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新天地へ  作者: 時坂 圭一
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途方もない疲れ

 涙を拭き、地面にばたっと仰向けに倒れた。

 青い空がすぱっと斬られてなくなっている。空にもビルの稜線で象られた黒いラインが見える。ビルが高すぎて空に届いているようだった。

 大きく長く息を吐いた。ようやく着いた。長かった。わたしの旅はこれで終わったような気がした。

 喉が渇いていた。冷たい水が欲しい。

 疲れの溜まった重い脚を曲げてゆっくりと立ち上がった。

 おまけになにも食べてない。

 手をついてゆっくりと立たないと、意識を持っていかれそうだった。

 ぺちゃんこになったお腹を抑えつつ、新天地に向き合った。

 道らしい道や標識は見当たらず、たくさんのビルが木々のように所構わず生えて人工の森を作っていた。奥へ入り込むにはその太い幹の間を縫うように通っていくしかないようだった。

 首を真上に見上げると遥か上のほうでは明るい小さな窓がたくさんはめられていた。反対に地上付近は巨大な柱ばかりで人のいる気配はなく、店やビルの入り口なんてありそうにもなかった。

「水・・・。水欲しい。」

そう呟いて頭を覗いても白いピースは現れなかった。

「あれ・・・?」

もうゴールしたってことかな。あとは自分でなんとかしろって?

 何かに導かれてようやくここに来たけれど、来てどうするのかなんて、なぜかさっぱり考えていなかった。終点に着いたら、何かが当然のことのように起こると思っていたのに・・・。

 急に知らない土地におっぽり出された気がした。なんだかんだ、ここに来るまでは一人じゃないような気がしていたのに。

「おーい。」

 ここじゃ声も反響しなかった。漆黒の地面とたくさんのビルは、表面はつるつるなくせに光だけでなく音も全部吸い込んでいるようだった。

 ふらっと一歩前に進んだ。ぺたっ。

 そういえば、さっきまで履いていたパンプスは・・・。

 後ろを振り返ると、あの鬼に掴まれた場所にそれぞれで転がっていた。地平線の彼方まで見やっても鬼の姿は見られなかった。

 転がったパンプスがわたしを惹いた。まるで捨てられて悲しんでいるように思われた。ここまでずっと一緒だったのに・・・。

 おまけに腕時計もちぎれてなくなっていた。

 取り返そうと思って一歩引き返した。

 草原の遠く地平線が蜃気楼のせいか揺らいだ。

「いや・・・。」

 このラインを超えたくない。鬼はどこに行ったんだろう。目を凝らしても全然見えない。

 妙な胸騒ぎがして取りにいくのをやめた。裸足でもこの地面なら大丈夫だろう。時計が無くても、どのみちもう会社のことを気にするような段階ではなかった。

 ごめんねと言ってわたしはふらふらと新天地へ入っていった。

 肉体がもう限界だった。


 鬼の緊張が解けたせいか、疲労のせいか、空腹のせいか水分が足りないせいか同じ色同じようなビルの単調な景色のせいか、目の前がぼうっとしてものすごい眠気が襲ってきた。

 眠い。今すぐここで寝たい。どうなってもいい。どうせ誰にもばれない。さっきから人のいる気配がまったくしない。だからこそ安心して気が緩んでしまう。

 ビルがあまりにも雑然と適当に生えているので、先が全く見えない。

 「通り」すらない街なんて聞いた事もなかった。

 ひたすら脚を動かした。ここで倒れると、もう立ち上がれない気がした。それは嫌だった。せっかく来たんだから。

 振り返ると黒い柱がうじゃうじゃ生えていた。今まで来た道が全くわからなくてぞっとした。さっきまであんなに嫌だったのに、あの草原がもう一度見たいと渇望した。ここはたくさんに囲まれて窒息しそうな、よく考えるほどパニックに陥りそうな気味の悪い場所だった。

 ふと立ち止まった。立ち止まってしまった。前も後ろも同じ景色だ。だんだん自分がどこを向いているのかわからなくなってきた。わたしは今右を向いたっけ?それとも後ろを振り返って目の前の景色があるんだっけ?

 どっちを進んだらいいかわからない。頭の中のピースを探した。ピースなんてわけのわからないものは最初から無かったかのように何も現れなかった。

 呼吸がだんだん苦しくなってきた。空気がない。空気を求めて上を見上げた。ビルに切り取られて米粒ほどの空しか見えなかった。

 全く同じ景色に見えても、脚を止める事はなかった。

 必ず、このまま奥へ入り込んでいけば、必ず何か出てくる。いいものにしろ悪いものにしろ。そう信じるしかなかった。

 ぺたぺたと静かな世界に足音だけが微かに響く。

 少し彩度が上がったような気がして上を向くと、壁と壁が反射し合って細い夕陽がわたしの目に射し込んできた。

「日が暮れる。」

 唐突にさみしさが襲った。誰かに後ろからそっと肩を抱いて欲しかった。

 ぺた。

 わたしは足を止めた。いままで蓋をしてきた感情が、どっと溢れそうになったのでこらえるのにしばらく時間がかかった。

 しばらくじっとしていると、射し込んだ夕陽の光線が傾いてゆき、蒼く暗い、生まれたばかりの闇に少しずつ沈みだした。

 静かだった世界に、わたし自身の音さえも消えて、完全な静寂に包まれた。

 遥か上空ではあの小さく明るい窓の内側におそらくたくさんの人がいるというのに、ここは全く、夜になりだしても人が動き出す気配がなかった。

 だんだん濃くクリアになっていく上空のたくさんの窓を眺めながら、自分が文字通り外部の人間、歓迎されていない人間なんだなあと改めて認識した。

 あの窓の中が羨ましくて、前へ進むことなんてもうどうでもよくなって、冷たい地面に座り固いビルの壁に背をもたれてじっと見ていた。


 眠っていたのか、それともずっと起きていたのか、たまたま意識が微かにあった時、近くでパチンと音がした。

 正確には、パチンパチンと何かが小さく細かく爆ぜる音が聞こえた。

 さっとあたりを見回す。静寂の中に服がこすれる音がする。

 ゆっくりと立ち上がって、音のした方角を掴もうとした。音はたぶん、左手付近から聞こえた。

 妙に音が響かないここで、その音はそこそこくっきりと聞こえた。すぐ近くのはずなんだけど・・・。

 足音を立てないよう踵を上げて、そばの壁に沿ってゆっくりと歩いた。

 角に来くると立ち止まって、そっと奥を覗いた。

 隣のビルの壁に、横長の白い蛍光灯がついていた。蛍光灯は周りを覆う小さく白い格子に守られてあたりを照らしていた。

 誰かいないか、周りと、後ろを振り返って確認した。

 わたししかいない。

 まだきょろきょろとあたりを確認しながら、そっと蛍光灯に近づいていった。

 なるほど、さっきの音はこれか。暗闇に反応して明かりがついただけ。誰か来た訳じゃなくてほっとした。

 すぐ近くまで来てよく観察した。わたしの背よりちょっと高い位置にくっついている。どこにでもある普通の蛍光灯だった。眩しくて一歩下がった。

 それにしても、どうしてここだけにあるんだろう。あたりを見回した。他に蛍光灯がひっついている壁はなかった。

 普通、蛍光灯はその下の何かを照らすためにあるけれど、なにも、扉のようなものもなにもなく、のっぺらとした壁にこれだけがぽつんと取り残されていた。

「君も一人か・・・。」

 この森に取り残され、毎夜毎夜自分の小さな管轄区を照らし続けるこの蛍光灯がたまらなくさみしそうに見えた。蛍光灯に同情するようなった自分も悲しかった。

 それでも狂おしいほどにこの蛍光灯が愛おしかった。たぶんここへ来ていつの間にか狂ったんだろう。

 わたしは恋人の頬に優しく触るようにして蛍光灯を覆う格子に触れた。汚れなんかなくつるつるでひんやりとしていた。

 どうしたって扉なんかないよね、と自分に聞いた。蛍光灯の下の壁は文字通り壁で、巨体を支えているこの壁に、扉があるなんて疑惑をかけるのは失礼な気さえした。

 そう思いつつ、強度を確かめるようにそっと蛍光灯の真下の壁を押した。

 がちゃりと大きな音が響いて、簡単に扉は開いた。


 扉の奥はすぐ壁だった。その代わり、左手に地下へ続く階段があった。

 扉が開いて一番驚いたのは、この蛍光灯はつまり意味があったということだった。なんだか妙にさみしくって裏切られた気がして、よかったね、と吐き捨てて中に入った。

 階段は地下一階ほどまで続き、そこにまた、今度は重そうな、いかにも業務用のくすんだ白い扉がついていた。扉の上にはぽちっとした赤い蛍光灯が煌々としている。

 開いた扉を閉めるべきか迷ったけれど、取っ手の類は見当たらずつるつるしていたので出られなくなると困ると思いそのまま開けておいた。

 もう一度外へ顔を出して、誰にも見られていないことを確認してから、階段を下りていった。

 蛍光灯から届いた光によれば、この階段も外と同じ石でできているようだった。ただ、天井は石とは違い、巨大な空調ダクトが縫われ、たくさんの細いパイプが整然と並び、それらが白い漆喰にごてごてに塗られていた。

「中は普通なんだ・・・。」

 ビルの内部を少しでも覗けてほっとした。なあんだ。じゃあ、あの会社と作りは同じ。新天地のビルはもっと、特別なものだと思っていた。外から見れば、ビルそのものが生き物のように脈づいているように感じた。まるでもとから生えていたビルに人間たちが住んでいるような錯覚があった。

 そうして天井を眺めながら、それでもゆっくりと、下に向かっていた。そもそも開いているかどうか。

 扉は厚くそして頑丈そうだった。この扉には大きな取っ手と鍵穴があった。何度も乱暴に開けられたのか、扉に接する壁はところどころ白いコーティングがはがれていた。

 奥に誰かいないか扉にそっと耳をつけてみる。ひんやりとした冷たさが耳を通して体に伝わってくる。

 中から話し声がすぐそばで聞こえた。それでもくぐもっていてよく聞こえない。扉の向こうは通路か何かかと思っていたけれど、どうやら部屋になっているらしかった。女の人二人がぼそぼそと、時々会話が途切れながらも、それが日常であるかのように再びどちらかがまた話しだして・・・。

 声を聞いているうちにだんだんと意識が遠のいてきて脚の力が抜けびくっと体が震えた。危ない危ない。

 一応、コンコンとノックした。そして返事を待たずに、取っ手を回した。どうなってもいい、もう限界。

 がちゃっと音がして、重い扉はゆっくりと開いていった。

 目の前に二人の人間が現れる。どちらもこっちを見て固まっていた。

 二人ともぱっと見は人間のようだった。四十代くらいのおばさんが二人、カウンターに立つ一人は体が大きくて腕が太い。座っている方の一人は目が大きくてそのぶん大きい隈が垂れ下がっている。

 どちらも目をまん丸にしていた。

「怪しい者じゃ、ありませんので・・・。」

 ごめんなさいと言ってその場で倒れた。


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