あっかんべー
会社をサボった日をピークに、わたしはどこかふっきれたような気になっていた。「気になっていた」というのは、言葉のとおり、結局何一つ解決はしていないのだ。なによりも、わたし自身、解決を望んでなんかいなかったのだから……
「まぁ、今回の件は、これで行くしかないか」
「部長、それじゃぁあ、ちょっとマズいんじゃぁ……」
「何をやってもダメってことは、何をやってもいいってことだよ」
「そんなぁ、もう!わたし、どうなっても知りませんからね」
「大丈夫、どのみち、どうにもならないんだから」
部長はこういうとき、本当に肝が据わっている、或いは楽観的というのか……でも、それが結果的に悪いほうに転がらないところが、わたしにはどうにも頭が上がらないし、頼ってしまう。「そうか、そういう時は、頼っちゃたり、任せたりしたほうがいいのか」と思えるようになったのは、わりと最近の話である。
そんな部長から食事に誘われたのは、残暑厳しい9月のある日のことだった。
「お前、最近、無理してないか?」
会社近くの日本そば屋、いつもは愛妻弁当の部長は、奥さんが夏風邪にやられたらしく、今日は珍しく外でお昼を食べることになった。そしてどういうわけか、わたしを誘い出して、今目の前で天ぷらそばのセット(冷たいそば)をすすっている。
「無理なんか全然……アッコもサッチンもキヨミもみんながんばってくれてますし、部長とマンツーマンでやってた頃に比べたら、全然余裕っすよ」
決して強がりではない。あの子たちには本当に救われていると思う。公私共に。
「そうか、それならな。まぁ、殺しても死なないようなカミさんでも風邪を引くことがあるくらいだから、お前も無理するなよって、ただそれだけだよ」
「ひどーい、部長」
「なにがだ」
「奥さんに対して失礼ですよ。風邪引かないなんて、そ・れ・に、わたしと同類みたいないい方して、それこそ奥様に失礼ですよ」
部長は口の周りについためんつゆをハンカチで拭きながら、照れくさそうに笑った。そして、意地悪そうな顔をして反撃の体制を整えた。
「そういうお前はいい男いないのか?ミレニアム婚とかするなら今だぞ、がんばればミレニアムベービーだって夢じゃない」
「ベーっだ」
わたしは渾身の笑顔であっかんべーをした。思わず部長になら相談できるかもという誘惑に駆られ、そのことを払拭するために、多分、人生で最高のあっかんべーだったにちがいない。
「こら、こら、いい女が台無しだぞ」
部長は大きな声で笑ってくれた。でも……ちがうんです。
わたし、結構、悪い女なんです。
「すまんな。お前のおかげで俺はだいぶ楽をさせてもらってる。いまどきの娘というのは、どうもな、何を話していいかわからん」
「なんですか、それぇー、わたしだって、まだまだ『い・ま・ど・き』ですからね。失礼しちゃうわ、もう!」
そうなんです。わたしって、結構いまどきの、ダメな女なんです。
「かっ、かっ、かっ、かっ。だって、ほら、お前くらいしか俺のギャグで笑ってくれないから」
わたしは気がついた。そう、これなんだ。きっとこれにちがいない。わたしをイライラさせていたのは、自分に対する違和感だったんだ。部長は部長らしく、アッコも、サッチンもキヨミも、みんな自分らしいのに、わたし、なんか背伸びしてるのかもしれない。
「部長、まさか、家でもさむーいオヤジギャグ飛ばしてるんじゃないでしょうね」
「さて、どうかな。妻は箸が転がったら自分も転がって笑うタイプだからな」
わたしは本当に、心の底から、笑いたくなった、笑い転がりたくなった。そういう自分になりたいと、そう思えるようになった。