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2-6

 たどりついた部屋はところどころが欠けた石の壁がむき出しで、薄暗くじめじめしたところだった。奥の壁がやっと見えるくらいの広い地下室には人の骨が何体か転がっていた。

 腕にしがみつくわたしにバフォメット様が言った。

「嬢ちゃんは牧場で牛を見たら怖いか?」

「いいえ、牛さんは可愛い目をしているわ」

「じゃあ、食肉として処理された牛はどうだ?」

「食べ物だから、怖くはないわ」

「こいつらはな、俺達にとってそういうもんなんだ。知性を持っていて見た目が近い分だけ慣れるのに時間がかかるかもしれないが、食わないとオーラが使えなくなるんだ」

「オーラ?」

「俺がなにかする時に身体全体や指先が光るだろ? あれがオーラだ。戦うにしろ物質化をするにしろ、オーラは俺達の生命線といえるものだ。だからつらくても食べなきゃだめなんだ」

 バフォメット様に肩を抱かれて奥へと進んでいく。

「心の準備をしろ」

 そう言うと、バフォメット様は床の上の何かを覆う黒い布を引いた。

「いや!」

 バフォメット様のお腹に顔を埋めた。人間の中年男性が裸で横たわっていたからだ。その男の胸には逆五芒星が描かれた札が貼られていた。

「この札を貼れば人間のまま連れてこられるんだ。食う時専用だがな。こいつは俺がさらってきて魔法術で昏睡こんすい状態にしてある。だから、食っても苦しんだりはしない」

「……この人にだって生きる権利があるわ」

「こいつはな、地上で人を使って何十人という人間を殺してきた悪い男だ。だからといって殺していいって理由にはならないが、食うならせめて地上の掃除も兼ねたほうが、俺も少しは気が楽だってことさ」

「でも……」

「そうさ、これは勝手な言い分にすぎない。だが、つらくても食わなきゃいざって時に俺達自身が危なくなるんだ。それが魔界に生きる者の宿命だ」

 バフォメット様は「すまねえな」と謝り、男の腕をかじりだした。

「さあ、嬢ちゃんも食え。悪い中年の人間は美味いぞ」

 バフォメット様がしていることを見てわたしは何度も吐きそうになったけど、空っぽの身体からはなにも吐き出せなかった。バフォメット様にうながされて泣きながら少しだけ腕をかじった。温かい肌を噛み切ることなどできるわけがないと思っていた。でも、意外にあっさりと肌に穴が開いた。あごや歯が強くなっているようだった。驚いたわたしは噛みちぎった皮膚と少しの肉片を思わず飲みこんだ。喉が激しくけいれんして、自分の腕がひどく痛んだ。なにも考えられなくなったわたしは、嘔吐く(えずく)喉からひどい音を上げながら部屋へと逃げ帰った。

 ベッドに縫いぐるみをかき集めて震えていると、しばらくして扉が叩かれた。

「入るぞ」

 バフォメット様はわたしに並んでベッドに腰を下ろした。

「嬢ちゃんにはこくなことだったかもな。あんなことをしでかさなかったら魔界に連れてきたくはなかったんだ。人を食う魔族の徴なんて与えたらこうなるのがわかっていたからな」

「わたし、どうしたらいいの……?」

「嬢ちゃんが人間だった時の力もしばらくは残ってるから、少しずつ慣れればいい」

「無理よ! わたしを殺してちょうだい。……耐えられないわ、人を食べて生き残るなんて」

 泣きだしたわたしをバフォメット様がきつく抱きしめてくれた。

「そんなことを言っちゃだめだ。逃げたってきっと生まれ変わって、いずれ逃げ切れない問題にぶち当たるんだからな。それに、嬢ちゃんが死んだら俺は悲しい。悲しむ奴がいる限り嬢ちゃんの命は嬢ちゃんだけのものじゃないんだ。だから耐えてくれ……頼む」

 頭に涙が落ちてきた。それはとても熱かった。わたしを包む手が、腕が、胸が、とても、とても熱かった。


 バフォメット様が言ったことを理解できても消化しきれなかったわたしは、以前のようにベッドにこもってすごした。今度は痩せ衰えることすらできなかった。赤い天蓋てんがいがむなしく見えた。魔族の身体に舞い上がっていた自分を情けなく思った。

 ――バフォメット様が部屋に来た。

「これから城の工事に行かなきゃならんのだが……。何かほしいものはないか?」

「何もいらないわ……お仕事頑張ってね」

「暇だったらテレビでも見てろ。こればっかりは考えてたって仕方がないんだから。俺の部屋に映画やらなんやらもあるから勝手に入って選んでもいいぞ。テレビで再生すればいつでも見られるからな。ただし、棚にはすげーのもあるから気をつけろよ?」

「ありがとう。気が向いたら見せてもらうわ」

「誰か訪ねてきても出るなよ。工事に集まった奴らの中に荒っぽいのもいて、最近治安がよくないんだ。まあ、この家は俺様の魔力で守られてるから心配ないとは思うがな。何かあったら紋章を描いてすぐに呼ぶんだぞ?」

「わかったわ」

 部屋を出て行きかけて、バフォメット様がこちらを振り返る。

「嬢ちゃん、……俺と約束しろ」

 馬鹿な真似をしないこと。バフォメット様がたった一つだけ、厳しくわたしに禁じたことだった。

「ええ。バフォメット様が悲しんだら、わたしも悲しいもの」

 バフォメット様はニッコリうなずいて出かけていった。

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