ラン・データ・ラン
【第31回フリーワンライ】
お題:簡単には逃がしてやらない
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
(後四十分……!)
彼は住宅街の細道を走っていた。
ロードワークをしているのではない。追っ手から逃げいるのだ。
喘息のような呼吸が口から漏れる。
最初こそ勢いよく動いていた手足も、今ではすっかり反抗的になってきていた。出来るだけ目立たないようにしたいが、とはいえ、上がりきった息は隠しようがなかった。
どこかで休む必要がある。可能なら人目に付かないところで。
――と、首尾良く公園が見えてきた。公衆トイレでなら、一時しのぎが出来るだろう。
あわよくば追っ手を振り切ることまで考えながら、公園に入ってすぐ右手にあったトイレに飛びついた。
男性用の――無論女性用の方もだが――入り口は固く閉じられていた。
「おい、開けろ!」
彼はドアに向かって怒鳴った。中に入っている人に、ではない。ドアに怒鳴った。
ドアに取り付けられた、覗き窓のようなモニターが点灯する。二本の横棒が表示され、二つの山になった。それは抽象化された笑顔だった。
『はい、ご用はなんでしょう』
笑顔のドアが言った。正確にはドアのAIが。
ハッピーニューロAI。高度に発達したテクノロジー社会の結晶だが、行き過ぎてなぜか公衆トイレの入り口にすら設置されている。ただ開閉するだけの扉に、なぜ人工知能が搭載されているのかはわからない。
「中に入りたいんだ、開けてくれ」
『はあ……』
ドアが要領悪く言った。目には見えないが、何かセンサーで捜査されたような間を感じる。
『失礼ですが、便意は催されていませんね』
「おい」
『しかし随分発汗しておられる。乳酸の反応もあります』
「やめろ。いいから開けろ」
『悪漢に終われているのならポリスボックスは向こうにありますが、脳波からすると危険は感じていないようですね。カウンセラーをご紹介しましょうか』
「余計なお世話だ」
彼はドアを蹴飛ばすと、トイレで休息するのを諦めた。
小走りで離れる背中に、ドアが声を投げかける。
『近くにいいカウンセラーがいるんです。ええと、あなたの名前は――』
ドアがネットワークに接続し、国民データベースにアクセスする気配を感じて、彼は本格的に走り出した。
余計な時間を食った上に、追っ手をおびき寄せるような真似までしやがって。
服が汚れることにも構わず、雑木林に飛び込んだ。藪で服の裾を引っかけたが、捕まるよりはマシだった。
今やあちこちに張り巡らされたPCの目も、よもや林の中までは届くまい。彼はようやく一息吐いた。
PC。それがパーソナル・コンピューターの略称だったのは二十一世紀の中頃までだった。現在では個人専用端末というものがそもそも存在しない。
CPUの大容量化、通信網の高速化の果てに究極の遠隔操作が実現し、今やコンピューターは国が保有する一台のみだった。全国民は一人一人に割り振られたアカウントに情報を紐付けし、適宜コンピューターにアクセスして利用する。
もう一つ、個人用端末が廃止された理由として、今世紀初めに爆発的に普及したスマートフォンの存在があった。人々はこぞってそれを使い、自分の手元しか見なくなった。誰も自分の周りを見ず、関わらず、その結果個人主義が先鋭化して、肥大化した自我が衝突して「個人間戦争」などという冗談のような事件まで発生するようになった。
そこで個人用端末は全世界的に禁止され、自分と他人と“コンピューターとも”コミュニケーションする世の中となった。例えば先ほどのトイレに搭載されたハッピーニューロAIがそうだ。
トイレ以外にも、人々の利便性に貢献するために様々な形のアクセス端末が街中に溢れている。ポストや電柱、改札口、街路に面した窓、鏡など――それらを総称してパブリック・コンピューター、PCと呼ぶ。
PCには人型をしているものもある。追っ手がまさにそれだった。撒いても撒いても追ってくる。それは追ってがPCを次々乗り継いで来ているからだ。
だからこうして人目に付かない林に潜んでいれば、発見されることはないだろう。
彼は地面にへたり込みそうになったところで、がさり、という音を聞いて慌てて顔を上げた。
果たして藪の中から顔を出す犬がそこにはいた。
「なんだ犬かよ……?」
一見して犬にしか見えなかったが、そのこぼれそうな光を湛えた潤んだ目の奥で何かがチカチカ瞬いているような――
(こいつもPCか!)
慌てて走り出した背中に向かって、犬、いやPCの犬型端末が吠えた。あれは仲間を呼ぶ合図に違いない。
こうやって人知れず追い詰められるよりは、いっそ人混みに紛れた方がいいかも知れない。無関係の人間には悪いが、もうなりふり構っていられない。
(後三十五分……!)
繁華街に逃げ込んだのは完全に逆効果だった。なりふり構わなくなったのは向こうも同じだった。
人混みをかき分けて逃げ続けるが、そんな彼のすぐ後ろで、あるいは真横で、自律移動出来るPCが次々と追っ手に乗っ取られていく。
コンパニオンのガイノイドが、がくん、と天啓にでも打たれたように大きく跳ねた。次の瞬間にはデータのロードが完了して凶悪な追っ手に変じている。
大手スーパーの買い物カートが炸裂するように一斉に動き出す。
ゴミ拾いのガーベージ・ロボットが燃えるゴミを撒き散らしながら躍りかかってくる。
彼はついに、商店街の真ん中でPC達に包囲された。
『さあ、観念しなさい』
口々に最後通牒を述べてくる。
『宿題の提出期限は後二十分しかありませんよ』
彼は諦観とともに肩を落とした。従うしかない。AIにとって設定は絶対だ。
せめて、提出期限さえ過ぎれば、次の期限までは大人しくなったものを。
高度に発達し、個人用端末が消え失せた時代。
その時代では、とうとう「宿題AI」が宿題するよう迫るようになっていた。
『ラン・データ・ラン』了
タイトルはドイツ映画の『ラン・ローラ・ラン』から。内容はまったく関係ない。
逃げられないものってなんだろうと考えて、まず締め切り(なんのでもいいけど)を思い付いて、もっと具体性のあるものをと宿題にした。
発想の原点は『銀河ヒッチハイク・ガイド』のハッピーなんとかドア。もしくはエレベーター。あのうざったい押し売り感で宿題を押し付けてきたら面白いんじゃないかなーと。後は『ブライトライツ・ホーリーランド』で人工精霊ジブリールがスラーン教徒の体に乗り移って追跡してくる感じでアクションしたかった(願望)。
まとまらなくて消化不良感。