第4話 和泉の疑念
湾岸新都探索者ギルド本部は、ダンジョン入口に隣接して建てられている。
全面ガラス張りの近代的な外観とは裏腹に、内部はどこか無骨だ。戦闘帰りの探索者が出入りする場所らしく、床には細かな傷が刻まれている。
医療班が慌ただしく行き交う中、緋天の行軍は治療室へ運ばれていった。
九条烈斗だけが処置を拒み、廊下の壁に背を預けている。
その前を、黒い作業服の背中が通り過ぎる。
「来生」
烈斗が呼び止める。
雅也は足を止めるが、振り向かない。
「さっきの……あれは何だ」
問いの意味は明白だった。
変異種の一撃を真正面から受け止め、あの群れを退けた圧。
あれはAランクの枠に収まらない。
雅也は短く答える。
「偶然だ」
烈斗は鼻で笑う。
「偶然で、あれは起きない」
沈黙。
やがて雅也はゆっくり振り向く。
「生きて帰れた。それで十分だ」
それ以上の言葉はなかった。
烈斗は何か言いかけたが、飲み込む。
今は追及する場ではない。
雅也はそのまま奥の通路へ進む。
重い木製の扉の前で止まる。
ギルド長室。
ノック。
「入れ」
低く、通る声。
和泉康介は机の向こうに座っていた。四十八歳。短く刈った白髪混じりの頭。鋭い目つき。かつて最前線で名を馳せたSランク探索者。現在レベル九十。
室内は質素だが、壁に掛けられた古い剣が目を引く。実戦で使い込まれた痕跡が残っている。
「座れ」
雅也は立ったまま答える。
「報告を」
和泉は端末を操作し、三十一階層の記録映像を再生する。
断片的なデータ。
緋天のヘルメットカメラに映った、黒い影。
一瞬だけ映る雅也の背中。
そして、倒れる変異種。
和泉は映像を止めた。
「三十一階層で変異種が確認されたのは初だ」
「そうですか」
「そして、殲滅数が異常だ。通常個体十五、変異種二。単独撃破と推定される」
静かな声だが、圧がある。
雅也は視線を逸らさない。
「回収任務の範囲内です」
和泉は指を組む。
「来生。君は回収班に配属されて三年だな」
「はい」
「それ以前の経歴が、ほとんど空白だ」
沈黙が落ちる。
外の喧騒が遠くに聞こえる。
和泉は続ける。
「私は長く現場にいた。戦場の空気は忘れない。今日の報告書には、書かれていない何かがある」
雅也の胸の奥が、わずかに重くなる。
見抜かれている。
だが、それでも口を開くわけにはいかない。
「三十一階層の奥に、裂け目がありました」
話題を変える。
和泉の目が細まる。
「裂け目?」
「岩壁に亀裂。異様な冷気。魔物の行動変質と関連がある可能性」
和泉は即座に端末へ入力する。
「位置は」
雅也は簡潔に説明する。
和泉はしばらく考え込んだ。
「調査隊を出す」
「危険です」
「承知している」
二人の視線が交わる。
和泉は低く言う。
「来生。私は君を疑っているわけではない」
それは本心だろう。
だが同時に、警戒もしている。
「ただ、隠し事があるなら、いずれ必ず表に出る。特に今の情勢ではな」
「情勢?」
和泉は机の引き出しから一枚の資料を取り出す。
そこには、政府特別監査の文字。
「聖域管理庁から監査官が来る。ダンジョン深層の異変を国家案件にする動きがある」
雅也の眉がわずかに動く。
国家が関与すれば、情報統制も強まる。
そして、もし“勇者”という単語が浮上すれば――
「三十一階層の件は、当面秘匿扱いだ」
和泉は断言する。
「余計な噂を立てるな。配信者にもな」
松浦かなの顔が脳裏をよぎる。
雅也は小さく頷く。
「了解しました」
和泉は最後に問う。
「君は、どこでその剣を学んだ?」
一瞬の沈黙。
雅也は答える。
「遠い場所です」
和泉はそれ以上追わなかった。
「下がれ」
部屋を出ると、廊下の窓から湾岸新都の海が見える。
穏やかな青。
だが、その下で渦が生まれつつある。
エレベーターホールの前で、松浦かなが立っていた。
私服に着替えている。
「ちょっとだけ、話せる?」
雅也は立ち止まる。
かなの目は、配信中の軽さを失っている。
「今日の三十一、映像は出さない。でも……」
言葉を探す。
「本当に何か起きてるよね」
雅也は答えない。
かなは小さく息を吐く。
「もし、あの裂け目が広がったら?」
その問いは、核心を突いている。
雅也は静かに言う。
「そのときは、止める」
かなは笑わない。
「誰が?」
雅也は、ほんのわずかに視線を逸らす。
「……回収員が」
エレベーターの扉が閉まる。
かなはその背中を見つめる。
あの男は、何かを隠している。
だが、それを暴くことが正しいのか。
迷いが胸に残る。
ギルド最上階。
和泉は一人、窓辺に立っていた。
三十一階層の映像をもう一度再生する。
止める。
拡大。
雅也の足元。
一瞬だけ映った、光の紋様。
和泉の目が鋭くなる。
「……まさか」
呟きは、誰にも届かない。
湾岸新都の空は静かだ。
だが地下三十一階で開いた裂け目は、確実に世界を揺らし始めている。
そして、来生雅也の過去もまた、静かに目を覚ましつつあった。




