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後編

 泣―かした、と唄うような嘲るような軽い響きが頭に過ぎったのはほんの一瞬だった。ついには大きな眼からぼっろぼろに零れ落ちはじめた美少女を真ん前にして一拍後、我に返ってギョッとした。

 えええ、なんで泣くのかな。そんなにうちが駄目か、駄目なのか。生憎と自ら平穏をぶち壊す加虐趣味はないのだけどそれがいけないことなのだろうか。理不尽過ぎてどうしようもないけどなんとなーく段々うちの方が悪い気がしてきた。女の子を泣かすとかそれこそ悪役過ぎて笑えない。とりあえず謝っておけばいいのだろうか。だけど何を謝るかわからない間は口を閉ざしておくべきだろうなというかこれはうちが悪いのか? やっぱりうち悪くないしな。

 ぐるぐる頭のなかを色んな考えが巡り下唇を噛み締めたところで、彦にゃんがいきなりうちの髪を掻き乱してきた。ちろりと見上げた先、不機嫌な顔が視界に映る。


「……えと、彦にゃんなにすんの」

「大路七は」


 低い声が告げる。


「大路七は縁側で眠る猫みたいな気まぐれで適当な奴だろ。あの女が言ってる悪役なんざもうお前じゃねーよ」


 え、これ慰めてる? 慰めてるよね。

 胸のうちが一気に温かいもので満たされる。というかものすっごくときめいた。

 どうしよう普段素っ気ない相手からデレが入るとこんなに胸がときめくのか。彦にゃん可愛すぎる。ムサイ男はちょっとと思ってごめん彦にゃんなら女の子と余裕で張れるわ。これが巷でいうツンデレかー。まさかこんな身近にいるとは思いも寄らなかった。

 うちがキュンキュンしている隣で、シノもまた険しい顔で言う。


「桧室に同意するのは非常に癪だが、主君は主君だ。そこの女が言ってる奴なんぞ最早俺の崇拝する主君ではない! というか桧室貴様主君に気安く触るな主君が穢れる」

「ハッ、一丁前に嫉妬かよ」

「ししし嫉妬じゃないっ。主君に対する無礼は許さんと言っているんだ!」


 そうか嫉妬なんだな。

 自称忍者しているくせに手に取るように心情が見透かせるものだから忍者(笑)にしか見えない。なにより彦にゃんのデレはときめいたのにシノのが胸に響かないとはこれ如何に。普段からツン成分がないからか。いやけどもしシノが尖っていたらすかしてんじゃねーよとしばきたくなるな。自分のなかでの二人の扱いの差が相変わらずよくわからない。

 二人がじゃれ合うのを尻目に、うちはおもむろに溜息をついて扇を閉じた。ぱちんと乾いた音がやけに大きく響き渡り、彼等の口が閉じられた。

 神白の錯乱に対して道案内をしてきた連中もまた手を余しており、縋るような目を向けてくる。お前らが連れてきたんだろうが責任とれと言いたいところだが、一々細かく指摘するのも億劫だし気に掛けるつもりもない。嗚呼そうか、うちはこいつらに関心がないから顔を合わせない日々が続いても気にも留めていなかったのか。なるほどうちは少なからず善人の部類ではないらしい。この場にいる生徒の視線までも一身に受けて、内心でまたもや溜息が零した。


 神白へと足を踏み出す。距離が近付くに比して、悲しげに悔しげに心から嘆いているのがありありとわかるほど、小刻みに震えて肩を縮めて泣く痛々しさをひしひしと目の当たりにする。

 彼女がうちに何を求めていたのかはその理想像を聞いた今でもさっぱりわからない。キチガイさを露見するようなものであろうに、わざわざ衆目を浴びて語る時点で理解を超える。だからキチガイなんだはたまた手に負えない馬鹿なんだと彦にゃんなら切って捨て、シノなら無礼な女だと激昂するに違いない。

 しかしうちの場合、呆れる一方で、彼女の語る大路七を面白く思う気持ちもなくもなかった。聞く分にはなかなか個性的で、というかどう考えてもラスボスですありがとうございますな性格なうちに会いたいなんて、性根からメスブ、まあシノ並みにマゾい思考にはそうそうお目にかかれないからだ。罵られたいよ! なんてわざわざ言ってくる日本人は少ないからなあ。


「神白、いや」


 うちは彼女の前で足を止め、その頬に閉じた扇のヒラを当ててみせた。息を呑む音を耳に、はっきりと口にした。


「大路七に蔑まされたくてわざわざ会いにきた酔狂な小物とでも言おうか」

「っ」


 神白は涙で潤んだ目を大きく見開いた。

 彼女が反応するより先に、彼女に寄り添う男が激昂した。


「なっ……何言ってやがる! 愛姫がンな変態なわけねーだろ!?」

「どうだか。少なからずまともな神経は持ってないようやけど」


 ひたひたと扇で軽く叩き、くつりと嗤う。


「よく考えまっし。『大路七はこうでなくてはならない。そして大路七とは冷淡で冷徹で冷酷で非情な人物である』。そんな相手にどんな反応をもらうかくらい予測できないほど脳味噌スッカラカンじゃない。ほやろ? 大路七に対する盲目加減がどんだけかは知らんけど、被虐趣味の変態性がなきゃ会いたくもない相手やってくらいはわかる。――なあ神白愛姫」


 お前は冷酷無慈悲な殿様に期待しとったんやろう?


 緩やかに穏やかに、しかし殊更温かみを感じさせない口調で揶揄った。彼女の言う大路七とやらをイメージさせる、睥睨した眼差しを注ぎながら。

 この上なく――不愉快だと。


「は……」


 神白は呼吸すらできない衝撃を受けたかのように大きく震えた。がくがくと膝を揺らし、倒れそうになる細腰に我先にと集団の一人が支える。しかし涙はすっかり止まったようで、唖然とした顔を晒す。


「殿先輩でも愛姫に酷いことを言ったら……っ」

「酷いことって? うちは彼女の言い分を真面目に分析した感想を伝えただけ。むしろうちを大路七のニセモノやってなあ……それこそ失礼やろ」


 彼等は噛み付かんとする形相でありながら、ぐっと押し黙った。正論と感じたのだろう。

 観衆までもが黙りこくる、異様なまでの静寂が広がる。さて、これからどうしようか。


 実のところ、神白に対する態度はわざであった。


 失礼千万過ぎたからお灸を据えるつもりだっただけ。ちょっとした報復にお茶目心を絡ませただけ。それだけだ。戯れを口にしたに過ぎない。大路七に多大な勘違い要素を抱いていた彼女の目を覚まさせるために、言う通りの人物像を自分なりに演じてみる必要があると判断した。ろくでもないだろう、と思わせられれば十分だった。

 さてはて、神白愛姫はこんな大路七をどう思うだろうか。


「ぁ……、」


 変化は突然だった。茫然とした目に生気が宿り、掠れた声が零れ落ちる。しかし正常に戻ったかと思いきやなにやら様子が可笑しい。誰がどう見ても返って来るはずの反応と違うと判断できただろう。その目はうるうるに潤い甘い熱情を孕みはじめ、頬を薔薇色に紅潮させる。それはまるで恋に落ちたかのような乙女特有の様子に見受けられた。

 何故だか嫌な予感がした。史上最悪の嫌な予感に身が震えた。最早種はばら蒔かれた後で、回収は不可能だと本能が囁いた。

 神白は甘く甘く蜂蜜のような蕩けた声色で囁いた。



「お姉様な大路七も素敵すぎる……」



『は?』


 今、なんて言った?


「あ、き……?」

「嗚呼素敵、最高だわ……っ。そう、そうよね大路七は性別云々に囚われない至上の美貌だもの。なにより本質が変わるわけじゃないわ。成り代わりは酷似した魂があってこそ成り代わりだから大路七のカリスマが霞むわけもなくむしろパワーアップされてる可能性もあるのよねそうよそうなのだわなんでその可能性に気付かなかったのかしら私もまだまだね」

「えーと、か、かみしろさ……わっ」

「主君、お下がりください」


 腕を引かれ、背中に硬くも弾力のある感触が当たる。見上げるといつになく険しい顔をする彦にゃんが神白を睨んでいた。そしていつの間にか神白との間に割り入ったシノがロープを抱えて、ってロープ一体どこから持ってきた。

 神白は陶然とした表情で自分を掻き抱き、恍惚に震えていた。蕩けた目がうちを、うちだけを捉える。ねっとりとした粘着質なそれにゾクゾクと背筋に冷たいなにかが伝う。


「大路七、いえ殿先輩。わたし、わたし、あなたを心からお慕いしてるの。嘘じゃない、本当よ。この世界の誰よりもあなたを、あなただけ求めてきたの……っ。だけどあなたはそんなのありがとうの一言で一蹴してしまうでしょ? 私はそれじゃ嫌なの。それで終わらせるなんて冗談じゃない! 私だけを、なんて言わないわ。だって大路七は一人だけを映すような器の持ち主じゃない」


 否定したところで聞きやしないことは一目瞭然だ。思わぬ過大評価に乾いた笑いが洩れる。


「だけど、だけど……っ無関心だけは嫌だった! だって大路七は人を駒程度にしか考えてない思考の持ち主だから、どう転んでも結果は見えてる。私程度の頭じゃ大路七の心に留まる一瞬すら稼げない! 好きになってもらうなんてもってのほか! なら、どうせならと」


 嫌悪して。疎んじて。どこまでもあなたに貶めて欲しい。


「そうすればあなたは私をずっと心に留めておいてくれるでしょ? そこらへんにいる石ころみたいな目で見ないでしょ? 私はあなたの特別が欲しいのっ。どんな意味合いでもよかったけどとにかく欲しかったっ。だから、だから……罵ってほしい、蔑んでほしいのよ……っっっ!!」


 それは魂の叫びだった。悲壮なまでの慟哭でもあった。


 だけど、うん――対象のうちはドン引きだった。


 イエスヤンデレノー現実は至極当然だと思うんだ。

 猪突猛進な忍者を抱えているだけで十分やっているのに、何故に無駄に特殊な性癖の持ち主を受け入れなければならないのだ。しかも今回は一歩間違えれば本気で命の危機になりかねない病み系だ。うちは爛々と輝いた目からそっと視線を外した。こええヤンデレ。

 その反応をどう取ったのか、吹っ切れてしまった神白は捕食者の如き獰猛な目を彦にゃんとシノに向けた。二人の身体が自然と強張る。


「槇下志信、桧室彦四郎……」

「……女は演技派っつーけどお前は段違いだな。七と一緒にいる俺達が大嫌いなくせによくやるぜ」

「あら。勘違いさせて悪いけど私、あなたたちのこと嫌いじゃないよ。ただ殿先輩の関心を引いているから、殿先輩から引き剥がせたら殿先輩から憎まれて一石二鳥でしょ? それくらいしないと意味がないってわかったからハイリクスで接触したのにねぇ」


 意味がないとわかったと言う。つまり、二人に接触する前にうちの関心を引くだろうなにかをしてきたつもりだった。しかしそれは、うちにとって取るに足りないものだったのだ……この子の方が余程悪役がお似合いに思えるのはうちの気のせいだろうか。気のせいじゃないだろう。下種いというより病んでいるから気付かれなかっただけで、立派な悪役だ。目的のためなら手段を選ばないとする志は尊敬できるかもしれないが、なにぶんヤンデレの為せる技だと考えてしまうと途端に遣る瀬なくなる。第一、ただの一女子高生にそこまで夢持たれても困るんだけどなあ。


「まさか愛姫が俺達に近付いたのは……」


 神白と仲良くしていた連中の一人が、なにかに気付いたように尋ねた。恐ろしい予想を否定したい、喘ぐような声色が静かな廊下に響き渡る。神白は彼等を一瞥しただけで、否定しなかった。

 両腕を後ろで組んで、くるりと一回転。そしてうちを捉えてこのうえなく可愛らしく笑った。端正な顔立ちと相俟って、とてつもなく可愛い。可愛いからこそ恐ろしい。うちは口端を引き攣らせた。


「ねぇ殿先輩」

「あ、ああ、なん?」

「私、あなたなら女でもイケルわ」


 なにがどうイケルというのだろう。


「もう全部バレちゃったし、小細工もきかないし、ここまで暴いてくれたんだから……いいわよね」


 なにがどういいというのだろうか。


「そういうことだから――また後で会いましょうねっ」


 自己完結に近い宣言を告げて、神白は案内を頼んだ彼等に視線ひとつ寄越さず、鼻唄混じりの軽い足取りで去って行った。足音が遠ざかっていくと、タイミングよく昼休み終了の予鈴が鳴る。全員がはっと我に返り、慌てた素振りでそれぞれの教室に戻っていった。

 一方、うちら三人は揃って額を手で覆い、頭を垂れた――詰んだ。神白と仲良しであったはずの彼等はあまりのショックで真っ白に燃え尽きていた。その光景は教師がやってくるまでそのままで、その後はいつも通り授業が開始された。

 しかしそれは一時の平穏でしかないと知るが故に、授業を終えてようやくケーキをシノに渡され、すっかり温くなり形の崩れたそれを目にした瞬間、思わず殴ってしまったのだった。


 八つ当たりをした。だけど後悔はしていない。

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