第122章 資本経済の1つの面
第122章 資本経済の1つの面
南越エアラインズの超音速大型旅客機『B7237』が、南太平洋の青く広がる洋上を時速二千キロメートルで成層圏を滑るように飛行していた。
機内の特別ラウンジ。窓の外に広がる無限の青空を眺めながら、新形テレビ20のベテラン報道記者・高橋(50代)は、手元の取材ノートにペンを走らせていた。その向かい側には、若手カメラマンの井上が、愛用の8Kカメラのレンズを丁寧に布で磨きながら座っている。カメラの側面には、あの破産寸前のローカル局時代からずっと共に歩んできた「古びたガムテープ」の切れ端が、誇り高く貼られていた。
「なぁ、高橋さん」
井上はレンズから目を離し、少し神妙な面持ちで先輩記者に話しかけた。
「どうした、井上」
「さっきから、ずっと思い返してたんです。ナウルの再生支援もそうですし、これまでのベネズエラ、ベネチア、アマゾン、そして数々のハゲタカファンドとの激闘……。南越急行のあの三人、篠原CEO、古賀副社長、大石専務は、いつでも世界中を飛び回って巨大な資本と闘っていますよね」
「ああ、そうだ。彼らはこの地球の『インフラの歯車』を回し続けている」
「で、ふと思ったんです」井上は少し声を潜めた。「あの人たちは、自分たちの前に立ちはだかるアクティビストやPEファンド……いわゆる『ハゲタカ』と呼ばれる連中を、どう思っているんでしょうか? 当然、目の上のたんこぶで、泥棒猫みたいな『敵』としか考えてないんじゃないですか?」
高橋は書く手を止め、ゆっくりとメガネを押し上げた。
「敵、か……」
「だってそうでしょう?」井上は身を乗り出した。「人の努力や現場の汗なんてお構いなしに、数字とマネーゲームだけで会社を解体しようとする連中ですよ。あの篠原さんたちが、あんな連中を許しているとは思えません」
高橋はふっと小さく笑うと、窓の外の雲海に目をやった。
「井上、お前はまだ記者の視点が『善と悪』の二元論に囚われているな。もちろん、短期的な利益のために技術や従業員を食い潰すようなハゲタカは、篠原さんたちも嫌ってきた。だがな……資本主義という巨大なゲームのルールの上で、金を増やそう、儲けようとする人間がいるのは自然の摂理だ」
「自然の摂理、ですか?」
「ああ。資本主義が存在する限り、あのようなファンドや投機家という存在はどうしても一定の割合で生まれてくる。人が富を求めようとする一つの歪んだ、しかし強烈なエネルギーの形だからな。……だからこそ、あの三人——篠原、古賀、大石は、ファンドを単なる『憎むべき敵』などとは思っていないんじゃないか、と俺は睨んでいる」
井上は驚いたように目を見開いた。
「思っていない? じゃあ、彼らにとってファンドとは何なんですか?」
高橋はポケットからガムテープの補修された愛用のライターを取り出し、カチリと音を鳴らした。
「それを確かめるには、直接本人たちに聞くのが一番のジャーナリズムだろ?」
「え……?」
「ちょうどいい。今回のナウル取材の帰路、六日町の本社に戻る前に、あの三人に『ファンドについてどう考えているか』をテーマにした特別インタビューを申し込む。井上、お前はその瞬間をそのレンズで一切の妥協なく捉えろ」
ベテラン記者の突然の提案に、井上の胸が高鳴った。レンズの向こうにいる「100兆円の巨人たち」が、世界経済の裏側をどう見据えているのか。その真実に迫る密着インタビューが、いま動き出そうとしていた。
数日後。
新潟県南魚沼市、六日町メガロポリスの本社高層タワー最上階。
新形テレビ20のふたりは、CEO室ではなく、あえてグループの歴史と息吹が感じられる社内ラウンジの一角にカメラを据えていた。
「おや、新形テレビ20の高橋君に、カメラマンの井上君じゃないか。こんなところで待ち構えて、また何かスクープのネタでも探してるのか?」
豪快な笑い声を響かせながら現れたのは、南越重工業社長兼グループ副社長の古賀だった。そのあとから、ポーカーフェイスを崩さない最高財務責任者(CFO)の大石専務、そして最後に、トレードマークのスーツに身を包んだ最高経営責任者(CEO)の篠原賢人が静かに入ってきた。
「古賀副社長、ありがとうございます。スクープというか、今日はあなた方三人にお聞きしたい『一つの大きな問い』があって時間をいただきました」
高橋は背筋を伸ばし、真剣な眼差しで三人の男たちを見据えた。
「ほお、俺たちに問い、か」
古賀は面白そうに腕を組んだ。大石もタブレットを閉じ、静かにソファに腰掛ける。篠原はいつものようにテーブルの前に座り、温かいジャスミン茶(南越ビバレッジ特選一級品)を一口含んで頷いた。
「構わない。何を聞きたいんだ、高橋君」
「ありがとうございます、篠原CEO」高橋は深呼吸をし、核心の質問を投げかけた。
「これまであなた方は、ウォール街のブラック・ストーン(ヴィクター)をはじめ、数々の敵対的買収を仕掛けるハゲタカファンドやグローバル資本と対峙し、すべて返り討ちにしてきました。世間のメディアや一般の従業員たちは、あなた方がファンドを『会社の富を奪う悪質な敵』と考えていると思っています。……実際のところ、あなた方はファンドという存在をどう捉えているのですか?」
その質問の瞬間、部屋の空気がわずかに引き締まった。
カメラマンの井上は、息を呑みながら8Kカメラのファインダー越しに三人の表情を捉えた。
最初に口を開いたのは、冷徹な「財務の鬼」として数々のマネーゲームを制してきた大石専務だった。彼はポーカーフェイスのまま、淡々と語り始めた。
「ファンドを敵と考えるか、ですか」
大石はメガネのブリッジを指で押し上げ、冷徹なトーンで言った。
「財務の観点から言えば、アクティビストやPEファンドは、市場における『非効率のバロメーター』に過ぎません。企業が資産を遊ばせ、資本効率(ROE)を軽視し、現場の潜在価値を眠らせているからこそ、彼らはそこに目をつけ、株を買い集める」
大石は手元のタブレットを軽くタップした。
「彼らは悪意のモンスターとして突如現れるわけではありません。企業が本来果たすべき『利益の最大化と資本の適切な再配分』を怠った結果として、免疫力の落ちた身体に侵入してくるウイルスのようなものです。だから私は、ファンドを感情的な『敵』と思ったことは一度もない。むしろ、彼らの動きを分析すれば、我がグループの財務のどこに慢心があり、どの部門の資産が有効活用されていないかが手に取るようにわかる。いわば、冷徹で極めて優秀な『通信簿』です」
大石の現実的かつ冷徹なビジネス論に、高橋は深く頷いた。
「なるほど……。敵ではなく、自らを律するための鏡であり、市場のシグナルだと」
「その通りです」大石は頷いた。「ただし、彼らが数字の魔術だけで現場の血の通った技術や、従業員の誇り、地域社会の信頼を切り売りしようとする時だけは、我がグループの圧倒的な財務力と法的手網で『徹底的に駆逐』する。それは感情論ではなく、ポートフォリオの健全性を保つための論理的な処置に過ぎません」
次に、豪快に笑い声を上げたのは、現場のカリスマ・古賀副社長だった。
「ハハハ! 大石の野郎は相変わらず冷たいこと言うぜ! だが、大体のところは合ってるな」
古賀は腕を組み、かつてウォール街のハゲタカたちと対峙した日々を懐かしむように目を細めた。
「俺に言わせりゃ、ファンドの連中ってのは『ものすごく不器用な数字の亡者』だ。彼らはエリート街道を歩いてきて、エクセルや財務諸表の数字しか見てねえ。だから『この会社を解体して切り売りすれば、短期で二〇パーセントの利益が出る』なんて冷酷な計算を本気で信じ込ちちまう」
古賀はガッシリとした自分の拳をポンと叩いた。
「だがな、そんな奴らも、実際に現場に引きずり出して、俺たちがやっている泥臭い仕事を見せてやると、急に目をパチクリさせやがるんだ。例えば、月面のレゴリスを克服するリニアの技術や、アマゾンの植林ドローン、あるいは魚沼の農家のおっちゃんが作ったお米がどうやって世界に届くか……その『現場の熱気と職人の誇り』を肌で感じた瞬間、奴らの目が変わる。『ああ、俺たちは数字の向こう側に、こんなにも分厚いドラマと人間の命を見ていなかったのか』ってな」
古賀は力強く言い放った。
「だから俺は、ファンドの連中を頭から否定しねえ。奴らはただ『正しい稼ぎ方を知らない哀れな野郎ども』だ。俺たちの圧倒的な技術と現場の情熱を見せつけて、『どうだ、数字だけじゃなくて、こういう本当に豊かな未来の創り方があるんだぜ』って教えてやると、大抵のハゲタカは大人しく尻尾を巻いて帰るか、あるいは俺たちの仲間になりたがるのさ」
大石の冷徹な分析と、古賀の情熱的な現場論のあと、静かに控えていた最高経営責任者(CEO)の篠原賢人が、ゆっくりと口を開いた。
部屋の空気が、さらに一段階引き締まる。井上は息を殺し、8Kカメラのシャッターチャンスを逃すまいとファンドに集中した。
「大石の言う通り、ファンドは市場の歪みを映す鏡だ。古賀の言う通り、彼らは数字に囚われた不器用なプレイヤーに過ぎない」
篠原は穏やかな、しかし底知れない深みを持った目で高橋と井上を見つめた。
「では、私にとってファンドとは何か。それは……『私自身の、過去の姿』かもしれないね」
「……あなたの、過去の姿?」高橋が驚いて聞き返した。
「そうだ」篠原は微かに微笑んだ。
「私はかつて、大手証券会社やファンドの最前線にいた人間だ。300億円の内部留保をキオクシェアの株に投じ、金融格闘技で2兆円を叩き出したのも、手法の根底にあるのは彼らと同じ『資本の力学』だった。私たちは、数字の爆発力とリスクの計算がなければ、あの赤字の地方ローカル線を救うことも、月面やベネズエラにインフラを届けることもできなかった」
篠原は立ち上がり、窓の外の六日町の街並みを見下ろした。高架上を時速160kmのAI特急『新・なんたか』が、美しく滑らかに走り抜けていく。
「ファンドの人々は、『金を増やすこと』が企業の目的だと信じ込んでいる。彼らにとってそれは絶対的な正義なのだろう。だが、私たちは知っている。金は目的ではなく、あくまで『人々を守り、未来を創るための燃料』に過ぎないということを」
篠原は振り返り、真っ直ぐに高橋を見据えた。
「彼らは富を『吸い取ろう』とする。私たちは富を『循環させよう』とする。ベクトルの向きが逆なだけで、使っている道具(資本主義のメカニズム)は同じだ。だからこそ、私は彼らを憎まない。むしろ、彼らが冷徹に市場を巡るからこそ、私たちのような『現場の情熱を持つ者』が、本当に価値のあるものの重みを証明できる」
篠原は胸ポケットから温かいジャスミン茶(南越ビバレッジ特選一級品)を取り出し、静かに締めくくった。
「敵でも、悪でもない。彼らはただ、私たちが忘れてはならない『資本の冷酷さ』を思い出させてくれる、最高の対話相手だ。……世界を動かすには、冷たい数字だけでもダメだし、熱い情熱だけでもダメだ。その両方を理解して初めて、本当の意味で『人を幸せにするインフラ』が創れるのさ」
篠原の言葉が終わると、ラウンジには深い、しかし心地よい静寂が満ちた。
カメラマンの井上は、ファンドのファインダーから手を離し、ぼうっと三人の男たちの背中を見つめていた。
「敵」などという単純な二元論で世界を見ていた自分の未熟さが恥ずかしかった。彼らは、資本主義の光と影のすべてを飲み込み、その上で「人間の笑顔」というたった一つの目的に向かって、冷徹さと情熱のすべてを完璧に調和させていたのだ。
新形テレビ20のベテラン記者・高橋は深く頭を下げ、満足げに微笑んだ。
「……よく分かりました。ありがとうございました。今日のこのインタビューは、我が局の特別ドキュメンタリー番組『巨人の方程式〜冷徹と情熱のレール〜』として、日本全国、そして宇宙支局経由で全世界へ配信させてもらいます」
「あ、勝手に番組名決めないでくださいよ高橋さん!」と古賀が豪快に笑った。
大石も「まあ、我が社の企業価値向上に寄与する内容であれば、編集権の範囲内でしょう」とポーカーフェイスで頷いた。
篠原賢人は温かいお茶を飲み干し、窓の向こうの無限に伸びるレールを見つめた。
冷徹な数字の論理と、泥臭い現場の情熱。
そのふたつをエンジンにして、南越急行ホールディングスの走らせる無限のレールは、あらゆる思想や対立を包み込みながら、どこまでも、どこまでも力強く未来へ向かって伸び続けていくのだった。




