第20-4話:怪物
どれだけ陰惨な事件があっても、時間っていうのは進む。萩での事件から、早くも三週間と少しが経った。
最高気温も三十度を超えるのが当たり前になり、学校でも期末テストがすぐ目の前に迫っている。
あれだけ劇的な事件を経ても、時折の惨劇が回想となって降ってくること以外は、私の日常は変わらない。
ネットやニュースでもその話題もめっきり見なくなって……いつも通りのニュースが放映されるようになった。
荒唐無稽な陰謀論を見なくなって済んだことを喜ぶべきか、それとも世間から忘れ去られようとしていることを悔やむべきか。
とにかく学校へ行って、訓練をして、帰ったらテキストを開いて。そんな萩の前と変わらない日々を送っていた。
「あれ……また壊れちゃいましたよ」
そして今日は七月最初の体力錬成日、それ即ち体力測定の日。
短・中距離走に腕立て腹筋、幅飛びに握力など、学校でやるようなものが主軸のラインナップ。
のはずが、町田さんから手渡された握力計を三回連続で破壊したところで、体力測定がぱたりと止まってしまった。
「えっ……今の新品なんですよね。安物使ってるとかじゃないですよね?」
「うーん……もしかしたら動物園から借りてくるべきかもしれないわね」
「えっ、何をですか」
「ワニとか熊用の咬合力測定器」
ちょっと待って、私って猛獣と同じ扱いなの?
町田さんがサラッとこぼしたとんでもない一言に頭を抱えていると、近くの台に置いたスマホが強く震えた。
まだ時間あるはずなんだけどな……嫌な予感を感じながらスマホを手に取ると。
「ちょっと町田さん! あと十分で来るらしいですよ!?」
「早いわね……まあ向こうの気が早いだけだと思うわ、手っ取り早く汗でも拭いて行ってらっしゃい」
気が早いって言っても限度ってものがあるでしょ……なんて愚痴っても向こうからやって来るのが現実。
ハンドタオルと温くなった水を手に取り、事前に約束していた部屋へと走った。
「おっ、間に合ったか大和。渋滞早く抜けられるみたいでね、もう着くみたい」
そうやって走って訪れたのは、軍の敷地にある応接間のような一室。
固めの生地をしたちょっと良いソファ、日の差す側が僅かに黄ばんだ壁紙。
ソファの具合にエアコンがいい感じに効いているのを考えれば、初めて軍とまともに話したあの一室と比べたら幾らかマシ……六十点ってとこかな。
「もう全くだよ……しかもさっき握力計壊してきちゃったし」
そんな部屋で先に待っていたルイはというと、テスト間近ということもあり政経の教科書を読み込んでいた。
大量に付箋がついてるけど……ほんとにあんなので本当に勉強できるのかな。
「ルイの方はテスト勉強の調子どう?」
「理系はいける、古典とか文系の科目がやばいかも」
「はっ、私真逆だ。オマケに英語も平均切るかも」
訓練があるからテストは仕方ない、なんて言い訳を学校は聞いちゃくれない。
汗を拭いたタオルを手提げにしまいソファへと少し腰を落ち着けたところで、私がさっき開けたばかりのドアが再び音を立てて開いた。
「やあめぐみ殿! 久しぶりだな!」
「お久しぶりです、ゲクランさん」
そこから姿を現したのは、こんな炎天下でもなぜだか頭以外は甲冑を着込んでいるゲクランさん。
既にすっかり元気になったのか、その顔色の具合もすっかり良くなっていた。
これだけなら「元気になった挨拶回り」に見えるかもしれないけど……関西住まいのゲクランさんが、それだけで愛知まで来るはずもなく。
その横にはもう一人……緋色の柔らかな布地を羽織り、顎や口に整えられた髭を蓄えた初老の男性が立っていた。
「紹介しよう、こちらはアルマン・ド・リシュリュー。吾らの組織で実務を総括しているナンバーツーのお方だ」
私たちに向かい合う形で座したゲクランさんが、いつになく丁寧な口調でその男の人を紹介する。
ナンバーツーってことは……ルイはおろかゲクランさんにとっても上司の人か。
「リシュリューです。お見知りおきを」
「えっと……私は大和めぐみです、よろしくお願いします」
「うむ……聞いてる噂と違い、なかなか年頃という感じですな。それがまた恐ろしくもある」
リシュリューはゆったりとした口調でまるで褒め言葉のように言うと、私たちが並ぶ向かいの席へとかけた。ゲクランさんも横に続く。
年頃はともかく恐ろしくもあるって、いったい私のどこに恐れられる要素があるんだか。
そんな戯れもほどほどに、今日この二人がわざわざ関西から訪れた本題へと入っていく。
「いやはや……萩での武功は見事でした。手を焼いていた黒太子を、まさか現代人の少女が討つとは」
「いえ。あれはここにいるゲクランさんやルイ……それにもう一人の現代の異能者、須藤武蔵ありきでしたから」
「そう謙遜しなさるな。吾らは守りに回らせれば無敵と評される黒太子を正面突破したばかりか、単独で数百の霊兵を掃討、軍の僅かな支援のみで源泉を破壊したその功績を称揚しているのです」
私のことを褒めるようなことを言うと、煮出したばかりの熱いお茶を口へ含むリシュリュー。
きゅ、急にそんなことを言われてもな。
今まで軍との事務的な処理しかしてこなかったのに、私が戦いぶりを褒められても喜んだらいいのかどうか。
「して……今回わざわざ私がこうして訪れたのにはもう一つ理由がありまして。少しばかり、あなたに興味があるのです」
「興味? 私にですか?」
興味って言ってって、どういう興味だろう?
残念ながら私には熟男趣味はないし、もし口説いてきたら即お縄になってもらうことにはなると思うけど。
「ええ、一目見たいと思っておりまして。『怪物』と呼ばれている方のその姿を」
「……怪物?」
怪物だなんて、いったい誰のことだろう。唐突に出てきたその単語にルイの方を振り向くも、彼は首を振る。
須藤は今日任務で居ないはずだし、確かエドワードに「銀狐」って呼ばれてたからそれも違う。
「もしかしてですけど、それって私のことですか」
「左様。もはや異能者社会の中では『大和めぐみ』という名よりも、その怪物という名の方がよく売れているぐらいですな」
「でも……私、ただの一回もそうやって名乗った覚えはないんですけど」
「でしょうな。二つ名というのは大抵噂から成り立つもの。貴殿の場合は以前からの異能者社会での噂、それに加え今回の黒太子討伐の功績……それが社会という器に溶け込み、広まっていった。私もそんな『怪物』に興味があるのです」
……二つ名か。
「勝手に呼んでれば」なんて冷たくしたいのが建前で、本音ではちょっとわくわくしている自分がいる。
しかも「怪物」。変に天使だの聖女だの呼ばれるより、そっちのが私の性に合う。
心なしか、横で話を聞いているルイも誇らしげにしていた。
「もしよろしければですが、残ったお時間であなたのことをお聞かせ願えませんか。良い酒の肴にもなりますので」
「……良いですけど、長くなりますよ? 私、こういうの慣れてないので」
「ハハ、大佐殿との面会までにはオチをつけてくれるとありがたいですな」
……今の私、ちょっとだけ浮かれているかもしれない。
前までの私なら、初対面の人にこんな気の利いたことは言えなかったと思う。
けれどそれでいい。
ルイも私が過去のことを話すのを気にしてなさそうだし、何よりも————この人は少なくとも悪い人じゃなさそうだ。
だから、今までのことを掻い摘んで話してしまってもいいと思う。
ちょっとだけ尾ひれも付けながら。
そう、これでいいの。
人を信じることに、特別な理由はいらない。
間違ってたら間違ってたことに気がついて、次があることを自覚して。
信じることが取り返しのつかないことだったとしても、信じないことも同じぐらい取り返しがつかなくなるんだから。
なら自分が楽しいって、幸せだって、成長できるって思える方に進んでいきたい。
なんてったって、私は私の人生を自分で選べるんだから。




