「あ、はい。よろしくお願いしまっす」

 若い組員はそのまま来た方へと戻っていった。

 組長の孫が寝込んでいるのに、少し冷たいんじゃないだろうか。 瑛太は軽く苛立ったが、寝ているとはいえそんな心中を廉に気づかれるわけにもいかない。 無理矢理に口角をあげ、部屋に入った。


「おー、廉。久しぶりー。元気……ではねえよなぁ」

「……こんにちわ」

「よし。ちょっと体起こせるか?」

 瑛太は廉の後ろに回り、背中を支えて起こしてやる。 汗がすごい。 診察が終わったら着替えさせなければ。

「のど、痛いか? お腹は? 口大きく開けてみ? 赤くもないな」

 山田は聴診器を胸にあてながらテンポよく質問していく。 組長の孫だといって気負ったようすはなく、この家に常時出入りしている間柄なのだろうと想像できた。

「熱は、お昼を食べ終わってからです」

「残さないで食ったのか?」

 こくん、と廉が頷く。

「そうか……一応な、シーズンだからインフルエンザも検査しておこうな」

 医師は綿棒のようなものをとりだし、廉の鼻の中でくるりと回す。

「すぐわかるからちょっと待っててな」

 柴田が持ってきてくれたパジャマに着替えさせた。 脱がせたものはずしりと重い。体を拭くのはもう少しあとの方がいいだろう。

「……んー、インフルエンザも心配ないな。ちょっとした風邪だろう。抗生剤と熱がすごく高くなった時用に、座薬出しておくから。飯のあとに飲んでね。あとで病院に支払い来てって。その時健康保険証持ってこいともねー」

「っはい、ありがとうございました!」

「あはは、君の子供みたいだよねー。ねえ、ちょっと話せる?」

「あ、はい。廉くん、先生とお話ししてくるからしばらく一人で平気?」

 瑛太が問うと、廉はまたこくん、と頷く。 喉の痛みはないようだがダルいのだろう。


 二人は廊下に出てキッチンへ向かった。 お茶の準備くらいあるだろう。

 山田は廊下では何も話さず、さっきまで高かったテンションは廉を不安にさせないためだったのかもしれないと瑛太は思った。

 キッチンには恐らく組員たちが急いで食事をとるためだろう小振りのダイニングテーブルがあった。 瑛太はお湯をわかしそこにお茶の準備をする。

「こんなところですみません。自由に行き来してもいいとは言われてるんですけど……留守番なので」

「ははっ。まあ、特殊なおうちだからねえ、こちらは」

 お茶を一口含んで、ん、うまい、と笑顔を見せた山田は、やはり最初の印象より若々しく見える。

「斎藤先生は、廉の父親の仕事は知ってるんだよね?」

「はい。赴任初日に園長から説明がありました。でも詳しいことは……」

「で、どう思う? こんなところにいて、怖くなんないの?」

 どうだろう。 首をかしげて、瑛太は暫し考えた。

 もちろん、暴力団などと聞けば恐ろしいし、テレビなどで見る薬物や詐欺などの事件に関わる彼らに、中でも未成年が巻き込まれる犯罪には嫌悪さえ感じる。

 それでも基本的な考えは、いつか子供たちに語ったことがそのままだ。 暴力団関係者であろうとそうでなかろうと、道を踏み外し犯罪に手を染めてしまう者はあるのだ。

 大きく報道されないだけで暴力団組員が犯す犯罪率など瑛太にはわからないが、一般の、しかも誰もが『あの人はいい人だった』といわれるような人でさえ、魔が差してしまう。

 瑛太は少なくともこの組の人たちから怖い目に遭わされたことはない。 廉を、組長の孫だからというだけでなく大切にしていることはわかる。

 それだけでも瑛太にとっては信頼にあたる。

 それに。


『私は先生を信じます』


 大量のファックスが送られてきた夜。 裕之は全職員の前でそう言ってくれた。 他の先生たちが困惑して不安げにしているとき、彼が言ってくれた一言に瑛太はどんなに救われたかわからない。

 それならば瑛太だって稲葉を、この組を信じたい。


「怖くないかって言われれば……ちょっと自信はないんですけど、それでも稲葉さんたちのことは、普通の保護者と同じように考えています」

「そっか」

 湯飲みが空になっていたので、新しいお茶をを注ぎ足す。 淡く美しいグリーンを見つめて、山田は言った。

「オレねえ、裕之とは中、高で同級だったの。一年の時から噂の中心でねえ。ま、そうだよね? ヤクザの家の跡取りって言われてたんだから」

「でも、あなたは普通におつきあいされてた」

「ん? どうしてわかるの」

「ここに来てくださったから。さっき柴田さんから一般の家政婦派遣は来てくれないってうかがいました。きっとあなたも、個人的にお付き合いがあるからこうして来てくださったんだろうなって」

 山田は少し首をかしげて淡く笑った。

「まあね。俺は、あいつ個人を嫌いじゃないから。ここの子達のみんなかわいくていい奴等だし」

 湯飲みを手でもてあそび、山田は瑛太をじっと見た。

 試されているような気がした。 穏やかだけれど見透かされるような瞳を向けられ、瑛太は心拍が上がるような気持ちがした。

「廉、なんかあった?」

 やっぱり鋭い。 なんだか言いづらくて、稲葉の家の者は報告していなかったことを、瑛太は静かに打ち明けた。

「……ここのところ幼稚園や僕のまわりで起きている不審な出来事が、自分のせいなんじゃないかって気にしているようなんです」

「マジで? あらら、知恵熱かー」

 医者という職業のわりには長めなのではないかと思われる髪に指を突っ込み、山田はごしごしとかき回す。 そして小さくため息をついて、瑛太を見た。

「廉の母親……裕之の奥さんな、廉の目の前で亡くなったんだよ」

「……え?」

 抗争に巻き込まれて殺されたことは聞いた。 しかしその場に廉がいたなんて。

「目の前、っつうか……彼女、廉を庇って亡くなったんだ。対立してた組の男は、出掛ける親子の正面からナイフで襲いかかった。母親……みのりちゃんはとっさに廉をかばったよ。出血性ショックで、ほぼ即死だった。すぐにガードしてた稲葉の若い奴等が犯人を取り押さえたし、緊張してた時期だったから刑事も一部始終見ていたんだけど」

「……」

「廉は、それを一番近くで見ていた」

「……ひどい」

 三歳だった廉が、どれ程その時の様子を覚えているかはわからない。 それでもきっと、心の奥底に治りきらない傷となって残っているのだろう。

 再び、自分の回りに不審な動きが出てきたのを子供ながらに察知して、自分を取り巻く環境が引き起こしていることと感じているのかもしれない。

「裕之もだけど、廉もいい子だよ。廉に必要なのは普通に生活にできることだ。友達と遊んで、三度きちんと飯食って、しっかり眠る。そういう手伝いを、これからもしてやってほしい。よろしく頼みます」

「……はい」

 深々と頭を下げた山田を瑛太は複雑な気持ちで見つめた。

 瑛太の知らない過去の裕之や廉。 裕之の亡くなった妻のこともきっとこの男はよく知っている。

 過ぎたことに対抗心を持っても仕方ないのに、瑛太は羨ましく思った。



大中小と瑛太の会話を『四バカ会談』と呼んでいました。今回はなかったな。

また明日、この時間にお邪魔します。

うえの

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