Please tell me your name……
プルルル、プルルル、プルルル……
「Please tell me your name……」
プーッ、プーッ、プーッ
イタズラ電話を防止するために、わたしは英語で留守電のメッセージを入れてある。どうせ昼間にかかってくる電話なんて、セールスか何かに違いなかった。
「こんな時間に、いるはずもないのに」
わたしはベッドにうずくまりながら、携帯電話のアドレス帳を眺めていた。仕事中に彼に電話をしたことはない。長電話は苦手。わたしも彼も、電話は用件だけしか話さない。はたから見ていると、とてもそっけない会話なんだろうなぁとは思う。でも、2人にはそれが似合っていた。
「似合ってるって、何が?」
自問自答。
留守電にメッセージを入れるのも苦手だった。留守だとわかると、何も言わずに切ってしまう。でもそれって、どうなの?
「ただ、苦手なだけ?それとも、わたし、わたしって……」
ズルい女?悪い女?
自問自答。
「そんなんじゃ、ないんだから、そんなんじゃ……ない」
嘘、みんな嘘だわ。でも、それなら、どうしてこんなに苦しいの?
自業自得。
「そっか、わたし、苦手とか、そういうんじゃなくて、ただ、臆病なだけなのかな」
悪女に、なりたくても、なれない。でも彼を失うのは何よりも怖い。
自暴自棄。
わたしは目をつぶって、そして携帯の発信ボタンを押した。呼び出し音が3回。
「只今、留守にしております。御用の方は、ピーット言う発信音のあとに、ご用件をお入れください」
「べーっだ!フフフフ……わたしでーす。今日会社サボっちゃったぁ。特に意味はありません、では、ガチャン!」
プーッ、プーッ、プーッ
彼の家の留守電は、彼の声で入っている。でも、一字一句、テープと同じことを言っている留守電に「意味ないじゃ」と突っ込んだ事がある。
「普通、自分の名前とか名乗るでしょう」
彼は、真っ赤な顔をして「ベーッだ!」とわたしに舌をだして照れ隠しをした。彼の実直さは、時に笑いの神を呼び起こす。
精一杯のわたしの抵抗。
「こんなもんか」
そう、たったこれだけのこと。わたしは初めて彼の留守電にメッセージを入れた。もっと不安な気持ちになるかと思ったけど、驚くほどなんともない。むしろなんともないことに驚いていた。
「こんなもんなんだ……って」
わたしの声はかすれて自分でも聞き取れなかった。口は確かに「ふ・り・ん」と動いたのに、声に出して言うことはできなかった。
「きっと、今日の夜、電話かかってくるなぁ。で、最初はきっと……っていうんだろうな。誤ることなんかないのに、もう」
彼に謝って欲しくはなかった。でも、きっと彼はそうするにちがいない。いま、やさしくされたら、わたし、きっとダメ。ダメになっちゃう。
わたしの妄想は止まる事がなかった。妄想しているのか、夢の中なのか、区別がつかないうちに、気がつけば外は暗くなり、夕闇が迫ってきていた。夜は怖い。今夜こそ、眠れるはずがない。
「電話、しておこう」
携帯を手に取り、電話をする。
「あ、部長、すいません。お休みいただいちゃって」
「おー、大丈夫か?風邪か?お前が風邪ひくなんて、今年の風邪は本当にタチが悪いんだなぁ。いいぞ、明日も休むなら」
「あ、いえ、大丈夫です。明日は、必ず行きますから、今日は本当に、スイマセンでした」
「そうか、まぁ、それならいいが、無理はするなよ。こっちは大丈夫だから」
「はい、ありがとうございます、部長。では、失礼します」
彼にかけるつもりで、また、わたしは逃げてしまった。
「もう!わたし、何やってんだか……」
携帯をベッドの上に放り投げ、両手で髪の毛をかき乱す。今日も、長い夜になりそう。
グー、キュゥゥゥ……
「やだ、こんなときにも、お腹は空くのね……」
冷蔵庫は空っぽだった。わたしは身支度をして、外に出ることにした。
キィィィ……バターン!
玄関の扉が閉じる音
カチャ、カチャ
カギを閉める音。部屋の中は静寂に包まれる。
カツカツカツ……
足と戸が玄関から遠のいていく
プルルル、プルルル、プルルル……
「Please tell me your name……」
留守電に切り替わる
「もしもし、ゴメン、いないの……かな……」
プーッ、プーッ、プーッ
再び部屋の中は、静寂に包まれた。
あなたを・もっと・知りたくて
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 唄:薬師丸ひろ子