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微笑返し

「やぁ、待たせたちゃったかな?」

 ドアのベルと共に彼が現れた。彼の笑顔がまぶしい。わたしは席から立ち上がってお決まりの文句――さっき、来たばかりですから――といって彼を席に招きいれた。社交辞令なんて、ちっともわたしらしくない。次の言葉が見つからない。あー、わたし、なんで準備していなかったんだろう。


「コーヒー飲んでるの?ブレンド?」

 正直少し慌てた。社交礼儀的な会話のデータベースにこの会話の展開は登録していなかった。

「はい、いつも、これなんです」

 彼は一段と屈託のない笑みを浮かべながらお冷を持ってくきてくれたマスターに声をかけた。

「ボクもブレンドをお願いします」

「はい、かしこまりました」

 わたしは少し後悔し始めていた。わたしはわたしの場所に彼を呼び込んでしまったのだ。マスターに対してもどこか気恥ずかしさがこみ上げてきていた。


「この店にはよく来るのかい?」

 大丈夫。この話題は想定内。

「週末は時々、ここで本読んだりして……なんか落ち着くんですよね。この店。コーヒーのこととかはよくわかんないんですけど、たぶん、チェーン店なんかよりはおいしいんじゃないかなぁって」

「うん、最近はこういう個人経営の喫茶店が減ってきたからね。ボクは学生時代はこういう店に入り浸ってね。そこで仲良くなったマスターにコーヒーのことやお酒のことをいろいろと教わったよ」


 彼はお冷と一緒に出されたタオルで手を拭きながら、ゆっくりと、丁寧に、どこか遠いい昔に思いをはせるような目をしながらわたしに語りかけてくれた。


 好きだ


 わたしはもうすっかり観念した。わたしはこの人が好きだ。たった数分しかたっていないのにわたしはそれを確信した。


 わたしが彼に見蕩れているうちにマスターが彼のブレンドを持ってきてくれた。彼はまるでためらうことなくマスターに話しかけた。

「あのー、実はこの前、彼女にコーヒーの豆を扱っているお店を知っていたら教えてくださいってお願いしたの、実はボクなんです」

「あー、そうでしたかぁ」

「えー、いいお店を紹介してくれました。おかげでいい豆が手に入りました」

「あー、それはよかったですね。あの店の主人はわたしの古くからの友人でしてねぇ。それはよかった」

「いえー、今日はそれで、マスターにお礼が言いたくて伺ったんです。ありがとうございました」

「それはわざわざ、どうぞごゆっくりしていってください」


 わたしは嫉妬した――えっ?何に?誰に?

 わたしがマスターと話をしたのは、この店に通い始めて数ヶ月経ってからのことだった。わたしは彼に嫉妬している?

 わたしはまだ、彼とまともな話はできていない。言葉一つ一つ選ぶのも苦労しているのに、マスターと彼はまるで旧知の仲のように打ち解けている。わたしマスターに嫉妬している?


 彼は出されたコーヒーをそれはそれは優雅に口に運びコーヒーの香りと風味を味わっていた。

「う~ん。今日はいい日だ」

 なんて素敵な声、なんて素敵な笑顔、どこまでも自然な立ち振る舞い。わたしはすっかり舞い上がりそうだった。

「そうですね。素敵な日ですね」

 わたしは精一杯努力して、ようやくその言葉を見つけた。ようやくわたしの言葉が彼の中に溶け込んでいくのを感じることができた。少しずつ肩の力が抜けていった。わたしはたぶん、ようやく、自然に微笑むことができた。



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