土曜日のタマネギ
もとは「最後の晩餐」というタイトルと「料理」というテーマのお題小説でした。それを少し発展させて70年代後半から80年代の昭和の歌謡曲のテイストを織り交ぜながら描いていきます。
11月、街はすっかり冬支度を始めていた。
気の早い恋人たちは、クリスマスが待ち遠しくてしかたがない。
今日は土曜日――2週間前から約束。
彼が遊びに来てくれる。
ここのところ忙しくて、ろくに会うこともできなかった。
……できなかったのだと、思う。
わたしは、近所のスーパーに買い物に出かけた。
よく晴れた気持ちのいい天気に、わたしの心は少しだけ弾んでいた。
「大丈夫、きっと大丈夫」
二人の心が少しずつ、離れてきているのを感じていた。
恋愛は初めてじゃない。
今がどういう状態なのかは、わかっているつもり……。
客観的に見ても『マズい』と思う。
彼はとても優しくしてくれる。
やさしく包んでくれる。
わたしはそれに甘えて、甘えっぱなしで……。
少しばかり、浮かれていたのかもしれない。
彼はまじめ。
まっすくわたしを見つめてくれる。
でも、わたしはそれに耐え切れずに、目をそらしてしまう。
彼の優しさはわたしを不安にさせる。
彼の純真さはわたしにはまぶしすぎる。
時々思いつめたような表情をする彼に、わたしは何もしてあげることができなかった。
だから今日は……。
だから今日は暖かいポトフを作って――。
作って……、わたしは彼に甘えるの? 謝るの?
それとも……。
彼のために料理を作るのはいつ以来だろう。
去年はよく、彼の部屋に行って料理を作ってあげたっけ。
「ねぇ、お砂糖どこだっっけ? みりんある?」
彼のキッチンはとても整理されていて、女のわたしでも感心するほど――。
でもそういう事がプレッシャーになることもあるなんて、わたし、思っても見なかった。
わたしが作ってあげたのと同じ料理を、彼が見よう見真似で作ってくれたこともあったっけ。
「どうかな? ちゃんと出来たかなぁ?」
「すごい、ちゃんと肉じゃがになってるよ」
どんなことにも前向き、そしてなんでもそつなくこなしてしまう彼……。
別にすれ違いとか、そんなんじゃないの。
彼が変わったわけでも、わたしが変わったわけでもない。
でも、少し背伸びをしてたのかもしれない。
彼もわたしも――
だからちょっと疲れただけ、ただそれだけ……。
「痛っ!」
ニンジンを切る手がすべり、わたしは小指に小さな傷を負った。
「もーう、バッカみたい!彼に笑われちゃうわぁ……」
でも、本当に笑ってくれるかしら……。
そのときとっさに頭に浮かんだのは、わたしの小さな傷の跡をひどく心配そうに眺めている彼の姿だった。
そしてそんな彼を見ながら「馬鹿だなぁ」と笑いながらいって欲しかったと、戸惑っているわたしの姿も……。
「馬鹿だなぁ……。もう」
日はすっかりかげり、不安な気持ちが募り始めていた。
「来るかなぁ」
きっとくる。
彼は今まで約束を破ったことはない。
どんなに遅くなっても必ず会いに来てくれた。
わたしなんかとは、ちがう……。
「プルルル……、プルルル……」
期待を裏切って電話のベルが鳴る。
電話に出たくない。
お願い、誰か、電話のベルを止めて……。
「もしもし……」
「ごめん、俺、いけない……。もう逢えない……。ごめん」
「うん、わかった……。じゃぁ」
「えっ……。あぁぁ……、じゃぁ、元気で……」
「うん、大丈夫だから……、大丈夫だから」
わたしは最後に嘘をついた。
部屋中の空気が静まり返る。
電話も、タンスも、時計も……。みんなわたしに気を使っているようで、心が痛かった。
独りぼっちの晩御飯。
不思議と涙は出なかった。
「わたし、こんなに料理下手だったかなぁ……」
出来上がったポトフを食べる前に、わたしの涙はすでに枯れていた。
ポトフはいつもよりも、少し、しょっぱい気がした。
もう、背伸びしなくていいんだ。
そんなことを思い出したら、また、涙が溢れ出そうになる。
「背伸びしてたわたし、バイバイ……」
「わたしは大丈夫なんだから」
精一杯の嘘を、それでもわたしは最後まで突き通そうと必死だった。
「大丈夫なんだから!」
土曜日のタマネギ』
作詞:谷山浩子/作曲:亀井登志夫/歌:斉藤由貴