撃ちぬいた弾丸は止められない
予想外に柔らかく、まるで迎え入れられるようにして刃が食い込んでいった。
宝石に幾千のひびが入り、さっきまで踊っていた光が刹那に死んだ。刃は最深部の深紅にまで達していた。
刃が食い込んだ瞬間、鼓膜が破れたような、ばりっと音がして、いままで世界を覆っていた透明な膜が破け、あらゆるものが、その本当の姿を現した。
わたしは斧を刺し込んだまま呆然とあたりを見回した。わたしはいままで何を感じてきたんだ?わたしは今になって初めて、本当の太陽の透き通る輝きを、そしてその温かさを知った。体に当たる風の隅々を感じた。凍てつく空気の本当の冷たさを知った。
斧を持ち上げると宝石が食い込んだまま空に上がった。太陽がその宝石に燦然たる光を浴びせた。幾千にひび割れていても、それでも美しかった。
男がおおおおおおと重い叫び声をあげた。泣いているのか、怒りに狂っているのか、ずっとおおおおおおと叫んでいた。
「終わった・・・。」
わたしは宝石を咥えたままの斧を適当に空に放った。宝石は幾億に光りながら地に、もとの場所に落ちていった。
わたしはそのまま仰向けに転がった。
「疲れた・・・。」
薄い碧をした空だった。こんな高さまで来ると空気も薄い。でも何も感じない。寒さも、疲れも、わたしの行動の責任も全て。胸を上下させるわたしの呼吸はもうすぐで止まる。
嗚呼、なんて静かなんだろう。なにも聞こえない。無音のなか太陽の風がやさしくわたしの頬を撫でる。なんだかとても眠くなってきた。
じゃあ、これで・・・わたしの旅は・・・終わり。わたしも終わり・・・。
瞼をそっと閉じた。
ぴぴぴぴぴとどこかでアラームが鳴る。わたしは心地よいまどろみの中、そのアラームの居場所を探る。ああ、もっと寝たい。だめ、また眠りに沈んでいく・・・。
「おい、起きろ。」
眠気が全身からさあっと引いていく。
がばっと起き上がると、わたしは天空にいた。そしてそこには彼が立っていた。あたりは風に包まれ、強い風が吹き荒れていた。
「なんでここに・・・。あれ、どうして・・・?」 わたしはなんでまた目を覚ましてるの?
はっとして両腕を眺めると相変わらず真っ黒に染まっていた。
「いいからアラームを止めろ。」
腕時計が十二時を指していた。
「パスポートの更新の時間だ・・・。」
わたしはでたらめに盤面の横に付いているボタンを押した。アラームは止んだ。
「まったく・・・、よくそれでここまでこれたな・・・。」
すると、どんと床に震動が走り、下の方から轟音が響いてきた。
「な、なに!?」
彼を見ると無言のまま首を横に振った。
慌てて床に手をついて下を覗くと、数十メートル下の方から真っ赤な火炎が真横に何メートルも吹き出していた。
「どうしたの!?」
「始まったんだ。みんな気づいたんだ。もう暴動が始まってる。特に・・・実験室はひどい。」
「わたしのせい?」
「すぐに気づいたよ。お前の旅が終わったんだって。案外早かったな。俺はあのあと、あそこでずっと待機してたんだ。なにか、あった時のためにな。そしてなにかがあった。俺も、みんなが気づいた。その後すぐに暴動が起こった。みんな、抑圧されてたんだ。半狂乱になってみんなここから出ようとしてる。だから中枢区に入るのは簡単だったよ。システムがどんな警告を吐こうが誰も気にしない。ここは、永い時を経ていままさに終わっている時なんだ・・・。はは、まさかと思ってここに来てみたら、お前がぐーすか寝てるんだからな、笑っちまったよ。」
「違う!違うの!見て、これ。わたしここの水に浸かっちゃったの!あの毒の水溜りに!」
「ああ・・・。それか。もう古い話だよ。それは。あの男がそう言ったのか?いや・・・、そしてお前を殺そうとしたのか・・・。」
彼は驚いたあと言葉を切って下を見た。なぜかとてもかなしそうだった。
「この黒い水はもう、毒なんか入ってない。」
そう言って彼は床に滲んだ黒い水をすくい取ってさらさらと流した。「ただの黒い水だよ。」
「ここの石は、ずいぶん前に成長を止めてる。ここはもう、老いてるんだ。じきに水も止まるだろう。だからもうその水に石の成分なんて入ってない。ここだけじゃない、新天地自体が、もう成長を止めている。あの男は、それに気づいていたはずなのに・・・。」
「じゃあ・・・。」
「ああ。お前は死なない。まだな。」
と言ってにやりと笑った。わたしは真っ黒に染まった両腕を空に伸ばした。
「そっか、死なないのか・・・。」
再び大きな揺れが響いた。さっきよりも大きい。
「これからどうなるのかな?」
「さあな。何が起こったのかすら、俺も、みんなも、よくわかってないからな。ただ、今まで何かが抑圧されていて、いま解き放たれたっていうのは、はっきりと感じるんだ。俺は、俺たちは何をやっていたんだろうってね。みんなが何を感じているか、お互いがわかっているんだ。」
わたしは彼にあの男との会話を全て話した。彼はずっと黙って聞いていた。その間も時々ビルが揺れた。
「なるほどな。」
話し終わると、彼は空を見上げて呟いた。「そんなことされてたなんて、全く気づけなかったな。俺はまんまと嵌められてたってわけだ。どうりで追っ手が少ないと思ってたんだよ。くそっ、何にも疑問に思わなかったな。自分で作ったそのマークすら忘れていたよ。」
「わたしは、正しいことをしたのかな。」
「崩壊しない文明なんてないさ。」
彼は遠くを見つめたままそう言った。
「どのみち、時間の問題だったんだよ。おそらく。この世界が停止することなんてないんだ。どれだけ止まっているように見えても必ず変化はどこかで起こっている。ここは老いていき、あらゆる人の抑圧はどんどん高まっていく。」
「あいつらの考えたシステムは間違っていたと、俺は思うよ。今、この悲惨な現状を見る限りな。遅れていたらもっと悲惨な結果を招いたと思う。」
「これからどうなるのかな?」
わたしはもう一度彼に聞いた。恐くて仕方が無かった。わたしの生が延長された以上、わたしは死ぬまでこの行為を考え続けるのだろう。
「ここにいる、この景色の中にいるみんなも、何をされていたのか知るのは時間の問題だろう。そうすれば逆襲の時が始まる。鬼狩りだって始まるかもしれない。これからの当分は、いままでの抑圧されたものの清算に費やされるだろう。そのまま文明が崩壊するのなら、それは、仕方ない。君のせいでも、もしかしたらあの男のせいでも、誰のせいでもないのかもしれない。」
しばらくわたしたちは無言だった。風の音だけが聞こえていた。
「なあ、これから、どうするんだ?」
彼は明るい声でわたしに聞いた。
「こんなことになって、何も考えられないよ。」
「お前の旅は、お前自身の旅は、また別の話だろう?これからどうするんだ?お前は。」
彼はわたしを見ていた。引き金を引いたわたしではなく、ここまで歩いてきた一人の人として。
わたしは、これからどうするんだろう。この旅は、わたしにとってなんだったんだろう。最終的にこんなにも大きな意味に絡めとられてしまったけれど、わたしは、こんなに大きなことをするために旅に出たんじゃなかった。この旅の意味は。この旅の、わたしにとっての意味は。
あの男は、大きな勘違いをしていた。わたしがここに来た理由、ここに向かった理由。それは好奇心なんかじゃなかった。旅の途中ではそれに駆動されていた時もあったけれど、あの日、わたしが新天地に気づいたのは、ここへ来たいと切に思ったのは、ただ、さみしかったからだった。そんな単純な理由だった。だれかと話したかった。でもだれとも話したくなかった。だれかに見つけてほしかった。でも誰にも気づいてほしくなかった。どこにも行き場がなかった。
あの日トイレで見た新天地は、あの美しいビル群は、そんなわたしを誘っていた。なんの色も持たないわたしを。あなたの行くべき場所はここだと。
遥か天空から地上を見渡した。行き着くところまで行き着いた。
「あの日家を出た時から、何か変わったのかな。」
「変わったどうかはわからんが、いろいろ知っただろ。」
彼はぶっきらぼうにそう言った。わたしは何のことか最初はわからなかった。確かに、この世界には知らないことがたくさんあった。漠然と広がり続ける工事現場や、旧文明の生き残りが闊歩する広大な草原や、そして驚くべき自然の現象で生まれた新天地。人間に触手の生えたものや、全く違うもの。いろんな色のたくさんの種族たち。
けれど彼の言い方は何か少し違った。それを指しているようではなかった。
「どうやって、ここまで来れたんだ。」
彼は遠くの方の景色を見ながら、ゆっくりと言った。
ああ、そうか。この旅の意味をわたしはようやく知った。
わたしは旅の間ずっと違うところを見ていた。旅の終わりに何があるのか。この旅の終わりに何か待っているんだろうか。旅の終着点になにか大きな意味があると、そればかり考えていた。
でも、それは違った。そんなことに最初から大きな意味はなかった。旅の終わりのことなんて、最初はなにも考えていなかった。単純な理由。ここから出たくて、好奇心もあって、頭の中の白いピースに従っただけ。新天地に来てしまえば、もうあとは引き返せなかったから、進めるだけ、前に進んだだけ。わたしがここにいるのは、運命のような、ある大きな意味を持ったものでもなんでもなく、ただその結果として、いまここにいるというだけ。
「重要なのは、わたしがここに来れたってこと。」
そう、それだ。
「色のある人たちが羨ましかった。色のある人たちはみんなの目に留まるけど、わたしは何の色も持たないから、誰も気づけない。でもそれは仕方ないことだって、そう思ってた。」
「でも、ここに来るまでに、わたしの言うことに耳を傾け、手を差し伸べてくれる人がいた。」
倒れたわたしに寝る場所を用意し、お風呂を貸し、着る服を用意し、最後にサンドイッチを包んでくれた新天地のおばちゃん。ここに入るパスポートを作ってくれ、命がけでここまでわたしを送り届け、そして今目の前にいる彼。
「だからここに来れた。だからいまここに立ってる!こんなわたしでも!わたしは間違ってた・・・!そんなことなかったんだ!色がなくったって、なんにもなくったって、わたしが声を上げた時、ちゃんと気づいてくれる人が、耳を傾けてくれる人がこの広い世界にはいるんだ!そのことを、わたしは知ったんだ!」
わたしの声は空を割き遥か地平線の彼方まで届いた。
この広大な世界が、少しだけ安心に包まれた場所に見えた。
「まだ旅を続けるのか?」
彼は面白そうに聞いた。
「旅・・・。どうしよう。何も考えてなかったな・・・。」
こんなところまで来て、こんなことになって、わたしはこれからどうするんだろう。
でもやっぱり旅は、もうするつもりはなかった。
「旅は、いろんな人のお世話になるから。今回でわたしの旅は終わり。会社にでも帰るかな。もうクビになってるだろうけど。」
「お前、まだわかってないな。本当に俺たちが迷惑になってると思ってるのか?したいと思ってしただけだ。調子に乗るな。まあ、みんな、そうされてきたんだよ。たぶんな。俺だって、ここから飛び降りる時、少しだけ手を貸してくれた人がいた・・・。だからほっとけないのかもな。今度は自分の番だって、思ってしまうのかもしれない。」
「もしかして、あの樹みたいな人?」
「ああ、そうそう。会ったのか?え・・・お前、実験室に寄ったのか?はは、ばっかだなあ!どう考えてもリスク高すぎだろう!」
「ばか、違うの!・・・別に、もういいけど。楽しかったし。その人との会話ももう言わないから!」
「俺のこと覚えてくれてた?」
「知らない。」
「冗談だって冗談・・・。」
「うん?どうかした?」
彼は突然黙り込んだ。額に手を当てて遠くの方に目を凝らしていた。彼の視線を追うと、遠くの地平線の広い範囲に渡って大きな砂煙のようなものが昇っていた。
彼が始まったと言ったのを思い出した。
両手を広げると真っ黒な手が震えていた。




