紫陽花
何がいけないのか……ちがう、何を恐れているのか、それも嘘、だって本当はわかっている。
誰かを好きになるってことは、その人の今、ともに過ごす未来、そしてそれまでの相手が過ごしてきた時間をすべて受け止めること、ううんん、そんな理屈っぽいことじゃなくて、もっと感覚的な、空間的なことよ。
自問自答する毎日
「明日こそは聞いてみよう」
そう思っては、それをなし得ず、思いはつのる。
「ねぇ、どんな人だったの前の……」
その後に続く言葉が出てこない。頭の中で何度も解析し、何度もシミュレーションをする。
多分もう、別れているのだと思う。だって彼はめいいっぱいわたしを愛してくれている。それは疑いようのない事実。でも……
ここにいる彼は、彼の全てじゃない。きっと彼のある一部分だけか、又はその逆にある一部分だけが欠けている状態、本当の彼は、今ここにはいない。
頭ではわかっている。ちがう、そうじゃなくて、わかってない。これは勝手な想像だもの、でも、それも違う。だってきっとそうに違いないんだから。ぐるぐる回っている。ぐらぐらと揺れている。
女になりきれないでいるわたし、いつまでも恋する乙女じゃいられない……
外は雨、降りしきる雨に打たれる紫陽花を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「お待たせしました!先輩!」
小さな身体に不釣合いな男物の大きな黒い傘をさしたサッチンが店の中から出てきた。
「紫陽花、きれいですね。でもわたし紫陽花って好きじゃないなぁ、だって『移り気』『高慢』『辛抱強い愛情』『元気な女性』『あなたは美しいが冷淡だ』『無情』『浮気』『自慢家』『変節』『あなたは冷たい』ですよ」
「な、なによそれ」
「紫陽花の花言葉です」
「い、いや、そうじゃなくて、あんたなんでそんなこと暗記してんのよ」
「さて、なんででしょう?」
クライアントとの打ち合わせの後、サッチンと喫茶店に入って少し遅めのランチを食べた。感じのいい店のママの手作り感たっぷりのミートドリアセットは、散々だった打ち合わせ内容と憂鬱な雨に打ちひしがれた女子2名の心を癒してくれた。
「ふ~むぅ、そうね……さては心無い男子に紫陽花でも送られた事があったり?」
「す、すご~い、先輩するどい!」
「ははは、伊達に30年近く女をやってないわよ」
サッチンとの不毛で自虐的な会話は、もはやわたしにとって、なくてはならない存在になっていた。
「ついでに言わせてもらうと、サッチン、その男物の傘、お主、まさか彼氏の部屋から会社に直行か?」
「え、えーーー、先輩なんでそんなことわかるんですか?後生です、どうかこのことは誰にも言わないでくださいまし、なんでも言うことを聞きますから」
「ほー、そうか、そうか、ならば今晩付き合、昨日どんなことがあったのか、根掘り葉掘り聞いてやる」
ミイラ取りがミイラになる――そんな絵に描いたような体験をすることになるのはその日の夜のことだった。