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第116章 家を包む温もりと、開かれた街へ

第116章 家を包む温もりと、開かれた街へ


新形臨海地区に新設された『株式会社 南越メディカル・ロボティクス』の本社開発センター。

前章で開発された『パワーアシスト・スキン(ラビット・ハグ)』や『全自動包み込み型移乗・清拭ロボット(ポセイドン・ケア)』は、全国の大型病院や介護施設へ瞬く間に普及し、命の最前線で働く看護師や介護士たちの悲鳴を劇的に救い出していた。


しかし、最高経営責任者(CEO)の篠原賢人の表情は、晴れやかさの反面、どこか深い思索に沈んでいた。


篠原は、病院を退院した後の週末、自らのお見舞いに来てくれた地元のベテラン農家・小林(70代)の自宅がある魚沼の山間部集落へ、秘書も伴わず静かに足を運んでいた。


小林の自宅は、雪国ならではの立派な木造二階建ての農家住宅だ。だが、そこで篠原が目にしたのは、施設や病院という「管理された空間」とは全く異なる、切実な日常の障壁だった。


「篠原社長、よう来てくれたな。ちょっと待っててくれ、いまお茶を……」


小林の妻である70代の女性が、台所で小さく喘ぎながら作業していた。

テーブルにお茶を出そうとした彼女の手が、ピクリと止まる。南越ビバレッジのペットボトルのお茶を開けようとしているのだが、関節炎の痛む細い指先に力が入らず、キャップが空回りしているのだ。


「あ、私が開けますよ」


篠原がサッと手を伸ばしてキャップを回すと、彼女は申し訳なさそうに身を縮めた。


「すみませんねぇ、社長……。年を取るとね、指に力が入らなくて、この小さな蓋一つ開けるのも一苦労で。……それに、最近は2階の物置きに上がろうとしても階段が膝に響いて昇れないし、掃除機をかけるのも、濡れた洗濯物を干すのも、腰が砕けそうになるんです。お風呂で立ち上がるのも怖くてねぇ……」


「小林さん、介護ヘルパーさんの訪問や、デイサービスは利用されていないのですか?」


篠原が尋ねると、縁側に腰掛けた夫の小林が、寂しそうに遠くの大沼の山々を見つめた。


「ヘルパーさんも来てくれるし、南越急行の移動医療バス『本産・メディカルバス』や、コメチョウの移動販売車隊が家のすぐ前まで来てくれるから、生活自体は本当に助かっているんだ。だがな……家にじっと閉じこもって、買い物も診療もぜんぶ玄関先で済ませて、自分の体も満足に動かせなくなると、一日中だれとも喋らん日が増えてな。近所のおばあさんたちも、そうやって家から出なくなって、あっという間に認知症が進んでしまったり、元気をなくして寝込んでしまったりするんだよ」


篠原は静かに頷きながら、庭先に広がる越後の空を見上げた。


南越急行グループは、移動医療EVバスや、貨客混載の超速地産地消・移動販売フリートによって、「生活に必要なモノと医療を届ける」仕組みは完璧に構築した。

しかし、自宅というプライベートな空間には、無数の「小さな日常の壁」が存在していた。ペットボトルの蓋を開ける、掃除機をかける、洗濯物を干す、トイレや風呂で立ち上がる、2階へ移動する——。それらの微細な動作が不能になることが、高齢者の自尊心を削り取り、自宅に閉じ込め、社会との繋がりを絶ち、認知症の進行を加速させていたのだ。


「必要なのは、ただ手を差し伸べたり、モノを届けることだけではない。自宅での『自分の力で暮らす日常』を取り戻し、外の街へと自ら歩み出させるための、真の生活伴走インフラだ」


篠原の胸の中で、新たな決意の炎が静かに燃え上がった。


翌月曜日。

六日町メガロポリスの本社高層タワーの緊急開発会議室。


南越急行ホールディングスCEO・篠原賢人。

南越重工業社長・古賀副社長。

最高財務責任者(CFO)・大石専務。

南越メディカル・ロボティクス社長および開発幹部陣。

本産自動車社長・佐藤。

南越車輌技師長・村上。


ズラリと並んだ幹部たちを前に、篠原はホワイトボードに向かって力強くペンを走らせた。


「病院や施設における重介護のサポートは、第一段階に過ぎない。我々が次に挑むべき最大の戦場は、『在宅における高齢者の自立生活支援』と『外出・社会参加による認知症予防エコシステム』の構築だ」


南越メディカル・ロボティクスの開発部長が、驚いたように身を乗り出した。

「在宅介護と、認知症予防……ですか? しかし篠原CEO、在宅環境は家ごとに間取りも段差も異なり、高齢者一人ひとりの残存筋力や手先のみの不自由さなど、ニーズが無限に細分化されています。ロボットの規格化が極めて困難で、採算性を合わせるのが不可能な領域とされていますが……」


大石専務もタブレットの数値を弾きながら、冷静に付け加えた。

「在宅介護ロボット市場は、個人の購買力に依存するため、高額な機材は普及しません。南越信託銀行の『あんしん家族信託』や介護保険の適用枠を活用したとしても、サブスクリプション型の超低価格で提供しなければ、一般家庭には届きませんね」


「だからこそ、我がグループの総合力が生きるんだ」

古賀副社長が豪快に腕を組んで言った。

「大石! 採算の話は後だ! 篠原、俺たちの技術をどう使う気だ? 本産のAIも、南越車輌の超電導アクトも、サロナエアコンの多層気流も、ぜんぶ家の中に持ち込めるぞ!」


篠原は深く頷き、提示された二つの開発プロジェクトをスライドに映し出した。


「プロジェクト一。『在宅生活自立伴走システム(愛称:ホーム・ラビット)』。

家庭内のあらゆる『日常の壁』を破壊する。ペットボトルの開閉から、洗濯物干し、掃除のサポート、トイレや浴室での全自動昇降補助、そして既存の階段を一瞬で安全な昇降アタッチメントへ変える後付けモジュールだ。


プロジェクト二。『アクティブ・認知症予防モビリティ(愛称:ウォーク・ラビット)』。

自宅から街へ、自分の足で楽しく外出し、地域コミュニティと会話させるための、量子AI伴走型歩行・脳活性化モビリティだ。本産の自動運転EV『ぶーぶーん・ポッド』や、新形交通のモノレール網と完全連動させ、外出そのものを『最高の脳トレと娯楽』に変える」


篠原は開発陣を見つめ、力強く言い放った。

「自尊心を傷つけず、自分の家で自分の力で暮らし、笑顔で外へ出て人々と語らう。それが認知症を防ぐ最大の処方箋だ。南越メディカル・ロボティクス、本産自動車、南越車輌、サロナエアコンの全開発陣へ命じる。半年以内に、全在宅ソリューションを完工させよ!」


開発指示からわずか四ヶ月。

新形臨海地区の南越メディカル・ロボティクス開発センターでは、かつてない繊細な実験が繰り広げられていた。


「ダメだ! 力が強すぎる! これじゃペットボトルのキャップは開いても、中のプラスチック容器ごと潰れて中身が吹き出してしまう!」

南越車輌の村上技師長が、試作アームのモーションセンサーを見ながら怒号を飛す。


家庭内でのロボット支援において最も困難なのは、「力の微加減」であった。

缶詰のプルタブやペットボトルの蓋を開けるには強力なトルクが必要だが、同時に包丁を持つ手を支えたり、柔らかい衣服をハンガーにかけたり、お風呂で立ち上がるお年寄りの脇下を支えるには、猫の毛並みを撫でるような圧倒的な柔らかさと精密さが求められる。


ここで威力を発揮したのが、本産自動車の車載AI触覚フィードバック技術と、サロナエアコンの微細気圧制御技術であった。


本産自動車のエンジニアチームが、超小型量子AI触覚チップ『触覚ナノ・タッチ1号』を開発。指先に一平方ミリメートルあたり数万個の圧力センサーを配置し、触れた対象物の硬さ、摩擦係数、歪み具合をミリ秒単位でリアルタイム解析する。


さらに、南越建設と南越車輌のコラボレーションにより、既存の住宅を一切傷つけることなく、壁や階段に三十分で施工できる『超高張力ナノセラミック・アシストレール』が完成した。


「できた……! 家庭内のあらゆる家具や壁と調和し、お年寄りの『やりたい』という意思を先回りして助ける、完全自律型の家庭用アームと昇降システムだ!」


試作機の完成を受け、直ちに大沼市内の小林夫妻をはじめとする百世帯の在宅モニター家庭で、大規模な実証実験が開始された。


実証実験の初日。小林の自宅。


南越メディカル・ロボティクスの技術員によって、リビングや台所、浴室、そして階段に、超軽量・小型の『ホーム・ラビット』システムが設置された。


台所のカウンターに置かれたのは、体長三十センチほどの愛らしい兎を模した卓上サポーターロボット『ホーム・ラビット・ミニ』である。


小林の妻が、恐る恐る南越ビバレッジのお茶のペットボトルを『ミニ』の前に置いた。


「ミニちゃん、これ……開けられるかしら?」


『ミニ』の柔らかいシリコン製のアームが、すっと伸びてペットボトルのキャップを包み込んだ。

触覚センサーがプラスチックの硬さを瞬時に読み取り、容器を潰すことなく、力強く、しかし滑らかにキャップを回した。


シュポン。


軽やかな音とともに、あっ気なくキャップが開いた。


「まあ……! 開いたわ! 自分で力を入れなくても、すんなりと!」

彼女の顔に、パッと花が咲いたような笑顔が広がった。


それだけではない。掃除機を持つと、天井のレールから伸びた極細のナノワイヤーが掃除機の重さを完璧に打ち消し、まるで羽毛を持っているかのように軽々と畳の上を滑らせることができる。

浴室では、防水仕様のナノエア・クッション『ポセイドン・ホームバス』が立ち上がり動作を優しくアシストし、転倒の恐怖を完全に払拭した。


さらに、二階への階段には『ステップ・ラビット』が装着された。

既存の手すりに沿って取りつけられた超小型の昇降サポーターに身を預けるだけで、膝に一切の負担をかけることなく、自分の足で二階へスイスイと上がることができるのだ。


「篠原社長……! 2階の物置きに、3年ぶりに自分の足で上がれたよ!」

小林の妻が、感涙を拭いながら手すりを撫でた。


「生活の全部をロボットにやってもらうんじゃない。自分のやりたい動作を、ロボットがほんの少しだけ手伝ってくれる。だから『自分でできた』という喜びが残るんです……!」


家庭内での自立支援が成功した直後、篠原が打ち出した「第二の矢」が稼働を開始した。

それは、自宅に閉じこもりがちだった高齢者を外の街へ連れ出し、認知症を劇的に予防する『アクティブ・歩行伴走モビリティ(ウォーク・ラビット)』と、地域の交通網を融合させた「開かれた街づくり」であった。


『ウォーク・ラビット』は、一見すると洗練された超軽量のスタイリッシュな押し車(歩行器)の形をしている。

しかし内部には、本産自動車の高度な自律走行AIと、南越総合大学が開発した「脳活性化会話AI」が搭載されていた。


小林の妻が『ウォーク・ラビット』のハンドルを握って外へ出ると、グリップから心地よい微振動が伝わり、歩行のバランスをミリ単位でアシストする。


「小林さん、おはようございます! 今日の大沼は快晴ですね。万代シテイの伊勢デパートで、出来立てのバスカレーとへぎそばの特設市が立っていますよ。近所の田中さんや佐藤さんも、新形交通のモノレールに乗って向かわれました。一緒に行ってみませんか?」


押し車に内蔵されたスピーカーから、明るいAIの声が語りかけてくる。


「まあ、田中さんたちも行くの? じゃあ、行ってみようかしら!」


『ウォーク・ラビット』は、歩行時の転倒を100%防ぎながら、周囲の危険物や車をセンサーで回避し、歩行者のペースに合わせて楽しく伴走する。

自宅の玄関を出ると、家のすぐ前には、本産自動車の完全自動運転電気バス『ぶーぶーん・ポッド』がタイミングよく滑り込んできた。


『ウォーク・ラビット』は折りたたまれることなく、そのまま『ぶーぶーん・ポッド』の専用スペースへスムーズに乗車。

バスはそのまま六日町駅へ向かい、そこから南越車輌の最新超大型AIモノレール『NK-M2000系』や、なんなん線の『NK3500系』とスムーズに接続した。


万代シテイの賑やかな広場に到着すると、そこには県内各地から『ウォーク・ラビット』や『ぶーぶーん・ポッド』を使って集まった大勢のお年寄りたちの姿があった。


「あら、小林さん! しばらく見ない間に、すっかり元気になったじゃない!」

「田中さんこそ! お互い、家の中に閉じこもってる場合じゃないわね!」


あちこちで弾けるような会話と笑い声が巻き起こった。

色鮮やかなデパートの催事場を歩き、美味しそうな郷土料理を味わい、友達とお喋りを楽しむ。

参加した人の表情は明らかに生き生きとし、ストレスホルモンが急激に低下していることを明確に示していた。


「見てください、篠原CEO!」

現場を取材していた新形テレビ20のベテラン記者・高橋が、カメラマンの井上とともに感涙を浮かべながらマイクに叫んでいた。


井上の担ぐ最新鋭8Kカメラの側面には、あの誇り高き古びたガムテープが貼られている。


「こちら新形テレビ20です! かつて自宅に閉じこもり、認知症や寝たきりの不安を心配していたお年寄りたちが、南越メディカル・ロボティクスの『ウォーク・ラビット』とともに自らの足で街へ飛び出し、最高の笑顔で語り合っています! モノや医療を届けるだけでなく、『人と人との繋がりと生きがい』を取り戻す——これこそが、南越急行が創り出した新しい地方創生の姿です!」


万代シテイの賑わいを見下ろす高台のテラスに、篠原賢人、古賀副社長、そして大石専務の三人が立っていた。


大石専務がタブレットの財務データを手際よく操作し、ポーカーフェイスのまま数字を提示した。


「……篠原CEO。今回展開した『在宅自立伴走システム』および『ウォーク・ラビット月額サブスクリプション事業』。南越信託銀行の『あんしん家族信託』と、各自治体の介護予防補助金を組み合わせた独自の定額モデル(月額3000円均一)を構築したことで、県内普及率は開始二ヶ月で87パーセントを突破しました」


「月額3000円だと!?」古賀が驚いて大石の顔を見た。

「大石、そんな安さで利益が出るのか!?」


「出ます」大石の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

「お年寄りが元気に外出し、自立生活を維持することで、県内の医療費・介護給付費が年間で推定2800億円削減されます。自治体からその削減額の一定割合が『成果報酬型ソーシャル・インパクト・ボンド(SIB)』として我がグループに還元される仕組みを締結しました。さらに、外出機会の増大により、グループの鉄道、モノレール、デパート(伊勢)、スーパー(カワサワ、コメチョウ)での消費支出が劇的に跳ね上がり、初年度から年4000億円規模の営業利益を生み出します」


「ガハハハ! 参った! 相変わらず完璧な銭の回し方だな、大石!」

古賀が豪快に大石の背中を叩いた。


篠原賢人は温かいジャスミン茶(南越ビバレッジ特選一級品)を一口含み、眼下に広がる新形の街並みを見つめた。


街では、色とりどりの『ウォーク・ラビット』を押しながら楽しそうにお喋りするお年寄りたちと、その横をスムーズに走り抜ける完全自動運転バス『ぶーぶーん・ポッド』、そして高架上を滑るように走るAIモノレールの姿があった。


「大石、古賀。病院や施設を救うだけでは、本当の安心とは言えない」

篠原の静かな言葉に、二人が深く耳を傾ける。


「住み慣れた我が家で、自分の手で暮らしを守り、自分の足で街へ出て、仲間と笑い合う。その当たり前の日常と自尊心を支えてこそ、真の『生きるインフラ』だ。我々の敷くレールは、鉄の線路だけではない。人々の家の中に、そして心の中に、どこまでも伸びている」


渡辺前社長が遺した言葉——「会社は人より長く生き続けるべきもの。稼いだ金は未来を信じる魂だ」。


爽やかな秋風が、大沼の山々から新形の街へ向かって吹き抜けていく。

手先や足腰の自由を奪われかけた人々に、再び「自分の人生を生きる喜び」を届けながら、南越急行ホールディングスの走らせる優しき無限のレールは、人々の家と心を通い合わせ、永遠の未来へと向かって力強く伸び続けていくのだった。

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