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あした、秘密の回廊で  作者: うえのきくの
10/23

10

 

「……」

 異変は翌日から起こった。

 瑛太が帰宅するとポストに入っていた郵便物が全て開封されていた。 電話の引き落とし明細とカード会社からの優待案内だったが気味が悪い。 あとで馬場に相談しようと考えた。 一応それ以上触らないようにビニール袋に手紙をそっといれておく。


 その数日後には自宅に無言電話がかかってくるようになった。 何十本ものレベルではないが、帰るとメッセージは入っていないのにすぐに切れない通話記録が留守電に入っている。

 家にいるとき、めったに家電など鳴らないので呼び出し音がすると必要以上に驚いてしまう。 たまたま電話のそばにいてとっさに受話器をとってしまった。

「はい、斎藤です」

『……』

「もしもし?」

 受話器の向こうに人の気配がする。 瑛太の声を聞いている。 呼吸の音、衣擦れの音、床がきしんだ音。 相手は息を潜めて瑛太の存在を探っている。

「どちらさまですか?なにかご用ですか?」

『……』

「切りますよ」

『……』

 瑛太は受話器を下ろしケーブルも壁から引き抜いた。

「……」

 怖い。

 相手は自分の家も職場も知っている。 恨まれるようなことをしてきたつもりはないけれど、あの事件について誤解をされていれば原因はそれかもしれない。


 あの頃、毎日のように警察から呼び出しを受け、やってもいないことについて執拗な尋問が繰り返された数日を、瑛太は今も忘れられない。

 小さく暗い部屋で何度も何度も同じことを聞かれ、頭がぼんやりとして来る。 段々記憶はおぼろ気になり、前回と寸分でも違うことを言ってしまえば揚げ足をとられる。 やはり嘘をついていたのだと責め立てられた。

 本当のことは瑛太の目の前で起こったことで全てだ。

 最後に見た翔馬は熱で赤い顔をしていたけれど、確かに生きていた。 電話がかかってきて瑛太が退室する。しばらくしたら悲鳴が上がって────


「……っ!」

 ドンドンと小さな爆発を起こしているように心臓が鳴っている。 瑛太は汗をびっしょりかいてベッドに上半身を起こしていた。 色が変わるほど握った手の中では毛布が苦しそうに捩れている。 窓の外はぼんやりと明るい。 時計に目をやると六時半だった。

 震える両手で顔を覆い、合わない歯の間から細い息を吐く。 強く目を閉じる。 濡れたパジャマが張り付きぞくりと冷たい。

 いつまでもこうしてはいられない。 幼稚園にいかなくてはならない。

 瑛太は折れそうな気持ちを叱咤してベッドから降りた。 シャワーを浴び着替える。 玄関に来ている新聞をとる。 その間から封筒が滑り落ちた。

「なに……?」

 封はされていない。 瑛太はそこそこに厚みのあるそれを逆さにして中身を出した。

「……」

 写真だった。 すべてに瑛太が写っていて本人にはそれらを撮った記憶はない。 つまり隠し撮りだ。

 通勤の自転車に乗っているもの、買い物をしているもの、子供たちや同僚の職員が写っているものもある。

 瑛太は一枚一枚を捲りながら、へなへなとその場に座り込んでしまった。

 二十枚ほどあっただろうか。 着ているものはみんなバラバラでそれぞれ違う日に撮られたものだとわかる。 何日にも渡って撮られ続けた写真。 相手の執着の強さを恐ろしいほどに感じる。

 手に握られた写真の最後を捲ると、瑛太はそれらを取り落とした。

「……もう、いやだ……」

 最後のそれには、瑛太を傘に入れさらに濡れないようにと引き寄せた裕之が写っていたのだ。



「……なんだよ、これ」

「……」

 ついに家から出られなくなってしまった瑛太はその日、はじめて幼稚園を体調不良を理由に欠席した。

 自分のことだけならばいい。 しかし、子供たちや女性の同僚が写った写真を送りつけられれば、彼らになにか被害が及ぶ危険もある。 そんなことを考えたら恐ろしくなったのだ。

 園に欠席を伝える電話を入れてから、瑛太は馬場を自宅に呼んだ。 写真や留守電を聞かせるためだ。

「心当りは?」

「ないって信じてる」

「瑛太ー、大丈夫かよ」

「……」

 大丈夫なわけはない。 部屋の隅で膝を抱えて、瑛太は止まらない震えと格闘していた。

「とりあえずこれは預かっていくから、指紋とかは期待できないけど調べてもらう。それよりお前だよ。どうすんだこれから」

「……園に説明して辞めさせてもらうしかないと思ってる。入ったばっかりで休暇なんて言えないし、万が一のことがあったら責任とれない」

「うーん……。俺からも園長に話してみるけどさ、なにも辞めることはないんじゃないかと思うぜ」

「でも……うん、相談してみるよ」

 そうは言ったが、瑛太には辞める以外の選択はなかった。 あの日、車で追い回されたとき、子供たちの命が失われていたかもしれないと思うと、恐ろしさに叫び出したくなる。 悲しい事故を起こしてはいけない。彼らを守るために自分たち職員がいるのだから。

 しかしそれが、自分がそばにいることで彼らを危険に曝すのだとしたら。 もう、答えは決まっている。馬場にはああ言ったが、瑛太の決心は変わらなかった。



「斎藤先生じゃ、ありませんか?」

 忘れられなかった声に呼び止められ、瑛太はゆっくり振り返った。 夕方の商店街は人が出ていて、皆忙しそうだ。こんな時間ならかえって誰の目にも留まらず一人でいられると思い、瑛太は買い物に出ていた。

 食欲は全くといっていいほどなかったが、それでも食べなければ。 次の仕事を探す体力だって必要だ。

 声は店から出てきた瑛太の右側からかけられた。 駅から流れてきた人並みに、彼もいたのだろう。

「……佐野さん」

 翔馬の父親、佐野公平だった。 会ったのはそれこそ二年ぶり。 事件のあとは顔を会わせることはなかった。

「久しぶりだね、元気だったかい? すこし痩せたかな。無理もないね……」

「元気です。佐野さんは?」

「まあ、ぼちぼちね。いろんなことがあったからすごく元気とは言わないけど、なんとかやってるよ」

 佐野は最初から瑛太が犯人であるはずがないと肩を持ってくれた数少ない知人だった。 直接会うことはなかったが、メールや電話で励ましてくれていた。 自分だって大事な一人息子を殺されて、そんな場合ではなかったと思うのだがいつでも信じていると言ってくれ、それがどんなに瑛太の支えになったかわからない。

「この辺に住んでるのかい?」

「……いえ、少し離れたところに。ここは買い物が便利なので」

「そうなの。困ったことはない? 先生には一番大変な時になにもしてあげられなかったから、ずっと力になりたいって思ってたんだよ。何かあれば遠慮なく言ってくれ」

 佐野は内ポケットから取り出した名刺に自分のプライベートのアドレスと電話番号を書き込むと瑛太に差し出した。

 瑛太は差し出されたそれに目を落とし、小さく拒絶の方向へ首を振った。

「佐野さん。あなただってあの時痛くもない腹を探られて、大変な目に遭ったんでしょう? もう、僕に関わらない方がいいです」

 そうでなくても変なプレッシャーをかけられているんだ。 こんなところをストーカーに見つかりでもしたら彼まで巻き込まれかねない。

「そんなこと! 僕はなにも後ろ暗いことはないよ。君がそんなこと気にしなくてもいい。何でもいい、僕の力が必要なときは呼んでくれ。頼む」

 彼は、自分の子供の事件がきっかけで瑛太が保育園を追われることになったのを今でも気に病んでいる。 あたかも殺人犯のような言われかたをして、その上同性愛者であるような記事を面白おかしく書き立てられた瑛太を今も気遣ってくれていることは嬉しい。

 少し怒ったような彼の顔を見る。 自分がこの名刺を受けとれば彼の気持ちが楽になるのかもしれない。

 恐らく絶対にかけることはないだろうその名刺を瑛太は受け取った。

「斎藤先生の番号も教えて?迷惑メールで引っ掛かっちゃうと困るから」といわれれば教えないわけにはいかない。

 瑛太はあれほど避けたいと考えていた以前の知り合いと連絡のとれる状態になることに戸惑いと少しの安心を感じていた。


「瑛太!」

 溢れる人混みで動かないでいるのは難しい。 佐野は近くのコーヒーショップに渋る瑛太を誘った。

 久しぶりに見る佐野に、少しはときめいた瑛太だがそれよりも申し訳なさの方が強い。 息子を守りきれなかった保育士に憤りだって感じているはずだ。

 穏やかな口調で佐野が一方的に近況を語るのを相づちを打ちながら聞いていた瑛太に親友の呼び掛けが聞こえた。

「ああ、彰。どうしたの?こんな……」

 瑛太は馬場の後ろに立つ人を見て、なんの偶然が重なるとこういう顔ぶれが街中で揃ってしまうんだろうと唖然とする。

「瑛太先生、こんばんは」

 夜の空気をはらんだ声。 がたいがよくキツい顔立ちの馬場と並ぶと人並みがまっぷたつに別れ、道を作ってくれる位威圧感のある男。

「稲葉さん?」

 仲良く肩を並べて歩いちゃいけない二人がどうして?  瑛太は二人の顔をキョトキョトと見比べてしまった。

「俺はほら、組対係だから顔見知りなんだよ」

「嫌な顔見知りですけどね。良くしていただいてます」

「はあ」

 公衆の面前で『組対』などという言葉を持ち出すなんて、彰は配慮に欠ける。 瑛太は顔をしかめた。初対面の佐野にもこの二人がどういう間柄なのか知れてしまうではないか。

「瑛太、そちらは?」

「え?ああ、前の保育園の保護者のかた。えっと……」

「佐野と申します」

 当時瑛太が住んでいたのはここからはなれた場所だ。 当然捜査には馬場は関わっていない。しかし友人が巻き込まれた事件の関係者の名前くらいは頭に入っているだろう。 だから名前をだすのをためらったのだがあっさりと佐野が口にした。

「私は瑛太……斎藤の幼馴染みでつつじが丘署刑事課の馬場と申します。こちらは今の斎藤の園の保護者で稲葉さん」

「稲葉です。よろしくお願いします」

 稲葉が会釈をした。 佐野は少したじろいだがそれを返した。

「何で一緒に?」

「待ち合わせてお茶するわけないだろ。偶然だよ」

「はあ」

「お前のこと見かけたから挨拶しようと思って寄ってきたら、こちらも同じだったみたいで、ねえ?」

 両手をポケットに突っ込んで、馬場が裕之に話しかける。顔つきのせいで『どっちがヤクザでしょう?』というクイズも成立しそうだ。 

「はい。ここのところお見かけしていなかったので、少しお話でもと思ったのですが」

「……あ、はい」

 ここ二日は園を休んでいるのだがそれより前、無言電話の辺りから極力表に出ない仕事をしていた。 誰かに見られているかもという気持ちの悪さと、誰かと親しくしているのを見られたらさらに何かの恨みを買うのではないかという恐怖。 もちろん、お迎えに来た父兄の前にも出ていかなかった。

「ところで瑛太、今夜はどうする?」

「あー……うん、行くよ」

「おう。じゃあ、待ってる」

 バラバラに行けばいいものを、二人はなぜかまた並んで店を出ていった。 方向性は違えど二人とも高身長の男前だ。 若い女の子が見とれながらも後退り道を空けている。 あれは道を譲りたくもなる。そして店を出ても揃って歩いていく。意外と仲がいいんだろうか?

「彼とは仲がいいのかな?」

「え、馬場ですか? ええ。幼稚園の時からの友達なんです。すごくいいやつで」

 コーヒーを口に運んで面白そうに微笑む。 こうやって向かい合ってお茶したりすることがあの頃は現実になるなんて思えなかった。 二年という時間が経ったことを、瑛太は彼の笑顔で知る。

「今夜も遊ぶの?」

「遊ぶんではないですね」

「違うの? なにか約束してたじゃない」

「そうなんですけど……それは恥ずかしいんで内緒です」

「ふふ。そうなんだ」

 佐野が柔らかく笑ったので、瑛太も笑みを返した。 この人はいつもこうやって穏やかで優しい人だった。


 佐野を意識し始めたのは瑛太が前の保育園にも慣れた三年目のことだった。

 彼は妻と離婚したばかりで、まだ生まれたばかりの翔馬を抱えてお手上げ状態だった。

 妻は彼女の浮気が原因で出ていったらしい。 子供は邪魔だったということだろうか。 まだ乳飲み子だった翔馬を置いてある日突然いなくなってしまったのだそうだ。

 翔馬は四ヶ月くらいだっただろうか。 全体にまだ頼りなく、ふにゃふにゃとした赤ん坊。 その子をベビーカーに乗せ佐野は途方にくれていた。

「しばらくは休めそうなんですが週明けからは預かってくれるところがないと退職も考えなくてはならないかと……」

 実際、男手ひとつで子供を育てるのは並大抵のことではない。 実家や友人、シッターなどの手を借りなければ無理だろう。 その時瑛太の園には空きがあった。 預ければだいぶ楽にはなるはずだ。

 佐野は毎日毎晩、時間通りに送り迎えをした。 体調の変化や飲んだミルクの量やおむつの中の変化をかいつまんではなせば、いつも真剣に聞いていた。 自分は疲労が溜まって痩せたり顔色が悪くなっても、翔馬のために一生懸命だった。

 瑛太はそんな佐野に惹かれていった。たぶん恋だった。

 それでも元々は奥さんがいた人だ。つまりはストレート。 そんな男に恋をしても辛くなるだけだ。

 自分は影でそっとこの親子の幸せを祈れればいい。 もしかして佐野は素敵な人と出会って、再婚するかもしれない。 これだけの男を女はほおっておかないだろう。 それでいいのだ。 佐野と翔馬、二人が幸せになるのなら。

 翔馬が亡くなったとき、瑛太は自分を責めた。 直接手に掛けたのはもちろん自分ではない。 それでも、責任者としてあの親子のささやかな幸せを守れなかった自分。 命を奪ったも同然だ。保育士として人として失格だ。

 佐野はどんなに悲しんでいるだろう。 あの日、自分が勤める園に預けることを決めなければよかったと後悔しているだろうか。

 尋問を続ける刑事に何を言われても響いては来なかった。 いっそのこと自分を逮捕してほしい。 罪を償わせてほしい。 どんなにそう願ったことか。

 身柄を拘束されたわけではなかったので家に帰ると留守番電話が一本入っていた。 恐る恐る聞いてみると佐野からだった。

『うちの子供のことで先生には辛い思いをさせて申し訳ない。でも僕はわかってる。先生はそんなことしない。きっと警察だってわかるはずだ。もう少し、頑張って』

 瑛太は聞き終わらないうちに声をあげて泣いた。

 家族は信じてくれているだろう。 でも同じだけ迷惑をかけている。 世間はみんな自分を犯人だと思っているだろう。 警察も仕事先の仲間だった人たちも。

 それでも、諦めてはいけないと思った。 信じてくれる人がいる。 その人を悲しませてはいけない。

 そして自分が認めてしまえばこの事件を起こした本当の犯人は逃げおおせるのだ。 そんなこと、許せるわけがない。


 佐野と別れて瑛太は一人、家への道を歩いた。 この先どうしたらいいのか本当にわからない。 逃げるのは簡単だ。 でも、ここへ来たときのようにまた見つかってしまう。

 自分を悪く思っているのは一人ではないかもしれない。 その時関わりがなかった人でも、秘密を知れば正義に名のもとに糾弾したくなるものなのかもしれない。

「……」

 いつまでも先のばしにはできない問題だけれど、今は馬場との約束がある。 自宅に買い物を突っ込むと、瑛太は馬場のところへ急いだ。






そろそろ半分です。

もう少しお付き合い下さいね!

また明日。

うえの

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