白き死の天使
序
リトウール王国は、この大陸を横断する交易路と国境を接してはいるが、交易地を持ってはいない。石炭や鉄鉱石、原油といった地下資源は眠ったまま放置されている。
大陸の中原に位置するグリクース王国は大陸の南方から北方までを支配し、交易路とその要衝を確保していた。豊富な地下資源を採掘し、工業発展を遂げていた。つまり、国内経済が豊かで、貿易も盛んな国であった。
歴代のリトウール王は、眠っている地下資源には目を向けてはいなかった。ただグリクースの有している経済力と、交易地を欲しがるだけだった。
交易路を通る主要産物は、絹や貴金属、香辛料が主体であった。絹の主産地は、大陸と海を隔てたズースリー帝国で、独自の文化を築いていた。また、リトウールでも交易路から外れていることもあり、独自の文化を築くより他はなかった。その良し悪しは別だが。
グリクース暦七百六十二年、リトウール王国はグリクース王国に侵略を開始した。
何故グリクースなのか。南方に国境を接するドータレス王国は、軍事大国として知られ戦力が違いすぎ、西方に国境を接するロングデイル王国とは大きな山脈に阻まれていたからだ。そして何よりも、先に言及したようにグリクースの経済力に着目したからである。
リトウール王の選択は大きな間違いであったと言わざるを得ない。グリクースは、軍備に予算を割いてはいなかったが、その強大な経済力で大量の傭兵を大陸全土から雇い入れたのだ。戦争は三年間続いた。良く持ったとも言える。資金量、軍人の数、装備の質。どれを取ってもリトウールがグリクースに勝るところはなかった。
更に言えば、ある男の存在がリトウールではなく、グリクースに有った事がリトウール王にとっては悲劇であった。
その男の名は、レアル・リーグ。リトウール王国出身。傭兵。ズースリー帝国出身の父と、リトウール王国の商家の娘との間に生まれた。父親は軍人であったらしい。らしい、と言ったのはレアルが生まれる前に死んでいるからだ。幼い頃に母親から、歩兵ではあるが軍人であったと聞かされていた。母親は発狂して、取り押さえようとした兵士に殺された。彼が七歳の頃であったと言う。目撃者の話では、斬り殺す必要も無いのに斬り殺した。殺しながら死体を犯していたという。しかも、レアル自身の目の前で、その行為に及んだと言う。何ともむごい事だ。それ以降、彼がリトウール人に対して向ける目は憎悪に満ち溢れたものとなった。
この物語は、筆者が彼、レアル・リーグとの談話をまとめた物である。彼の語りは奇妙だ。時間軸がずれる事が多い。回想していたのであろう。また、独りで当時の会話を再現していた。語り手としては奇妙でもあり、人を飽きさせない語りを身に着けていると言っても良いだろう。…話がずれてしまったようだ。
彼の語りは、剣を修行し始めた頃。つまり、彼の母親が惨殺された頃から始まる。
一
よう、何で俺の話が聞きたいなんて言うんだ? 面白くも何とも無いぜ。…ふん、まあ、良いか。話してやるよ。…何から話すか。
母親の話? …よく取材しているじゃないか。それで良いだろ。…ああ、そうさ。俺の目の前で殺された。何人もの兵士が母を犯しながら短剣を胸に突き立てていたよ。あの光景は今でも忘れられん。
死体を犯して満足したあいつ等は、すぐ目の前で腰を抜かしていた俺も殺そうとしたんだ。あの恐怖も忘れられん。
あの時ラウールに助けられなかったら、今頃こうしてのんびり話してなんていられない。ああ、ラウールか? …調べていないのか? お前も面白い奴だな。…まあ、良いか。彼はリトウールで禁忌の民として知られた部族の長だ。年齢なんかは知らない。教えてもくれないし。それに、いつも全身を覆うベールを纏っていて、顔も滅多に見ることなんて出来ないぜ。
彼は剣の師匠だ。とは言ってもアドバイスしてくれただけだがな。それよりも重要なのは、情報が正確で早いという事だ。あいつの情報で何度も助けてもらった。
あいつは何も言わずに俺をさらっていったんだ。あっという間に。ああ、でも嬉しいとか、助かってよかったとかは思わなかった。ただ、怖かった。
ああ、母の弔いもラウールが仕切ってくれた。俺達はラウールの一族が多く住む貧民屈にいたからな。…全部が終わっても、俺は腑抜けていた。誰が何を話しかけてきても、応対なんか出来なかった。…俺の髪はもともと黒かったんだぜ? 知らなかっただろうな。今は銀髪のように全部が白くなっている。見ての通りだ。…あの惨劇の恐怖を味わったからだとラウールには言われたよ。
母が死んでから、すぐに生活できなくなった。…そうさ、働き手がいなくなったからな。もっとも、彼女は父が死んでから春を売って生活費を稼いでいたんだけれど。まあ、それですぐにラウールに引き取られたのさ。
あいつの一族は、何でもやるんだ。呪術師から貴族や商家の召使まで。勤労意欲は凄いぜ。でも、禁忌の民だから働き口は少ないけどな。ああ、それはまあ良いか。ラウールは呪術師としての評判が高かったのさ。彼の占いを聞きにくる連中が多かった。医者の代わりに病人の治療もする、結構忙しい男だったよ。
引き取られるとき、交換条件が一つだけ有ったよ。剣の修行をしろって。毎日、剣の稽古をすれば、飯を食わせてくれてベッドに寝かせてくれると言ったんだ。旨い話があったものさ。でも、毎日奴は見に来たんだ。ちゃんとやっているかってな。やっていないと飯抜きだったよ。
毎日言われたよ。もっと速く振れってな。刀を速く振るには足腰の鍛錬が不可欠だ。自然と街中や山や草原を走り回るようになった。重い木刀を作ってそれを速く振れと言われるようにもなった。
今考えると、この俺の異名がついたのは、ラウールに言われた事をやったからかも知れん。…どう思う?
確かに、彼の外見は頭髪は銀髪のように白く、精悍な顔立ちをしている。ズースリーの血を引くせいかどことなくエキゾティックな印象も受ける。一言で言えば、かなり見栄えの良い男だ。
剣の強さは尋常では無い。優男のような外見からは想像もつかないほどの剣の使い手だ。・・・そして、残虐だ。敵味方関係なしに斬り捨てるという噂があるほどに。
彼の異名は、「白き死の天使」と言う。
どうやら俺の異名が気になっているらしいな? 何で付いたか教えてやるよ。…敵だろうが味方だろうが、気に入らない奴は斬り殺すからさ。特に、自分の敵はな。たとえ味方の軍勢や騎士だろうが、敵意を向けたり俺をバカにしたりする奴は斬り殺す。
だから、俺の周りには死がたくさん転がっているんだ。それで付いたのさ。最初はただの殺し屋みたいな呼ばれ方だった。「殺し屋レアル」だったかな? …敵部隊を一回の戦闘で、何百人か斬り殺したら、敵から「死の天使」って呼ばれるようになった。そうしたら、味方の奴が、俺の頭が白いからって「白き死の天使」って呼びやがったのさ。もっと気の効いた呼び方をして欲しいものさ。言い難いだろう? …まあ、俺にとってはどうでも良い事だけれどな。
でな、リトウールが戦争をグリクースに仕掛けたときは、おれは十五歳の糞ガキだったんだ。でも、剣の腕はラウールも認めるほどになっていたんだぜ。…だから、俺はその頃にはもう独りで生活していたんだ。何をしてかは想像つくんじゃないか? そう、金で人を殺す商売をしていたんだ。気持ちよかったぜ。憎たらしい連中ばかりだった。俺の母を殺した連中みたいな、それこそ豚よりも性質の悪い奴等ばっかりだったからな。
ああ、軍に入った理由が聞きたいのか。腕前がどうかは話したから良いか。…金と、奴等への復讐さ。俺はリトウールの人間を皆殺しにしてやりたかったんだ。だってそうだろう? 母を殺され、理由もなく蔑まれる民に育てられたんだ。
ラウールの一族がなんでリトウールに拘っていたのかが信じられないぜ。だって、他の国に行けば扱いが違う。勤勉で実直、口が堅い。貴族の執事や、商人の召使として立派に仕事が勤まるし、それを望まれてもいたんだ。…不思議だよな。
二
彼の言う復讐とは、母を殺したリトウール兵に留まらなかったのだ。彼の怒りは、それを許す精神的風土、つまりリトウール人全体に向いた。当時のリトウールでは、兵士は何をやっても許される特別な存在であった。しかも、女性にたいして男性がどのような暴力を振るおうが(例え殺そうが)、許される風潮があったのだ。他国ではとても考えられ無い事だが。
そして彼は自らが告白したように、十五歳で従軍した。リトウール軍ではなく、傭兵を募集していたグリクース軍に。
ああ、金も理由の一つさ。良い給料だったぜ。俺がグリクース軍に雇われていたのは、金が大きな理由だ。…いや、金だけか? 復讐もあったけどな。
で、何から話す? 戦闘の場面を話してもつまらないだろう? …いや、普通の神経なら耐えられんかもな。…時間が経つのは早い。従軍してから、あっという間に三年が経ったよ。十八歳になってすぐに戦争は終わったのさ。グリクース暦七百六十五年の夏だな。…余計なお世話だったな。お前はそうした事が専門だったな。
何十回も、いや何百回も出陣したよ。歩兵として。父の形見と言われたズースリー伝統の武器を持ってな。…刀の事は知っているんだっけ? 知らないのか? 面白い奴だな、お前は。まあ良いか、話してやるよ。
一般的にこの大陸で使用されている剣は、リトウールも含めて両刃の剣だ。使用目的に応じてその形が違う。大きくて重い剣は相手を薙ぎ払い、叩き斬る。細くて軽い剣は相手を突いてから斬る。…歩兵は槍と軽い剣を持っているのが普通だ。で、騎士なんかは槍と重い剣を持つのが通常だ。ああ、指揮官は軽い剣を良く持っているな。重い剣を通常「大剣」と呼んで、軽い剣を「片手剣」と言うぞ。見たままの呼び方だから分かるだろう?
俺の? 俺のはさっき言った。ズースリー伝統の刀。片刃で、用途を選ばない。突く、叩き斬る、滑らかに斬る、いなす、…そうした事を一本で出来るんだ。まあ、長い短い程度の差は有るぞ。ほら、今持っているのがそうだ。長いのと短いのが見えるだろう? 大刀と小刀と呼んでいるが。…他に質問はあるか? …良さそうだな。
槍は余り使わなかった。支給される槍はただ突き刺すしか能が無い。そんなものいくつ持っていても無駄だ。斬り払えなければ好みじゃない。…だから、いつも刀しか持って出なかった。
「何故リトウール人のお前がこの軍に志願した?」
採用面接のときに言われたよ。で、こう答えたんだ。
「リトウール人を皆殺しにしたいので」
絶句していたな。でも、それ以上は聞かれなかった。即採用にもなったしな。希望は叶えられなかったよ。…見て分かるだろう? グリクースは占領しただけで、後は何にもしていない。腐った豚どもがうようよしていやがるぜ。
俺は斬りまくったのさ。豚どもを。豚以下の連中の軍隊を。返り血に浴びる俺を見て、皆が恐怖していた。それは自分でも分かったよ。グリクース軍の連中からも恐れられ、避けられるようになったからな。上司からも疎まれた。
「リーグ、お前は腕が立つから、真っ先に斬り込め」
そう命令されたんだ。まあ、願ったり叶ったりだ。戦場へ出て一年かな? それ位がたった頃には、独りで斬り込んで行って一個騎士団を全滅させていたからな。…大体百人位か。ああ、言って置くが、俺は人殺しが好きな訳じゃないぞ。理由もなく殺したりはしないさ。
彼は、今、理由もなく人殺しをしないと言った。…しかし、それは事実ではない。彼はリトウール人を、「リトウール人だから」というただそれだけの理由で殺しているのだ。何の罪も無い一般の人々を。金を貰う訳でもなく。ただ殺してきた。だからこそ、「白き死の天使」と呼ばれ、恐れられ、更に人殺しとして指名手配されるようになっているのだ。…今、筆者であるこの私は、あるつてを辿り(情報源は伏せさせて貰う)、彼と対面している。それは何故か。何故「白き死の天使」がただの人殺しに成り下がってしまったのか。そこに興味が向いたからだ。
三
話を続けるか? 戦争が終わって一年位が経った頃かな? 王宮の資料室に忍び込んだんだ。…何故? 決まっているだろう? 母を殺した連中が誰だったのか、戦争後どうなったのか。それが知りたかったのさ。…分かったよ、全員。奴等は記憶では六人だった。当時の記録でも、貧民屈の警戒担当者は六人の部隊だったのさ。一人が戦死していた。残り五人は、戦後何食わぬ顔で名誉回復されたんだ。当然、母の強姦や殺害に問われもせずにな。…お前はそうした事が許せるか? 自分の親が犯され、そして殺され、その犯人がのうのうと生きている事が。どうだ?
分かれと言っても無駄か。ふん、まあ良い。…で、五人のうちの一人が、軍に残っていたんだ。…ただの警戒担当者だったくせに、騎士の資格を得ていたんだ。しかも、敵だったグリクースのだ。余程処世術に長けているんだな。ふん、それもどうでも良いことか。殺したからな。…でも、殺す前に奴は叫ぶように言い訳をしたんだ。
「あの女は自分から股を開いたんだ! さっさと犯せと言って! 絶頂のときに、剣を突き立ててくれと頼んできたんだ! 俺達は言われた通りにしただけだ!」
ふざけた話だと思うぜ。そう思わないか? 殺される前の言い訳にしてもふざけすぎている。すぐに短刀を腹に刺してやったよ。…でも、すぐには死なないからな。出血多量で死ぬまで、気を失わない程度に嬲りながら殺してやったよ。
で、次の年だな、もう一人殺した。七百六十七年の冬か。正確に言うと一人じゃないな。家族や使用人を皆殺しにしたからな。…あいつは商人になっていたんだ。結構はぶりも良かったらしいな。使用人が二十人近くいたからな。全員がリトウール人だった。だから心置きなく皆殺しにした。あいつも最初に殺した奴と同じ事を言った。
「股を自分から開いて犯してくれと言った! 殺してくれと言った!」
だって。口裏を合わせるにしても酷い言い訳だ。そいつを殺したときのことを話してやろうか?
この事件は、世間で大ニュースとなった。知らない者はいない位の。その人物は、寝室で殺された。しかも妻や使用人と称した愛人の四人で淫行にふけっているところを斬殺されたのだ。しかも、金品は強奪されていなかった。通いの使用人の証言では、皆が主人の淫行を当然の事と考えていたそうで、その事もゴシップになった。他国では考えられない。…しかし、淫行を知っていたからといっても、眠っていた使用人を二十人近くも殺害した事は許される事ではない。
筆者が知る限りでは、警察当局が捜査しても犯人像すら掴めず、迷宮入りしているという事だった。世間では、痴情のもつれ、怨恨、様々な憶測が乱れ飛んだ。そして、いつの間にか忘れられていった。
三人目もリトウールで商売をしていたよ。…奴も同じだった。そして、同じ事を言った。…ふざけすぎている。俺もさすがに激怒したね。淫行の真っ最中にそう言って命乞いをしたんだ。素っ裸で。母が狂っていたと。言われた通りにしただけだと。だから助けてくれと。…他国人のお前はどう思う? …あのときも女達は即死させたんだ。奴よりも先に。ああ、奴は嬲り殺しだ。お前は当然知っているんだろう?
確かに、筆者も良く知っている。殺害された人物は全裸で、バラバラに近い状態で発見された。ベッドの上で女達が心臓を一突きされて即死していた。
リトウールの、いや、グリクースの警察当局は、特徴的な切り口からズースリー帝国製の「刀」で殺害された事に気が付いた。そして、残虐な手口、心臓を外さずに剣を突き立てる事の出来る人物として、このレアルを容疑者として特定した。
まあ、三人殺せば、大体は掴めるさ。あの後でも俺が犯人だと分からないようなら、グリクース王国も長くは無い。…余計な話だな。
で、残り二人になったんだが、さすがに見に覚えのある奴、しかも処世術に長けている奴等の事はあるぜ。あっという間に財産を処分して逃げ出しやがったのさ。
ちょっと聞き込んだらすぐに分かったけどな。…一人はオートリー共和国まで、わざわざ逃げたよ。大陸の東に渡って、それから海を越えてだ。ご苦労な事だ。
もう一人はそこまでは行かなかった。途中のベトルシ王国で腰を落ち着けたんだ。で、先にベトルシに逃げた奴を追ったんだ。
四
彼がベトルシに向かった頃、既にグリクース王国警察当局からベトルシ王国警察当局へ、協力要請が出されていた。当時、両国は比較的良好な関係を構築していたために、それが実現した。ベトルシ警察当局が彼を拘束し、グリクース警察当局へ引き渡す約束になったのだ。
ちなみに、ベトルシ王国はズースリー帝国の文化の影響を受けていて、「斉の宮」と呼ばれる、巫女に当たる人物が一定の権力を持っていた。彼女達は物事の吉凶を占い、その吉凶を変化させる術や儀式を執り行っていた。…当然、レアルの事も彼女達によって既に警察当局へ情報が提供されていた。
昔はな、俺は母にべったりで、よく近所のガキどもにバカにされていたんだ。でも、気にしてはいなかったな。…とにかく母が好きだった。反抗した事なんて無い。綺麗な、とても良い母だった…。でも、いつの頃からか春を売る商売に身を落としていた。…俺はそれが許せなかった。父だけを愛していると、そう言っていた母が、そんな事までして俺を育てようとするのが許せなかった。自分が許せなかった。ただのガキが、自分の事を許せないと思っていたんだ。
ところで、俺が殺した奴等は、皆が同じように言っていたんだ。
「お前の母親は狂っていたとしか思えん!」
でな、狂うってどういう事だ? どういう意味だ? だからどうだと言うんだ? それで殺人が正当化されるのか? 狂っている人間を殺しても構わないのなら、狂っている人間に殺されても構わない事になるんじゃないのか?
何度も言われた。戦場でな。味方の騎士や歩兵達から言われたよ。
「お前は狂っている。人を殺す事に狂っている」
そう言われた。だから異名が付いた。
「狂っているお前には、死が取り付いている。死をもたらす天使だ。いや、悪魔だ」
お前はどう思う? 俺が狂っていると、あいつらと同じように思うか? …いや、言わなくても良い。大体分かる。数多くの戦功を挙げた人物が、ただの人殺しになったのは何故か? そう思って俺のところに来たのだろう?
この際だからはっきり言っておこう。戦場では、人を多く殺せば殺すほど喜ばれるんだ。でもな、戦争じゃないときには、どんな理由であっても殺す事が許されなくなるんだ。どんな理由があってもだ。母を殺されようが、何をされようが、法に従えと。国王とはじめとする統治者に従えと。平民は貴族に従えと。
「平民の分際で、貴族である私に意見するのか!」
「歩兵の分際で、騎士である私に逆らうのか!」
こんな感じだ。例え殺されても逆らう事は許されん。ああ、話がずれたようだ。
…でも、俺は何の為に戦争をしてきた? リトウール人を皆殺しにしたいと思っていた。それは何故だ? 大勢の男が一人の女を犯す、男が女を殺す、兵士が民衆を殺す、貴族が平民を殺す、…そうした事に我慢が出来なかった。それを許すリトウール人が許せなかった。しかも、目の前でやられたんだ! 自分の目の前で!
お前はそれを仕方が無いと言って許せるのか? 愛する母親を目の前で犯され、殺されても、連中を許す事が出来るというのか?
筆者には、彼の問いに答える事は出来ない。…自分でも分からないのだ。自分の身に振りかかってこなければ分からない事なのかもしれない。
話を四人目の奴に戻すか。…奴は警察機構に助けを求めたんだ。身に覚えがありすぎるって思ったよ。…最初から母を犯すつもりだった、殺すつもりだったと。そう思った。その話は、国境沿いの村で聞き込んだんだ。でも、国境を普通に越えるのは難しかった。…だから、山の方へ回り、森や林、草原を抜けて国境を越えた。
ベトルシの警察機構を甘く見ていた訳ではなかったが、すぐに見つかった。国境を越えてすぐの村に近付いたときだった。
「刀を捨てて投降しろ! もう逃げられんぞ! お前を取り囲んだ!」
指揮官らしき男がそう叫んだよ。…凄い殺気だった。逮捕するというよりも殺す。そういう考えのようだったな。
「…刀を捨てても斬り殺すつもりだろう? 殺気が凄いぜ」
そう言ったら驚いていたよ。逮捕命令じゃなくて殺害命令だ。そう判断した。あいつらも気の毒にな。なまじ剣が使えるからってさ、俺にかなう訳が無いのに。
ああ、全員殺した。三十人位いたかな? 殺したくはなかったが、向こうはこっちを殺す気だったんだぜ? やらなきゃこっちがやられるんだ。
…しかし、彼女は良い女だったな。…ああ、聞こえたか。済まんな、独り言だったんだが。追っ手を殺した後で、森に隠れたんだ。で、泉で返り血を落としていたら、その女と出会ったんだ。…不思議な服を着ていたよ。裸に刀を持っている俺を見て、くすりと笑ったんだ。敵意は感じなかった。
「…何がおかしい?」
「一生懸命に落ちない血を落とそうとしているから」
そうだな、確かにこの両手にこびりついている血は落とせないさ。表面的には落ちても、心にはしっかりと返り血が見えているんだ。
「…何者だ?」
「…斉の姫、とでも」
「ふん、巫女か。殺される前に立ち去った方が良いぞ」
「あなたには殺せないわ。…とても悲しい光景が見える」
「ふん、適当なことを言うな」
「ううん、嘘じゃない。…憎しみが見える。愛する者を失った悲しみが見える」
「どうでも良い事だ。分かったからといってお前の得にはならん」
「…一つ聞いても良い?」
「何だ?」
「…復讐が終わったらどうするの? 何のために生きていくつもり?」
「さあな、まだ考えていない。…でも、リトウール人を皆殺しにするかもな」
「その前に、あなたが殺されるわよ」
「…それはそれで一興だ」
悲しい顔をしたよ、彼女は。とても悲しい、沈んだ目をした。見ている俺が引き込まれそうな、純粋な瞳だった。…済まんな。話がそれてしまった。
その姫と出会ったあとに、何回も追われたよ。だから、奴を殺すどころじゃなかった。だから、予定を変更して、海を渡ったんだ。
五
オートリー共和国に逃げた奴はすぐに見つかった。仰々しく護衛の人間を引き連れていれば、嫌でも目に付くさ。…奴は大人しくしていたよ。淫行にふけってはいなかった。まっとうに生きようとしていたのかもな。…でも、殺す前に聞いてみたんだ。何故やったのかって。返ってきた返事はこうだ。
「あの女は狂っていた! 犯してくれと頼んできた! 殺してくれと頼んできた!」
「だから犯したのか? だから殺したのか?」
「そ、そうだ! その何が悪い!」
最後の一言が右手に握っていた刀を動かしたんだ。首筋を切り裂いていたよ。派手に血を噴出していくあいつに向かってこう言ってやったのさ。
「じゃあ、狂っている俺に殺されな」
酷い話だ。全く。狂っているから犯して良い。狂っているから殺して良い。ふざけている。いや、その考えを正当化するほうが狂っているんじゃないのか?
筆者も同感だ。リトウールの人々の考えは、他国人である筆者から見ると狂っているとしか思えない。男が女を動物以下の存在として扱い、理由もなく身分の低い人間を蔑み、侮辱し、虐げる。これは異常としか思えない。…ただし、グリクースの占領が始まって六年経つ現在では、かなり変わってきているが。
へえ、変わってきているのか。…じゃあ、貧民屈はなくなったか? なくなっていないだろう? それなら同じ事さ。能力が有っても登用されない制度が残っているなら、そうした事を許す風土が残っているのなら、変わっているとは言えんよ。
ふん、まあ良いさ。で、ついこの前だ。最後の男を始末した。お前も聞いているだろう? 大変だったよ。斬り合いを繰り返さざるを得なかった。何しろ、奴等は俺を逮捕するんじゃなくて殺すつもりだったからな。…用意していた武器も戦争並だったぞ。弓矢に槍、大剣、片手剣、考えられる武器を一揃い用意して、二個騎士団が護衛していたんだ。凄い金のばら撒き方だな。…それは聞いているか? 調べたのか?
言われるまでもなく調べている。筆者が調べたところでは、王宮に知古を持っていたらしく、金を渡して頼んだそうだ。ベトルシ王国の警察機構のトップを説得させられる人物に渡りをつけたそうだ。金で二個騎士団を買い、不眠不休で警備させた。二百人以上になる。彼が言ったように戦争と同じ準備をしていた。…だが、無駄に終わった。彼は真っ向から勝負を挑んだのだ。矢をかわし、槍を折り、剣を掻い潜り、二個騎士団を全滅させた。そして、目指す男の元へ行き、殺した。
奴も他の連中と同じ事を言ったよ。
「犯せと言った! 殺せといった! だからそうしたんだ!」
「それが許されるのか?」
「…分からない。あのときは許されると思っていた。…でも、今は許されるのかどうか、自分では良く分からない」
「…一つ聞いても良いか?」
「…どうぞ」
「もしお前の愛する者が、目の前で犯され、殺されたらどうする?」
絶句して何も言わなくなったよ。
「もう一つ聞こう。…あのとき近くにいた子供まで殺そうとしたのは何故だ?」
「…分からない。何故かは分からない」
「質問の答えはいくつもあるだろう。…俺なりの答えを教えてやる」
「な、何だ?」
「これだ」
そう言って刀を横に振った。奴の頭と胴体が離れたよ。一通り、これで復讐が済んだ。さて、お前に話す事もなくなっただろう。…まだ何か聞きたいか? いつまでここにいるか? そんな事分からんよ。逃げるさ。どちらにしろお尋ね者だ。
一つ聞いて良いか? 俺がただの人殺しになったことをどう思う?
筆者には分からない。分からなくなった。何が正しくて、何が間違っているのか。彼が最後の殺人のときに相手に言ったように、復讐が一つの回答になるのかもしれない。それを間違っているとして非難する人間も多いだろう。だが、愛するものを目の前で奪われ、自らの生命も危険に晒された人間が、それを容認できるのだろうか。彼が言ったように、仕方の無い事だといって納得する事が出来るのだろうか、許す事が出来るのだろうか。
やはり、筆者にはその答えは分からない。
さて、俺は逃げるよ。…お前と話が出来て嬉しかったぜ。どうまとめるのか、記事になったときに読むことは出来ないだろうが、思ったこと感じた事を書いてくれ。俺は思った通りに生きてきた。人殺しばかりだったけれど。でも、復讐という願いを果たす事が出来た。…あと、お前ら文章を書く人間に注文をつけても良いか? 腐りきったリトウールの連中を、お前らの力で変えてくれ。間違っていると思うのなら。思わないのなら何もしてくれるな。俺が皆殺しにするだけだ。…じゃあな。
彼はそう言って、筆者との対談を終えて部屋を出て行った。生き残ったのかどうか、筆者には知る術が無い。消息を追ったが、ベトルシ王国で別れた後で途絶えている。捕らえられた情報もなく、殺されたという情報も無い。リトウール人が無差別で殺されてもいないところを見ると、ひっそりと生きているのかもしれない。個人的には、彼には幸せになって貰いたいと思う。復讐も、人殺しも無い世界で。
筆者はここで筆を置く。
六
さて、気が付いたらあの森に来ているぞ。…泉に行ってみるか。あの女は本当に良い女だった。…復讐もなく、戦争もなければ、ああいう女と恋をして結婚したかったな。
七歳の頃から、ずっと復讐に生きてきた。「白き死の天使」などと呼ばれ、恐れられ、友人も、ましてや恋人もなく過ごしてきた。…あいつに言ったように、許す事ができたのならそうした運命に巻き込まれずに済んだのかもしれない。…考えすぎか。
「あら、久しぶりね」
あの女だ。斉の姫。美しき巫女。
「近くに寄ると穢れるぞ、血でまみれているからな」
「…そうね。でも、魂は綺麗みたいよ」
「嘘を言うな。俺は嘘が嫌いだ」
「悩んでいるみたいね」
「…お前にはどうでも良い事だ。とりあえずの目的は達した。あとは死ぬだけだからな。悩みようが無い」
「白き死の天使が、随分とあっさりとした事を言うのね」
「だから何だって言うんだ?」
「人を愛せないの? 恋することが出来ないの?」
「…もうそんな感情は忘れた。…お前なら分かるだろう? あのとき、母を殺されたときに、そうした感情を全て置いてきたんだ」
「…でも、今はそうした感情に飢えているわ。魂がそう叫んでいる」
ふん、どうでも良い事だ。…この巫女を穢してやるか。…一興だ。近くに寄っても逃げないな。面白い巫女だ。
「魂がどうとか言っても、俺には関係の無い事だ」
「ねえ、運命って信じる?」
は? 突然何を言う?
「…分からん。そんな事。信じているかも知れないし、信じていないかも知れない。…現に、復讐のために生きてきたのが運命なら、このまま死んでいくのも運命だ」
小刀を抜き、構えた。ふん、びびってやがる。一人でのこのこと穢されに来るからだ。
「運命を信じろというなら、これを受け入れろ」
そう言って、右を向いた。そして左の首筋に刃を当て、力を入れて横に引いた。血が噴き出た。…ざまあみろ。訳の分からん事を言う巫女に、思いっきり俺の穢れた血が掛かっているぞ。しかも呆然と見ている。面白い。もっと掛かれ。…暗くなった。
「レアル? レアル?」
目の前が明るくなった。頭の下に柔らかい物が当たっている。目の前に顔が見えた。あの巫女の顔が。おせっかいめ。幸い、まだ刀は手にある。手は動くようだ。…身体は、動かんな。
「動いちゃ駄目。傷がふさがっていないわ」
「ふ、ん、…よ、余計な、こ、事を…」
「喋っちゃ駄目。…穢されたから責任を取って貰わなきゃいけないんだから」
何を言っているのか分からんが、余計な事をしたのは事実だ。…右手に力が入る。しめた。…もう幕を下す頃合だ。
「も、もう、…ま、幕を…お、下す…」
「何? 何て言ったの?」
右の首筋に刃を当て、横に引いた。すぐに真っ暗になった。
終
「アル! お客様よ! お部屋にご案内して!」
分かったよ。そう怒鳴るな。
「いらっしゃいませ。お荷物はお持ちしますよ」
何だよ、若い夫婦か。おい、目の前でいちゃつくな。…ああ、聞こえてくるんだな、今夜も。この旅館は壁が薄いんだよ。余り激しくしないようにな。こっちにも影響するんだから。
部屋に通すと早速抱き合う気配がしたぞ。新婚はいいね、情熱的だ。でも、くどいようだが、壁が薄いぞ。念を押すか。
「アル、ちょっと待ちなさい。…あなた、今壁が薄いからって言おうと思ったでしょ?」
この女は俺のかみさんだ。リリスと言う。今までの会話で判ったと思うが、口やかましいし、勘が鋭い。美人だが、少し性格に難が有る。
何故そういう女をかみさんにしたのか? 自分でも良く分からない。
俺はいつの間にかこの旅館の下働きをしていたんだ。飯を作っているときに突然気が付いた。
「何で俺はここに居るんだ?」
横にいた爺さんが言ったよ。覚えていないのか? ってさ。覚えていないから言ったに決まっているじゃないか。そう言ったら、大声でリリスを呼んで話し始めたんだ。
何でも、俺は森の中で倒れていたらしい。それをこの爺さんが旅館に運んだそうだ。で、リリスは意外と高貴な生まれらしく、爺さんは使用人だったらしい。
「覚えていないの?」
「何も覚えていない。…なんで俺は包丁を持っている? 何で料理を作っている? 何でここに居る?」
説明された。起きたときから何も言わなかったと。仕方なく名前を「アル」とつけたと。アルフの森に倒れていたから「アル」。安直じゃないか? まあ良いか。で、あれをやれ、これをやれと言うと、何も言わずにやったと言う。で、今も飯を作れと言ったら作り始めていたのだという。
不思議な話があるものだ。…でも、確かに以前の記憶は無い。鏡を見たが思い出せない。でも、髪の毛は真っ白だ。爺さんみたいに。それに首の両側に傷跡がある。でも、思い出せない。
行く当ても無いので困っていたら、爺さんが故郷へ帰るから、自分の後釜として下働きをしろと言う。リリスは、ものすごい美人でスタイルも抜群だ。まあ、下心からそれを了承したんだ。…でも、リリスとどこかで会ったような記憶が有るような無いような。
まあ、記憶も無いし、行く当ても無い。金も無い。リリスは同情してくれたみたいで、村を案内し、近くの森や小川に連れて行ってくれた。自然と会話が出来るようになるまで時間が掛かった。何しろ言葉も色々と忘れていた。外国人のように片言しか喋ることが出来なかった。
で、二人はいつしか恋におち、結婚したと言う訳だ。
さて夕食も済んだし、片付けも終わった。後は新婚さんが大人しくしてくれるのを祈るだけだ。…駄目だよな。やっぱり。そのために来ているようなものだからな。
まだ寝る時間じゃないぞ。でも、違う意味であの二人は寝ているようだ。やれやれ。エールでも飲むか。
「アル? エールを飲むの?」
「…ああ、一緒に飲むか?」
「うん」
二人で食堂に陣取ってエールを飲んだ。…リリスの頬が赤いのはエールのせいだけじゃない。それは結婚してからの二年間で良く分かっている。…嬉しい事に、かみさんはあれが大好きなんだ。口には出さないが。潤んだ目で見詰めてくるだけなんだが。
ちょっと待て。俺が好きなだけか? …まあ良いか、夫婦円満で。
「リリス、子供が欲しいか?」
「うーん、分からないわ。今のままでも良いような気もするし」
「…そうか、じゃあ、今日は無しな」
「何でよ!」
面白い女だ。でもからかうと後が怖いんだな。
「冗談だよ。…じゃあ、俺達もしようか」
ほら、真っ赤になってしがみ付いてきた。好きだね、俺もこいつも。
何でも無い日常、何にも無い日常、平穏な毎日、小さな嬉しさ、小さな幸せ。それがここにあるような、リリスといると得られるような、そんな気がする。
最後まで読んで頂いて感謝しております。
勢いだけで書き上げてしまいました。
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