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先生が天国ではなく魔界の外れに旅立ってからしばらくの時が過ぎた。
あの晩、お互いの気持ちをぶつけ合い、大きな秘密を共有したことで、継母と少しだけ仲良くなれた。歯に衣着せぬ継母が「あなたは命の恩人よ」なんて言い出したのだから、少しくらい気を許してもよさそうだった。だけど寝る時には、新しくつけてもらった頑丈な扉のロックを忘れていない。
恋多き女というか百戦錬磨の強者からは、学ぶべきことも多かった。たとえば『なかなか一歩踏み出してくれないカイル様をどうするべきか』という問題。継母に言わせれば、この程度の問題には『典型的な公式』があるのだとか。
「…………要するにね、既成事実を作ってしまえばいいのよ。あなたはまだ十六の乙女なんだから、酔わせてモノにしちゃえば、かたい職業のカイル様なんてどうにでもできるわ」
父様の恋愛小説から仕入れた知識を総動員して考えてみる。既成事実という言葉は結婚前の娘を傷物にするというような意味で用いられていたわけで。傷物というからには痛いことをされるのかしら? いや、そうじゃない。わたしは最近ある重大な発見をしていたのである。それは『契り(ちぎり)を交わす』とか、『夫婦の営み』などと呼ばれる行為を結婚前に交わすということであって、つまり、お祈りもせずにお食事に手を付けるようなお行儀の悪いことなのであって……。
「けっ、結婚前に、えと、そ、その、ち、契るなんて、けけ、けがらわしいわ!」
「たしかにその様子じゃまだ無理ね。……じゃあ一服盛れば? 睡眠薬でも。いくらでもあるからあげるわよ? 一緒におねんねして朝を迎えれば、勝手に誤解してくれるでしょう」
「ねえ、お母様ってどこかの国のスパイか何かなの?」
「馬鹿ね。女一人で好き勝手やるには護身術も武器の携帯も、時には危ない薬を使うことだって必要なのよ。わたしはね、生まれてすぐに捨てられて孤児院で育ったの。黙ってあそこですごしていたら修道女にされるところだったわ。だから逃げた。若い娘が一人で世の中を渡り歩くのって、結構大変だったのよ」
「苦労したのね」
「だから父様にプロポーズされた時はホッとしたわ。やっと楽な暮らしができるってね。それにあの人……とってもいい人だったものね。わたしみたいな汚れた女にはもったいないぐらい」
「じゃあ、どうして先生を連れこんだりしたのよ?」
「ほしいものは手に入れる。神は快楽を得られる身体を与えてくれたのよ? それなのに我慢が美徳だなんて、わたしには信じられないわ。生きている限り気持ちいいことをしたい、ただそれだけよ。我慢ばっかりしてる人ってね、この世で地獄に落ちているんだわ」
「それならわたしを殺したくなったら殺すの?」
「あなたに悪さしたら悪魔さんに殺されるじゃない。彼の目は本気だった。わたしなんて死んだらきっと地獄に行くんだろうから、もっともっとやっておきたいことはあるわ。まあ、どうせ一緒に暮らすんだから仲良くしましょ?」
「ほどほどに信じておくわ。これからもよろしくね、母様」
「あなた、今なんて……母様って呼んでくれるの?」
「姉様のほうがいい?」
「それも……捨てがたいわね……」
母様は涙を流していた。ハンカチを差し出すと、その手をつかんでわたしを抱き寄せた。ずっと寂しかったのはわたしだけじゃなかったのだ。
母様の策略を実行に移すのはかなり気が引けたけど、あまりにわたしを子ども扱いするカイル様に意地悪をしてみたくなった。月に一度、仕事で彼が訪ねてくる日のことだった。
「ねえ母様、睡眠薬って身体に悪いのでしょう?」
「あら、とうとうやるのね? そりゃ常用したらよくないでしょうけど、健康な男に一回盛ったくらいでどうということはないわよ。ちょうどいい量は心得てるから安心なさい」
――こちらの陰謀を知る由もなくのこのこやってきたカイル様は、今月分のお小遣いと白いドレスを着た女の子の人形をわたしにくれた。このお土産がわたしのためらいを完全に消し去ったのだった。
事務的なことが済んで世間話をしていると、母様が鮮やかな手口でカイル様をお泊まりに追いこんでくれた。
カイル様が「終わらせておきたい仕事があるから」と部屋にこもっている間に、魔女は悪女の手を借りて宴の準備を進めた。もちろんカイル様のお皿には、旅の疲れを癒してもらうべく『安眠の魔法』をかけておいた。
「あなた~お食事の用意ができたわよ~」
カイル様がはにかんだような笑顔で階段を下りてくる。
「お腹がペコペコだよ、ハニー。……なんてね。まるでおままごとだな」
「さあ、それはどうかしら?」
「え? どういうことだい?」
「いいえ、なんでもないわ。わたし達のお料理を見てもおままごとなんて言えるかしら? ということよ」
「そうか、料理が得意なんだね。きっといいお嫁さんになるよ」
「ありがとう。先に行ってて。ワインをとってくるから」
地下のワインセラーから父様のコレクションの数本を取り出す。せめてもの罪滅ぼしに、とっておきのワインをごちそうしてあげようと思ったから。そういえば、お酒は睡眠薬の効きを強くするんだったかしら?
――食事が進むにつれ、カイル様は酔いがまわってすっかりリラックスしたようだった。
「これ、本当に全部お二人で? すごいですね。街のレストランにも負けてませんよ」
母様は料理人も兼ねたプロのメイドさんだった人だから、本気で料理をすると確かにすごいのだ。
「お口に合ったみたいでよかったわ、どんどん召し上がって」
「ねえカイル様、こっちのサラダも食べてみて? グレープフルーツが入っているなんて面白いでしょう? わたしの自信作なのよ?」
「それは美味そうだね。グレープフルーツか」
一口食べてカイル様は顔をしかめた。お薬の効きを強くするために無理矢理グレープフルーツを使ったんだから無理もない。
「……うっ、まいよ。ロージー」
「本当? お世辞なんて言っちゃいやよ?」
「……ああ……本当に」
「よかったわ! お口に合わなかったらどうしようかと心配だったの」
カイル様は一気にサラダをかきこみ、ワインで流しこんだ。
「嬉しいわ! よかったらわたしの分もあげましょうか?」
「い、いや、美味いから君も食べなよ。僕はもう十分堪能したから」
――薬が効いたら女二人ではカイル様を運べなくなりそうだったので、食事が終わると三人でわたしの部屋に行き、トランプをしてすごした。カイル様と母様は持ってきたワインをちびりちびりと飲んでいた。
「カイル様、そんなところで寝たらお風邪を召されますよ」
「カイル様大丈夫?」
「ああ……面目ない(めんぼくない)……美味しいワインだったもので……欲張ってしまったかな」
「もう、仕方のない人ね。ロージーのベッドを借りてそのままお休みになってくださいな」
わたし達が導くままに、カイル様はわたしのベッドに崩れた。
「上手くいったわね。あとは隣でいい夢でも見ていれば彼はあなたのものよ。ごゆっくり」
グラスやボトルをトレーに載せて母様が出ていった。
「カイル様ごめんなさい。わたし、あなたがほしいの。……へ、変な意味じゃないのよ? わたしはあなたを一生大切にするわ。だから許してね」
カイル様の頬に口付けると、ウーンとうなった。
「いいお返事をありがとう。大好きよ、カイル様」
母様から借りたちょっぴり下着が透けるネグリジェを着て眠る仕度をすると、カイル様の腕を胸に抱いて横になる。
こうやって一緒に眠ってしまったら、間違ってコウノトリさんが赤ちゃんを運んでくるんじゃないかしら? きっとそういう事故が起きた場合のことを『傷物にされた』っていうのね。だから夫婦になるまで一緒に眠ってはいけないんだわ。それなら理にかなっているもの。でも、母様は、カイル様を眠らせてしまえば大丈夫って言ったはずよ。……ということは、眠る前にどんな赤ちゃんが欲しいか相談して決めておくとか、そういう約束事があるのかしら? そうよ、きっとそれを『契り』っていうのよ。契りというからには重大な約束事のはずだもの。……わかったわ! きっと結婚式の時に司祭様が『契る方法』を教えてくださるのね。……いいえ、男の子はきっと父様から習うんだわ。それが『リードする』っていうことだったのよ。わたしは女の子だから父様も母様も教えてくれなかったに違いないわ。将来のお婿さんの顔を潰すわけにはいかないから。……わたしったらなんだかとてもいやらしいことを想像していたけど、考えすぎだったみたい。
……先生は一人っ子だったから早く赤ちゃんが欲しくて焦っていたんだわ。そう考えるとなんだか可哀想。先生と夫婦になんてなりたくなかったけど、内緒でコウノトリさんを呼ぶぐらいなら手伝ってあげればよかったわ。赤ちゃんが欲しいなら、そう言ってくれればよかったのに。……でも、先生はわたしを裸にしたがるような変態さんだったから、やっぱりだめね。そんな変態さんが一人で子育てなんかしたら、子どもが可哀想だもの。
そんなことを考えている内に、眠りに落ちていった。カイル様がわたしに変なことをする夢を見た。ちょっぴり怖かったけど、素敵な夢だった。




