前編
「主君っ、なにかご命令はありませんか! この槇下志信、主君のためなら火の中水の中飛び込んでいきまする……!」
「ならここから二キロ先にある人気店『雅』でケーキ三個買ってきて。もちろん行き帰り駆け足で。やけどその間にケーキの形が崩れたりぬるくなったら買い直しやから。ちなみにこれ修業だから頑張れ超頑張れ」
「なっなんたること……主君が俺のために修業内容まで考えてくださるとは……! わかり申したっ、主君のもとへ無事ケーキをお届けいたしますので暫しお待ちをををヲヲヲヲヲヲ――――!!」
雄叫びをあげながら走り去って行く男を笑顔で見送るうちを、少し離れた席でドン引きじみた表情で見遣る友人がようやく口を開いた。
「お前……相変わらず鬼畜だな」
「はあ? なーに言っとんの。うちはシノのためを思って命令してあげただけ。シノやって喜んどるやん」
「内容が鬼畜だっつってんだよ。年々レベルが上がっていくもんだから、どこまで突き抜けるか見たいような見たくないような気がしてくるじゃねーか」
「アンタも大概やん」
クラスメイトはすっかり慣れっこなのか、うちらの遣り取りに対するスルースキルが凄まじい。和気藹々な空間が所々できているというのに、うちの周りは三年間で数少ない友人である彼、桧室彦四郎しかいなかった。
狭く深くが好ましいうちとしては、二人もいれば十分だと思われているようだが違う。彦にゃんは彦にゃんで可愛いと思うけど違うのだ。シノだとウザさが軽く上回ってハウスと言いたくなるのでまた違う。ワイルドで危険な香りがする不良系男子じゃなくて、可憐でフローラルな香りがする可愛い系女子に癒されたくなる日があってもいいじゃないか。それなのにうちに近付く連中は揃って曲者ばかり。解せぬ。
そもそもうちこと大路七の人生が普通のカテゴリーから大きく外れたのは、北陸から離れて都会の高校へと入学したのがきっかけだった。
色々あってシノに主従の誓いをされ、それまで彼の手綱を引いていた彦にゃんと意気投合。その調子で周りには大路→王子→忍者従わせているんだからむしろ……殿か! みたいな洗脳じみた論法でほとんどの生徒に殿呼ばわりされる始末。そんな阿呆臭い経緯を知らぬはずの先生方もどうトチ狂ったのか、臭いものには蓋をしろ的なはたまた割れ鍋に閉じ蓋的な対応で三年間同じクラスにするから宣言を前以てされた。それでいいのか学校。あ、いいんですかそうですか。
終わったことは仕方ないとして、うちはシノがいない間に急遽尋ねておくことがあった。
「そーいやさあ、最近彦にゃんにキチガイ系女子がアプローチかけとるってホントけ?」
「どこでその話聞いたんだ」
「昨日たまたま帰り道で同じ学校の生徒が話しとんの耳にした」
彦にゃんは途端に強面な顔を益々恐ろしくさせて暫し沈黙を置いた後、おもむろに溜息をつきつつも口を割った。
「……二年に編入してきた女が、出会い頭にオカン呼ばわりしてきた挙句、私あなたのことなんでもわかってるから、味方だから頼ってね的なこと言ってきたんだよ。そもそも学年ちげーからそれ以降接触ねーし気にもしてねーけど」
「ぶっふぉオカンとか! 彦にゃん前にして言っちゃうなんてさっすがキチガイー」
「キチガイでもなんでもいいが、周りに迷惑かけねー程度にしてほしいもんだ」
「そやなー、害あるキチガイやったら早々に駆逐せんとな」
「桧室」
クラスメイトの一人が彦にゃんに声を掛けた。
「あ、なんだ?」
「お前の探してた新作、ちょうど購買で見かけたぞ」
「わかった。七、行くぞ」
「ういうい」
彦にゃんの呼びかけに応えてうちも席を立つ。颯爽と教室から出る背中を追いかけて横に並び立つと、頭ひとつぶん上からの視線に思わず表情が綻んだ。
「彦にゃんのブーム、今回は結構長続きしとるねえ」
「色んな種類があるからな。意外と飽きない」
「前回のヌコヌコ動画は意外とすっぱり止めたもんなあ?」
「中毒になるのはさすがにどうかと思ったからな。今回も金はそんなにかからねーしとりあえず全種類制覇はしてーなァ」
彦にゃんは多趣味な人で、興味があるものに手を付けずにはいられない性格だ。今回はコンビニなどで普通に売っている一口サイズのチョコに関心があるらしく、クラスメイトから情報をもらうともれなくうちを道連れに教室から飛び出す習慣がついている。うち自身もお零れをもらえるので、連行に対する文句なんて浮かびようがない。
「それにしても教室の方が騒がしいね。なにかあったんかな」
離れた教室方向が異様に騒がしいのだが、一体なにが起こっているのだろう。
好奇心を覗かせて背後に視線を遣ろうとするうちに対し、彦にゃんは呆れたように肩を竦めた。
「どうせ戻ってきた槇下が主君いねーって叫んでんだろ。後から追いついてくるんじゃねーの」
「ほかぁ。なら放っとこうか」
「お前やっぱり槇下には色々酷いよな」
「ソンナコトナイサー」
槇下志信はケーキの箱をいたく大事に両手で抱えて教室へと足を進めていた。
下駄箱で確認した時、ケーキは型崩れしていなかったから買い直ししなくて済みそうだ。むしろ以前より早く戻ってこれたので、もしかしたらお褒めの言葉をいただけるやもしれない、なんて心なしか浮き足立って、すっかり油断していたから天罰が下ったのか。
「あっ、志信!」
教室で出迎えたのは、主君ではなく例の阿婆擦れ女だった。
「もうっ、近頃全然会えなかったから愛姫すごく寂しかったっ。主君の命令は絶対なのはわかるけど、たまには息抜きしてもいいんじゃないかなって呼びにきたの!」
わざとらしく頬を膨らませて怒っている仕草を演出するあざとさを、一部は見惚れ、残りは胡乱げに眺める。志信は後者で、あからさまに顔を歪めた。
「……俺はまったく寂しくなかったし、貴様に言われずとも息抜きはしている。そもそも上級生に対する態度がなっていない時点で顔も見たくない。呼ばれること自体不愉快だがせめて槇下先輩と呼べ」
「お前っ、愛姫になんて口のききかたしやがる!」
「殿先輩に尻尾を振るしか脳のない犬には、愛姫の魅力がまったくわからないようですね」
「低脳……」
「まあ今時忍者とか言ってる奴だし相手にするだけ無駄じゃな~い」
すっかり骨抜きにされた連中がそれぞれ言ってくるが、志信は総無視して携帯を開く。メールが一件受信されており、確認を忘れた己れを恨みながら開くと、
『教室注意。殿と購買』
それだけで十分だった。
志信達はここ一ヶ月に渡り、目の前にいる阿婆擦れ女もとい神白愛姫と愉快な仲間達から、殿上人である主君との接触を避けさせるように行動していた。
もちろんクラスメイト及び同級生及び一部の後輩と仲間は大勢いる。主君の友人ポジションを見事獲得した桧室彦四郎もその一人だ。
特に彦四郎の場合、多趣味を利用してクラスメイトの言葉を合図に主君を連れ出す役割を担っていた。一端の不良風情が主君と馴れ合うなど言語道断だが、不良もどきなら許してやらないこともない。決して自分より距離が近いとか自分より仲良しとか嫉妬ギリィッな気持ちから刺々しく当たっているわけじゃないから反論は受け付けない。
「みんな志信のことを悪く言わないで?志信が冷たいのは私がいきなり教室に来たから照れてるだけなのよ」
志信は現状把握している一方で、神白があからさまに悲しげに顔を伏せ、反吐が出るくらい媚びを含んだ甘ったるい声音で言った。それだけで取り巻きは志信を想い人を泣かせた敵と見做したらしく、きつく睨みつけてくる。
「なにそれ。ツンデレとか流行ってないし~」
「ハッ、駄犬が」
「愛姫がそう言うのなら許してやらなくもないですね」
「……わかった」
「ねっ、志信も素直になりなよぉ」
じゃないとどうなるかわかってんだろゴルァ、と言わんばかりの晴れ晴れしい笑顔で手を差し出してきた。拒否されるとは到底思っていない図々しい態度だ。この上なく素直に接しているのに、まったく理解しないらしい。たいしたオツムだ。
少し前まで多少はまともだった彼等を省みて、志信はついに失笑した。
「お前らがどう思おうと勝手だが、俺の主君への忠誠心を揺らがそうとしても無駄だぞ。何故ならそこの女よりも主君の方がすべて優っているからな。主君は誰よりも麗しく誰よりも頭の回転が素晴らしく誰よりも人心を掴むのに長けているスペシャルなお人だからなっ。貴様らなんぞにかまける時間があったら主君に指示を仰いでいた方が遥かに有意義だ!」
「はぁ? お前の殿なんか変な方言使って目立ってるだけじゃ……っ」
反論した取り巻きの頬を鋭利ななにかが掠った。そのまま背後の壁に突き刺さる音が響き渡ると同時に場がシンと静まる。
「お、おい、コレ……」
クラスメイトがそれを引き抜いて、引き攣った声をあげた。
手裏剣。
しかもきちんと手入れされているのか、鈍い銀が窓から差し込む光を反射した。
取り巻きはぬるりと頬を伝う感触に指を添わせる。赤い液体が指に付着していた。取り巻きの顔が瞬時に青ざめ、冷静さをかなぐり捨てて叫んだ。
「なっなんでこんなもん持ってきてるんだよ! つーかよく持ってたな! しかも今日は風紀の取り締まりの日だろ……!?」
「なにを言っている」
志信は僅かに外したことに内心舌打ちしながらも自分を指差した。
「俺は風紀副委員長だぞ。手裏剣は校則違反じゃないと判断したに決まっているだろう」
「終わった! ここの風紀忍者の独占場じゃんかあああ!!」
「当たり前だ。ちなみに他の委員にも一通り忍術を仕込んでいる最中……っっっ」
頭を抱える取り巻きの一人と、唖然とする残り連中を尻目に、志信は視線を下に落としてはっとした。この時の彼は最優先に完了させなければならない重要な任務をようやく思い出したからだ。
「まっ不味い。貴様らなんぞに構っている暇はなかった」
「志信?」
戸惑いながらもまだ志信の名前を呼ぶ学習能力のなさを指摘する余裕もない。志信は廊下から聞こえる悠然とした足取りを耳にして、ますます焦燥に駆られる。
教室の外で出迎えたところで、距離が近ければ意味がない。なにより彼の異変を察した神白達が追いかけてくるのは容易く想像できる。
嗚呼、どうしよう。
志まだまだ修行不足とはいえ、自分がすべておじゃんにしてしまったことには変わらない。なにより一時でも主君の命令を忘れるとは何事だ。
「――シノ、やっぱりここにおったんか」
そして予測通り現れた人物に絶望した。
振り返った先には、銀髪不良を引き連れた漆黒の君。
志信が誰よりも敬愛する主君、大路七が佇んでいた。