第二章
長い婚前旅行にもさすがに飽きて我が家に帰り、数ヶ月が経った。旅の間にわたしは十七歳の誕生日を迎えていた。あと数ヶ月の間、外ではカイル様、家ではダーリンと呼ぶ暮らしが続く。
そんなある日、わたしは母様と街にでかけてウェディングドレスを選んできた。多くのデザイン画からわたしが選んだのは、パニエを仕込んで教会の鐘のような形に膨らませた大きなスカートの、奇をてらわないデザインのドレスだった。真っ白なサテンのウェディングドレス。わたしがミス・エディントンとして最後に着る可愛らしいドレス。今までに何度か花嫁さんを羨望のまなざしで眺めてきたけど、ついにわたしの番がやってくる。
そんなことを考えてワクワクしていたものだから、その晩はベッドに入っても一睡もできなかった。それでも早朝から元気いっぱいのわたしは、せっかくの良いお天気だからどこかへ連れていってもらおうと思い立ち、カイルのためにコーヒーをいれて部屋に向かった。
――扉をノックしても返事がない。少し待ったあと、眠っているのだから返事がないのは当たり前だわと思って扉を開けた。
「ダーリン、起きて。とってもいいお天気……よ」
そう言いながら部屋に入ろうとしてトレーを取り落とした。お気に入りの白いドレスがコーヒーにまみれてしまった。そこには、露わな姿でベッドに入って眠る二人がいた。カイルと母様だった。
「……どういうことよ! 起きなさい、二人とも!」
二人は目をこすりながらも、わたしに気付くとビクっと身体をこわばらせた。
「お、おはよう、ロージー。これにはちょっとした大人の事情があるのよ」
母様は悪びれるでもなく、片手で覆って欠伸をした。
カイルは口を開けたまま、馬鹿みたいな顔でこちらを見ている。
「事情なんて知らない! 一緒にウェディングドレスを選んでくれた人が、どうしてこんなひどいことするのよ!」
涙がこぼれてきて、わたしは顔を覆った。
「三十男に二年近くもおあずけを食わせてきたあなただって悪いのよ? いつもキスばっかりしてるんだから、続きをしたくなるのは当然じゃない。わたしを見る彼の目がひどくほしがっているように見えたから、かわいそうになってしまったのよ……」
「つ、続きって何よ! カイルの病気ならわたしがなんとかするから放っておいて! それともわたしを除け者にしてカイルと結婚するつもり?」
「病気!? ちょっと、あなた病気持ちだったの?」
カイルが慌てて首を振る。
「ロージーは、その、男女の交わりを病気だと……」
「いやだ、あの人ったらそんなことも教えていなかったの? 過保護だったくせに肝心なことは教えてなかったのね……」
母様が手短に男女の交わり、つまり『セックス』について説明しだした。わたしはあまりの衝撃に、しばし怒りを忘れて立ち尽くした。
「…………そんな嘘までつくのね。知性を持った生き物が獣みたいに交尾をするだなんて。やっぱりあなた達病気だわ!」
「まいったわね。でも、いずれわかるわ。今回の件が正しいとは言えないけどね。さすがのわたしでも」
母様は深々とため息をついて目をそらした。
「ねえ、カイル……どうして? あなたの『永遠』はそんなに安っぽい言葉だったの? 永遠にわたしの虜だって言ってくれたはずでしょう?」
「それは……その……」
見かねたのか母様が口を開く。
「彼を責めないであげてよ。謝るから。彼にはいつも、目を閉じてロージーのことを考えてなさいって言ってたのよ? 彼はわたしなんか愛していないわ。行き場のない欲望のはけ口、ただそれだけのことよ」
「嘘よ……愛していなかったら身体を見せ合うなんてできるはずがないわ。……それに、いつもって言ったわね? ……いつからなのよ?」
「帰ってきてちょっとしてからかしらね。お互いワインを飲みすぎて、部屋で悪ふざけしてたら……ね?」
視線を合わせて確認する二人の間に熱を感じて、婚約指輪をカイルに投げつけた。ひっかいた薬指から血がにじんだ。
「なんとかいいなさいよ! あなたそれでも男なの?」
カイルの頬を力任せにひっぱたいた。それでも口をきけないカイルにあきれて、わたしは部屋へと駆けだした。
部屋につくと、わたしは空中に逆五芒星を描き、バフォメット様を呼び出した。
「なに泣いてるんだ? 嬢ちゃん。いじめられたのか?」
自分がしようとしたことに気付いて背筋が凍りつく。自分自身が恐ろしくなって、わたしはバフォメット様の胸に顔を埋めた(うずめた)。
「わたし……あなたにあの二人を食べてもらおうと思ってしまったんだわ……」
大きくて温かな手が髪をなでてくれる。
「そりゃまた、なんでだ? 母ちゃんも変わってきたし、ダーリンとも上手くいってたんじゃないのか?」
「……二人が一緒にベッドに入っていたの。……裸で」
「やれやれ。で、食うのか? いつでもいいぞ?」
「やめて。わたしが間違っていたの」
「そうか。それは嬢ちゃんが決めることだからな。好きにすればいいさ」
「……でも、なんでカイルはあんなひどい裏切りをしたの? わたしを嫌いになったのかしら?」
「さあな。人間ってのは弱い生き物だ。魔界人も天使もそれは同じだ。生き物ってのはチャンスがあればいつでも子を残したい、そういうもんだろ?」
優しいバフォメット様まで同じことを言うのだから……。
「本当だったのね。人も交尾をして繁殖するなんて」
「なんだ、コウノトリが運んでくるとでも思ってたのか?」
顔が熱くなって、バフォメット様の腕をピシャリと叩いた。
「バフォメット様、わたしどうしたらいいの? もうカイルとなんか結婚する気になれないわ。それに、母様とだって上手くやっていく自信がないの」
「嬢ちゃんが思ったとおりにすりゃあいい。嬢ちゃんの人生なんだから、嬢ちゃんの好きにしていいんだ。だが、刑務所なんかは嬢ちゃん向きじゃないから、捕まるような真似はしないほうがいいな」
わたしが思うとおりに……。
「……ねえ、魔界って面白いところ?」
「なんだ? 魔界に行きたいのか? まあ、いいところだが人間のままでは入れないぜ。やけになるなって」
「生きたいように生きればいいんでしょう? だったらもうこんな家を捨てて、バフォメット様と一緒にいたいわ。ずーっと一緒に」
「気が変わってハーレムに叩っこむかもしれないんだぜ? やめとけ」
「あなたはそんなことしないわ。とっても優しいもの」
にこやかだったバフォメット様が急に真顔になる。
「じゃあ、優しいダーリンは嬢ちゃんになにをした? 簡単に人を信用するもんじゃねえ」
バフォメット様は誠実なくせに謙遜しているだけなのだと思った。だから、瞳を見つめておねだりした。
「ねえ、いいでしょう? お友達すらいないこんな田舎にいるのはもううんざりなの。それに、馬鹿な人間の男にはもう恋なんてできないわ、きっと」
バフォメット様が急に荒々しくわたしを抱きすくめて大声を出す。
「言ってもわからんガキはお仕置きだ! そんなに魔界に行きたいなら、ハーレムで頭がおかしくなるまで可愛がってやる!」
バフォメット様がコーヒーで汚れたドレスを引き裂いた。そして、わたしは乱暴にベッドに押し倒される。
「いや、放して、ごめんなさい。……許して」
バフォメット様が身体じゅうにキスして、乱暴に乳房を揉みしだく。
「痛いわ……だめよ! お願いだからやめて!」
バフォメット様がわたしから離れた。その手から真っ赤でちょっとだけセクシーなドレスを発生させて、わたしに投げてよこす。
「代わりにそれをやる。どうだ? 怖かっただろ? これが男だ。またいつこんなことをするかわからねえんだぜ? それでも魔界に来たいか?」
「行くわ。あなたならやめてくれるってわかっていたもの」
「この馬鹿娘!」
バフォメット様がわたしの頬をひっぱたいた。
「なによ! みんなしてわたしをいじめるなんて、ひどいじゃない! バフォメット様なんか大っ嫌いよ!」
「嫌いで結構だ。失恋したガキはおとなしく泣いてベッドにでもこもっていやがれ。もう呼んでも来ねえからな。こんな馬鹿なガキだとは思わなかったぜ。あばよ、嬢ちゃん」
バフォメット様が帰ってしまった。大嫌いなバフォメット様が。




