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新天地へ  作者: 時坂 圭一
8/24

昏々

目を開けるより先に耳が開通したようだった。ぼそぼそ声が聞こえる。しかしどうしてこんなところに・・・、とか、何か食べさせないと・・・とか、どうやらわたしを心配してくれる人たちのようだった。

 ご飯と聞いてわたしは驚かさないように、それでもさっと起き上がった。

「あの、何か、食べるものありませんか?」

一見すると、ここはバーというか、ラウンジのようだった。どっちも行ったことないけど。座布団が敷かれた小さな座敷にわたしは寝かされていた。

「お金、少しだけならあります。」

 二人はわたしの方を見て少しの間固まっていた。今この判断で、もしかしたら、この人たちの人生や、運命が変わることだってあってもおかしくない。なにせ、わたしは正規ルートでここに来たわけじゃない。わたしになにかしら手を貸したとしたら、後で問題になるのかもしれない。

「もちろんだよ。いまサンドイッチ作ってるから。」

 答えるまでの僅かな間でまだ警戒されているのが一瞬で伝わった。それでもわたしに手を差し伸べてくれる覚悟がやんわりと伝わってきた。

「お金なんていらないよ。倒れてる人がいたら助けるのが義理ってもんだい。」

「しかも目の前で、ですしね。」

わたしは自虐的にそう言った。

 カウンターに立つおばちゃんは高い声で二つ笑ったけれど、二人ともこの状況にまだ戸惑っているようだった。

 しばらくして、サンドイッチとフルーティーな飲み物が運ばれてきた。

 あの味を思い出して胃がきゅっと締まった。失礼と思いながら腕の太いおばちゃんがテーブルに置く前にお盆からジュースを取って一気飲みした。

 腕の太いおばちゃんは少し驚いた後振り返ってカウンターに座るおばちゃんに「あらまあ。」と言って笑った。

 いまは人のことを気にできる余裕がなかった。何を思われてもいいから目の前の冷たいドリンクとサンドイッチが欲しい。

 コップを一気に飲み終わって乱暴にテーブルに置くとサンドイッチに取りかかった。

 カツサンドだった。会社近くのコンビニにあって、あの工事現場のコンビニにはなかった、普通のカツサンドだった。

 わたしはカツサンドを頬張りながら隣で驚いてわたしの食べる姿を見ているおばちゃんの口元を遠慮なく見やった。

 触手が生えていた。

 一瞬にして気持ち悪さが全身を巡ってカツサンドが逆流しそうになるのをなんとかこらえた。それでも嘔吐いて涙が出てきた。

「大丈夫大丈夫。誰も取りゃしないからさ。」

とわたしの背中をさすってくれる。後ろで触手がうねうねと動いているかと思うとぞっとしたけれど何も考えないよう必死で努力した。この人たちはいい人この人たちはいい人。

 でも、人なのか。

 違うのは触手だけか?

 服の中は?その身体は?

 たくさんの疑問がじゅわっと湧いてきた。でも今は親切にされている。例えこのカツサンドを食べて触手が生えたとしても、わたしはこれを食べる。

 今度はゆっくりと噛んで食べるようにした。「そうそう、ゆっくりね。」と背中から声がかかる。

 それでもカツサンドは、美味しかった。カツは衣がさくっとしていて熱い肉汁があふれる。本当にできたてだった。

 もぐもぐと食べながら、もしかしてと思った。わたしが触手生えていないのを知って、サンドイッチをわざとわたしの知っているやつ、食べなれたカツサンドにしてくれたのかな。

 継ぎ足されたジュースに小さく会釈してまたがぶがぶ飲んだ。ドリンクもたぶん普通のオレンジジュースだった。これも、わたしに合わせてくれたのだろうか。

 一瞬でカツサンドを食べ終えると、再び強烈な眠気が襲ってきた。座敷にゆらりと倒れるところを、すんでのところでおばちゃんに引き止められた。太い腕でがしっと掴まれる。

「あんた、たくさん寝ていいから、せめてちょっと着替えた方がいいよ。できれば体も洗った方がいいけどさ・・・。」

「は、はあ・・・。」

なにより今は眠かった。カロリーを摂取して頭がふわふわしていた。

 出された朱色のなにか柄の入ったワンピースを手にとってまたぼうっとしてから、ゆっくりと服を脱いだ。

 一応座敷から出て服を脱いだけれど、服がこすれるたびにあの草原の砂がまたぽろぽろと溢れてきた。だいぶ払ったつもりだったのにな。

 ぱっと二人のほうを見ると、二人とも砂を凝視していた。

「あの、すみません・・・。床汚しちゃって。」

というわたしに二人はしばらくなにも返さなかった。すると腕の太いおばちゃんが

「あのさ、ちょっと確認しときたいんだけどね、あんた、どっから来たんだい?」

 頭の中の白いピース。あれはいったいどこに行っちゃったんだろう。

「わたしは、草原の向こうから歩いてきました。でも、詳しくは寝てから話します。」

 用意された服を着てから、脱ぎ散らかした服をたたんだ。砂や汗で汚れて、しかも公衆トイレのにおいもする服をたたみながら、どうせわたしの体もこんなんなんだろうなと思った。

 思いながら、そのまま座敷に這ってぱたっと寝た。

 喉が渇いて目が覚めた。店は腕の太いおばちゃんだけになっていて、カウンターに座ってくつろいでいた。

「お水、ありますか?」

さっきよりも寝起きは格段によかった。よかっただけに、無礼な頼み事をしにくかった。

「あ?ああ。あるよ。ちょっと待ってな。」

時間は真夜中あたりのようだった。

「あの、わたしどれくらい寝てましたか?」

「いや、一旦起きてから、そうだねえ、まだ四時間くらいしか経ってないよ。」

コップに水道の水を注ぎながら背中で答える。

「はい。」

「ありがとうございます。」

コップを受け取るとがぶがぶ飲んだ。首筋に汗が流れる。

「ちょっと暑いかな?今温度下げるから。」

「ありがとうございます・・・。」

再び重い眠気に殴られてがくんと頭が揺れる。

「大丈夫かい?」

と苦笑するおばちゃんにはいと答えて引きずるようにして座敷へ戻りまた眠った。

 次に起きたのは夕方の頃だった。ほとんど丸一日寝たことになる。

 目が覚めたまま横になっていた。これからのことを考えていた。

 もう会社に戻っても働けないな。わたしが失踪したとかで、騒ぎになってないかな。置き手紙とかでも置いていけばよかった。でも、案外騒ぎになんてなってないのかも。

 そもそも、どうやって帰るんだろう。またあの道で帰るのはごめんだ。今度こそ鬼に殺される。今度こそ。あの草原に入ったら、今度はほんの微かなにおいや姿だけで見つかるだろう。

 でももう一方で、全てが投げやりな自分もいた。ここまで来たし、来れたなら、あとはどうにでもなろうと。あの家や会社に誰か待っていてくれる人もいないし、会いたい人もいないし。

 汗で服と下の座布団がぐっしょりだった。温度下げてくれるって言ったのに・・・。

 ゆっくりと目を開けた。茶褐色の木で組まれたありふれた天井と電球があった。電球のカバーももらった服と同じ朱色だった。あのおばちゃんはこの色が好きなのかもしれない。

 今は全てがどうでもよかった。それは虚脱感から来るものじゃなく、どうとでもなれという、後ろを振り返らない強さである気がした。これからどうなるのか、全くわからない。そのことが何よりも楽しく、生きているという実感が手のひらに確かにあった。

 完全回復だ。

 伸びをして、ゆっくりと起き上がった。

 お店には誰もいなかった。

 あのおばちゃんを探してカウンターのあたりをうろうろすると、わたしの服と置き手紙がカウンターの裏に置いてあった。裏に置いてあることが妙に嬉しかった。店の裏側まで来てもいいという許しに見えた。

 手紙はお風呂に入れという内容だった。座布団のカバーも洗うから外しといてとも書いてあった。

 手紙を読んでいるとこれからここに一時的にせよ住むことになっているようなへんてこな感覚に襲われた。

 お風呂でシャワーを浴びた。変な石鹸と乾燥したサボテンみたいなのがある以外は普通だった。洗濯機は、少し古そうだったし、知らない会社の製品だった。

 人は大きく違う環境の方がきっと慣れやすい。さっきから、いや、ずっと前の、あのコンビニに入った時から感じていた、ほんの少しの違和感がずっと頭にこびりついていて、なかなか溶け込めない。

 下着から何から何まで用意してくれていから、それに着替えて、さっぱりして出てきた。

 店の通路で脚を伸ばした。どこもかしこもかちこちに固まっていた。鬼の手から落下した衝撃で脇腹が痛んだ。

 塊まった脚をもんだり伸ばしたりしてしばらく遊んだあと、カウンターの席に座ってぼーっとした。

 しばらくすると眠くなってきてまた座敷に寝転がった。


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