3 馬鹿なんですか
***
「シィルシィルシィル!」
リィゼアは執務室に足を踏み入れるなり、シィルに駆け寄った。
シィルは迷惑そうに顔をしかめて、彼女の肩を手のひらで受け止める。
「なんですか、姫」
ジト目気味の翡翠の瞳は、「また何かやらかしたんですか姫」と言外に語っている。
艶やかな黒髪と澄んだ瞳の美しさに見惚れながらも、リィゼアは興奮に手足をばたつかせた。
「人に嫌われるにはどうすればいいかしら?!」
「……………………は?」
予想外の言葉に、シィルはぽかんと口を開けた。
「ふふ、シィルの間抜け面! 珍しいわね」
「…………いやいやいやいや姫、珍しいわねじゃありませんよ。急に何を言い出すんですか」
「だから、人に嫌われる方法を教えてってば」
「いやいやいや」
もはや、驚きを通り越して呆れるシィル。
主人の突拍子もない言動には世界でいちばん慣れていると自負しているが、流石にこれは想定外だ。
「何があったんですか。順序立てて簡潔に説明してください」
「わかったわ。まず、お父様が――」
リィゼアは、父の執務室で起こったことをかいつまんで話していく。
シィルへの想いは明確には口に出さないけれど、聡い彼は気がついているはずだ。まあバレたところで、これまでも散々好きと言ってきたので今更ではあるが。
そして、全て話し終えたリィゼアに、シィルはぼそりと一言。
「馬鹿なんですか」
「大真面目よ」
「大真面目にそんなことを言い出すあたりが馬鹿なんですよ」
シィルはため息をつき、「ほら、とりあえず椅子に座って仕事してください」と促す。
リィゼアは座って羽根ペンを取ると、目にも止まらぬ速さで書類を処理し始めた。
「だって、お父様ったら決定事項のように話すのよ。夜会まで開かれちゃ逃げ場がないじゃない。だから、相手から断ってもらえばすべて丸く収まるでしょう」
迷いもなくペンを動かしながら、リィゼアは口を尖らせる。
「そもそも姫が早く身を固めないからそうなるんですがね」
「あら、結婚する気が無いのだから婚約話に頷くわけがないでしょう。何度言ってもわかってくださらないお父様が悪いのよ」
つんと言い放つ。わたくしが正しいのよ、とでも言うように。
「何をそんなに拒むことがあるのですか。国外ならともかく、国内の貴族となら住む場所が変わるとか城の執務室がちょっと遠くなるとか、その程度のことでしょう」
「国内でも嫌よ」
「どうして」
「……愛が欲しいの」
そりゃあ、男性で貴族でもなくて家を継いだり子孫を残したりしなくていいシィルからすれば、結婚など『その程度』のことなのかもしれない。
けれどリィゼアは、結婚に夢を見る純粋な十七歳の少女である。
己の身分や役割などわかりきっているけれど、それでも愛ある結婚やキラキラした恋に憧れを抱く年頃だ。
「ならばなおさら、その皇太子殿下にお会いしてみたらいかがです。気が変わるかもしれませんし、向こうだって姫のことを気に入ってくださるかもしれないじゃないですか」
「でもだめなのよ」
わかっている。わかってはいるのだ。
実際に会ってみないと、相手のことを知れないことも。
その出会いが自分の運命を変えるかもしれないことも。
けれど今のリィゼアにとって、出会いなどは必要のないものだ。
なぜなら、
「――好きな人、いるもん」
シィルに聞かれないくらいの小さな声で呟く。
欲しい人は、目の前に。
手に入れたくても届かない。
欲しくても、欲することを許されない。
『主人』と『護衛』、それ以上の関係を望めないのだ。
「わたくしは、守星軍とあんたがいちばん大切なのよ。結婚すればそのどちらも中途半端になる気がするの」
「姫はそんなことしないと思いますがね。たとえ他国に嫁いでも、ちょくちょく軍に顔を出しに来る姿が容易に想像できます」
「そのくらい、無理言ってでもやってやるわよ。でも、どうしても避けられないこともあるじゃない。夫人としての社交とか、お屋敷の切り盛りとか、旦那様との交流とか。わたくしは守星軍に一生を捧げるつもりなの。そして隣には、――シィル、あんたが欲しい」
リィゼアの言葉に、シィルはわずかに目を眇める。言葉にしがたい感情がその翡翠の奥で揺らめいた。
リィゼアはまっすぐにその瞳を見つめて、再度頼んだ。
「お願い、シィル。一緒に、わたくしの婚約を阻止して欲しいの」
「…………」
沈黙。
リィゼアのサファイアの視線とシィルの翡翠の視線が交錯する。
やがて、シィルはため息をひとつつき、リィゼアの頭に手を伸ばした。
輝く金髪に手を添え、毛流れに沿って優しく撫でる。その手つきは、まるで幼子をあやしているかのようだ。
「わかりましたよ。我が姫君」
仕方ないなぁと言うように、シィルが唇の端を持ち上げる。
(……結局、優しいんだから)
リィゼアは嬉しくなって、椅子から立ち上がり彼に抱きついた。
その拍子に、紙が一枚、はらりと床に落ちる。リィゼアはそれを拾い上げ、――
「なによこれええぇぇっ!?」
またもや叫んだ。
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