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あした、秘密の回廊で  作者: うえのきくの
1/23

overture~1

久しぶりの投稿です。

短い間お付き合いいただけると嬉しいです!

 


 高層マンションの一室。眼下にはまばゆい夜景が瞬いている。

 一組の男女がゆったりとした革のソファに寛いでいる。


「君は料理がうまいなあ。今日の国産牛フィレ肉のポワレ 季節の温野菜とマスタードソースは絶品だったよ」

 男は満足げに淹れたてのコーヒーを一口飲んだ。 それを見て女も束ねていた長い髪をほどき、指ですきながら微笑んだ。

「ありがとう。料理教室で教えてもらったの。お口に合ってよかったわ」

 男はソファに沈みこみ目を閉じた。 身体中から空気が抜けてしまうほどの深いため息をつく。

「もう、ずっとここにいたいな。すごく落ち着くし、安らぐ」

 女はそんな男の横顔を見ながらその肩にもたれかかる。 そして男の膝に指を滑らせ切な気に言った。

「……そんなこと、そこらじゅうで言っているんでしょう?」

「そんなことはないよ、君だけだ」

 男が女の肩を掴み引き寄せようとしたとき、玄関でドアが開く音がして、続いて廊下を鳴らす複数の足音が聞こえた。

 二人が目を丸くしてうかがっているとリビングのドアが激しい音をたて開け放たれる。 そこには女と子供、そしてなぜか犬がいた。

「ちょっとあなた!こんなところで何してるのよ!」

 仁王立ちの女が髪を振り乱し叫んだ。 どうやらこの女は男の妻のようだ。 つまり男と女は不倫の関係にあったのだ。

「お、お前こそ、何で!?」

「興信所使って調べたのに決まってるでしょ?何よ若い女にでれでれしてみっともない」

「ママー、お腹すいたー」

「ワン!」

 男は焦りと驚きに立ち上がり妻に向き合う。 女も唖然としていたが次第に話がつかめ納得したような顔で言い放った。 <

「あなたが奥さま?はじめまして。 あなたがぼんやりしてるから旦那さん取られちゃうのよ。 彼、もうずっとここにいたいって言っているわよ?」

「んなっ、なんですってーーー?!」

「ちょ、落ち着けよ」

 男は妻を落ち着かせようとえへらと作り笑いを浮かべるが、それでは火に油を注ぐようなものだ。 冷静になれるわけがない。

「ふざけるんじゃないわよ!!」

「ママー、お腹すいたー」

「ワン!」

 妻は女に掴みかかった。

「あんたが人の旦那誘惑したんでしょっ!この泥棒猫っ」

「人のせいにしないでよっ!そんなに大事なら縛って金庫にでも入れておきなさいよっ!」

 女も妻の髪を引っ張り応戦する。 その間を男は蒼白になりオロオロするばかりだ。

「二人とも、落ち着いて。話をしよう、な?」

「うるさいっ!」

「引っ込んでてっ!」

「ママー、お腹すいたー」


 すくっと犬が立ち上がった。 決して飼い主たちを和ませようと芸をして見せた訳ではない。 そして口を開く。

「…………あの、設定がハードすぎると思うんですけど……」

 そしてその場にいた全員に一喝されてしまうのだ。

「犬は喋らない!」




 1


「ってなわけで怒られちゃいました」


 子供たちが帰宅して静かになった教室で斎藤瑛太は苦笑した。 相手は先輩教諭の谷本絢音だ。 二人で教室にモップをかけ束の間、椅子に腰かけていた。

「今どきの家族ごっこはバイオレンスだからねー。世相がモロに反映されるのよ。一昨年あたり練炭自殺とかされた日には緊急職員会議と保護者会開いちゃったわよ?」

「それは……」

 大変でしたねの言葉も喉の奥に突っかかる。 自分がその場にいたら卒倒してしまうかもしれない。

 暗くなった園庭にぽっかり浮かんでいるようなわかばぐみの教室で二人はがっくりと肩を落とし、大きなため息をついた。


 遠藤学苑ひまわり幼稚園はごく一般的な園である。

 8時から15時までの普通保育の他、朝は7時から夜は19時までの延長保育も開設している。 また、保育園が一杯で仕方なし幼稚園に通わせている世帯のため、夏休みや冬休みの長期休暇も特別保育を行っている。


 斎藤瑛太は二十八歳。 この園には今日赴任したばかりだが教諭としてのキャリアは三年、ここに来るまで二年のブランクがある。

 新たな職場でやりがいも感じいきいきと仕事をしている。

 生まれつき明るい色調の髪の色はくせっ毛のせいかゆらゆらと揺れ、ふにゃりと笑う顔を囲んでいる。

 大変きれいな顔立ちをしているのに本人はそれに気づいていないので、おかしいときは思いきり顔を崩して笑い、悲しいときもその通り。

 よって今現在もげんなりした顔を隠すことはなかった。


「僕、以前の園では乳幼児担当だったので、なんかカルチャーショックです」

「あれ、前は保育園だったの?」

「はい。あ、僕、保育士免許もあるんです」

「ああ、なるほど。それは園長もスカウトしたいわけだわ」

「そんなことは……」

 瑛太はこの園の卒園生でその後も園長と交流があった。

 前の職場を不本意な理由で辞めざるを得なかったため、そしてそれは、自分を保育士失格であると追い詰めるような事件が原因だったため声をかけられたとき最初は断った。

 しかし園長は折に触れ声をかけ続けてくれ、本当は諦めきれなかった瑛太も彼女の誘いを受けた。 そして初日からハードなままごとに参加させられたのだった。


 照明を消し二人で職員室に戻る。職員室の横にある延長保育用の部屋にはまだひとり、子供が残っているようだ。 担当の大澤いづみの頭が見える。

「お疲れさまです」

「お疲れさま。絢音先生、瑛太先生、コーヒーいかが?」

 笑顔で二人を迎えたのは遠藤都、この幼稚園の園長だ。

 夫と共にこの園を立ち上げたが10年前に夫は他界。以来、娘のいづみと園を切り盛りしてきた。


「どうでしたか、瑛太先生。初日は?」

 恩師でもある都に『先生』などと呼ばれると未だくすぐったい。瑛太は軽く肩をすくめ笑って言った。

「元気な子ばかりで、さっそく犬になりました」

「ああ、家族ごっこね?」

「今は家族ごっこって言うんですね。僕の頃はおままごととかお母さんごっことかいった気がします」

「そうね。遊びのルールも時代で変わるわね」

 都はクスクス笑いコーヒーを差し出した。

「瑛太先生、すごいんですよ。折り紙で子供たちのハートをガッチリつかんじゃって」

「絢音先生、大袈裟ですよ」

「あら、折り紙?」


 瑛太は絢音のクラスの副担任として子供たちに紹介された。 見慣れぬ男の先生に子供たちは最初から興味津々だった。

 軽い自己紹介のあと、持参した大きな折り紙を取り出し「何ができるかなー?」と子供たちに話しかけながら器用に恐竜を折ってみせた。

 あまり折り紙などで遊んだことのない子供たちはたちまちくぎづけになり、瑛太の近くに集まってきた。 リアルなからだのシワや首の曲がり具合まで再現された折り紙に子供たちは「すごい」「かっこいい」とストレートな感想を口々に言い合った。

 そこで瑛太は前もって用意していた子供に人気のアニメキャラ『トントロ』を折ったものを全員に配ったのだ。


「名刺みたいなもので……」

 都にもそのときの残りを差し出した。

「あら本当。上手ね」

 都はそれを目の高さまで持ち上げるとしげしげと眺めた。

 五センチ四方ほどの水色の紙で折られた目玉のギョロリとした熊ともカバともつかない奇妙な生き物。 トントロは20年以上前から不動の人気を誇るアニメキャラだ。当然瑛太も小さい頃から慣れ親しんでいる。

 お腹の部分は折り紙の裏が出て白くなっているので、そこに瑛太はメッセージを書き込んでいた。 年中児でもひらがなを難なく読める子供は多い。はっきりとした文字で「さいとうえいたです。よろしくおねがいします」と書いておいた。


「それにね園長。あの廉くんにミカンを食べさせちゃったんですよ?」

「まあ。すごい」

「そんなんじゃないです。絢音先生ってば」

 謙遜する瑛太にそのときのことを思いだし目を丸くした絢音は言ったのだ。

「私だってビックリしたのよ。急に泣き出すんだもん、廉くん」


 それは延長保育のおやつの時間だった。

 普通保育では2時半頃からお迎えが始まり3時過ぎには子供は帰宅する。 保護者が仕事で延長保育を希望している子供たちはそのあと、おやつを食べ昼寝をして、夕方まで迎えを待つのだ。

 今日もおやつの準備は整った。 みかんとほうじ茶が子供たちの前に並べられた。 30人ほどの子供が年齢に関係なくひとつのテーブルを囲みおやつを食べる。

 普段は延長保育担当の教諭が世話をするが、今日はそこに瑛太も一緒に混ざっていた。 一日の流れを把握するためだ。

 みかんを前にいただきます、と挨拶したあと異変が起こった。 瑛太が普通保育の時も担当しているクラスの稲葉廉が突然泣き出したのだ。

 廉は年中組の普段とてもおとなしい園児で、みんなが外で遊ぶときも室内で絵本を読んだり絵を描いたりして過ごしている。 ほとんどしゃべらずいつもひとりだ。

 なので、他の子供といさかいがあったなどということもないだろう。 瑛太は絢音にそっと聞いた。

「もしかして、みかんが嫌いとか?」

「……はっきり本人の口から聞いたことはないけど……いつも食べないから苦手なんじゃないかしら」

 食の好き嫌いは、アレルギーももちろん入園時また学年が変わるたび、異変があった都度家庭の方から情報としてあげてもらっている。 それも瑛太は目を通していた。そういう報告はなかったように思う。

「でもまあ、いつものことだから」という絢音の言葉の途中で瑛太は廉の横にしゃがんだ。

「どうした、廉くん? ミカンは嫌い?」

 廉はふるふると首を振る。 嫌いではないようだ。瑛太はコロコロと大きな涙が転がる廉の頬を見る。嫌いじゃない、のに食べられない。 色々考えられるが、まあ、これかな?

 瑛太は自分用のみかんを手で転がし廉の前に差し出した。

「廉くん僕ね、おもしろいみかんの皮のむきかた知ってるんだ。一緒にやってみない?」

 廉は涙に濡れた顔を瑛太に向ける。 そうそう、その調子。

 さっき恐竜を折ったときも、最初隅っこにいて遠巻きにこちらをうかがっていた廉は、みるみる形になっていく正方形にキラキラした顔をして飛んできて、仲間の間から顔を出していた。

「ここをね?こうして、こうむいて……ほら、うさぎ!」

 瑛太の手の中でみかんの皮は長い耳を揺らして踊っているように見えるウサギの形になった。 廉だけではなく他の子供たちも瑛太の手の中を食い入るように見つめている。

 折り紙もだが、手遊び、お遊戯、ハンカチやおしぼりを使った遊びの情報の収集は得意だ。瑛太自身が子供の頃内向的な性格で、比較的一人で過ごすことが多かったこともあるのだろう。 ミカンのむきかたもそんな遊びのひとつだ。

「廉くんもやってごらん?そうそう、上手」

 廉も教えられるまま小さな手でみかんをむいている。頬は真っ赤で真剣な顔だ。 とてもおやつの時間とは思えない。

 たちまちあっちでもこっちでもみかんの皮がむかれていく。 柑橘のいい香りが教室を包む。

「せんせーい、できたー!くまみたいになったー!」

「わたしもー。うさぎにみえるー?」

「うん、すごく上手!でも、自分で食べる分だけむくようにね?おうちのみかん全部向いたらダメだからね?」

 そんなことをされては赴任早々、クレームの嵐だ。

 くいくいと廉が瑛太のポロシャツの裾を引く。 白いシャツの裾に小さなミカン色のスタンプが押されていた。

「ぼくもできた」

 瑛太が振り返るとまだ真剣な顔の廉が机にみかんの皮を広げていた。 見本と同じようにうさぎが踊っているように見える。

「うわあ、上手だね。さあ、みかん食べてごらん?」

 廉はうなづき、小さな指で慎重に一房とりわけ口にいれた。 咀嚼して飲み込み、そして子供らしい笑顔でにっこり笑う。

「……おいしい」

「自分でむいたら美味しいね? お家の人にも教えてあげてね」

「はい!」

 廉は瑛太を見上げ輝くほっぺたでうなずいた。


「食べ方がわからなかっただけだったのね……」

「もしかして廉くんのおうちはお手伝いさんとかがいる上流のご家庭ですか?ミカンもむいてくれちゃうような」

「……上流って言うか……まあ、お手伝いさん的な人はいるわね」

「みんなしてもらっちゃうから出来なかったんじゃないでしょうか? 去年は?」

 絢音は渋い顔で言う。 自分が思い至らなかったことを反省しているようだ。

「……食べてなかった。そういえばできないことも同じ年齢の子供に比べると多いわ」

「そうでしたか」

「でも、今まで泣いたことなんて一度もなかったのよ?」

「一度も?」

「そう、だから驚いたの。何があっても動じないし泣いたり怒ったりもしない。みかんだっていつもすまして食べなかったからてっきり嫌いなんだとばかり……」

「 瑛太先生に甘えたんじゃないかしら? 」

 都が言う。 二人は都を見た。

「折り紙で心をつかんじゃったんでしょう?この人に甘えてみたいって思ったんじゃないかしら?」


 その時、インターホンの音がした。 マイクから「稲葉です」と声がする。 延長で迎えに来る保護者が鳴らす決まりだ。

 隣にいたいづみが子供をつれてホールに出ていく。最後の子供は廉だった。

「あ、じゃあ僕もご挨拶してきます」

「私も行くわ」

 都も瑛太と一緒に立ち上がった。 先を歩くいづみと廉の後ろを瑛太と都が着いていく。

「あのね瑛太先生。廉くんのおうちは……」

 都が言いかけたとき、先に玄関ホールへ出た廉を呼ぶ(のであろう)声が響いた。

「廉さああああんっ! おっ帰りなさーい!!」

 そしてその声の主を瑛太も見た。

「大中小……」

 きれいに身長差のある、一見しただけで普通の勤め人には見えない男三人。

 一番背の高い男は瑛太よりずいぶん大きい。 アロハのような柄シャツの上にテカテカとした黒と白のいわゆるスカジャンを着ている。 髪は見事な金色で重力に逆らって立ち上がっていた。

 今叫んだのもこの男だろう。 廉の方を見て忠犬のような笑顔を見せている。

 真ん中の男はソフトスーツを着ているが中はあり得ない深紅のサテン地のシャツだ。 オールバックで露になった眉間には深いシワが刻まれている。 予定がつまっているのか始終時計を気にしていた。

 最後のひとりはずいぶんと小柄だ。 160に届いているだろうか。 しかし年齢は一番上に見える。

 地味めのスーツはややくたびれている。 白いワイシャツに絞められた派手なネクタイがなければ、テレビドラマで見る「ネタは足で稼ぐ刑事」のようだ。

「えっと……」

 瑛太は自己紹介しようと前に出るが固まった。

 都もいづみも、この正体不明な三人組に瑛太が戸惑っているのだろうと前に出て「今日から廉くんのクラスの副担任になりました斎藤瑛太先生です」と紹介した。 いづみも「先生、緊張しているみたいで」と付け足す。

「あ、いえ、そうではなくて」

 瑛太が思い出したように動き出した。そして三人を見て言った。

「どのかたがお父様かと思って。皆さん似ていらっしゃるようなそうでもないような……」

 と小首をかしげてはにかんだ。

 そこか、そこなのか?  この不可思議で職業不明な風貌は気にならないのか?!  いづみは心のなかで叫びながら、瑛太に対して説明した。

「こちらは廉くんのお父様の会社のかたです。お忙しくて延長でも間に合わないので代わりに迎えに来てくださっているんです」

「ああ、そうなんですね?」

 大きい男に靴を履かせてもらった廉は(案の定、ひとりで靴もはけなかった)一番背の低い男のそばに行き誇らしげな顔で言った。

「たじまさん、ぼく、みかんのかわがむけるようになった」

 そうなんですよ、これからは自分のことは自分でできる練習もしましょうね、と瑛太が続ける前にすっくと立ち上がった一番大きい男が泣き出さんばかりにひっくり返った声をあげた。

「廉さああああんっ! すごいじゃないですかあああっっっ!」

「すぐに帰ってお父様にご報告しましょう」

「今日はお赤飯をご用意しなくては」

 そう言った真ん中の男がどこかに電話を掛ける。 赤飯の手配だろうか。

 それでは失礼します、とあわただしく三人は廉を連れ、表に停めてあった黒塗りの車に乗って嵐のように帰っていった。

 その様子を瑛太、都、いづみは無言で見送った。


「……えーっと、廉くんのおうちは大名の血筋とかそんなんですか?」

「えっと……」

 いづみが口ごもる。 毎度の風景だが今日は特にひどかった。 久々に驚いてしまったのだ。 気の抜けた娘の様子に、都があとを引き取って説明した。

「廉くんのおうちはこの地域に古くからある反社会勢力が後ろについている会社を経営するおうちなの」

「……といいますと」

「平たくいったらヤクザね」




明日もこの辺の時間でお会いしたいです!

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