第八章:残された風景
午後一時過ぎ。
曇り空の下、神谷弘志は東京各地の過去の事件現場を巡っていた。
同じ場所、同じ空気。
だが何か、どこかに——“見落とした何か”がある気がしていた。
彼は一つ一つの現場を歩き、静かに目を走らせた。
ビルの屋上、コンビニ裏、住宅街の一室。
だが、どこにも新たな証拠は見当たらなかった。
——そして最後に、あの場所へと足を運んだ。
午後三時三十二分。
北区の古びた公園。
木枯らしが落ち葉を揺らし、誰もいないブランコが軋む音だけが響いていた。
ここで、あの二人の犠牲者が見つかった——
井上真理と、田中遥。
弘志は芝生の上をゆっくりと歩き、周囲を見回した。
(何か、何か……)
そのときだった。
視界の端に、一人の男が映った。
——黒いジャケットにフード。
——顔の半分をマスクで覆い、周囲を見回しながら早足で歩いている。
(……?)
弘志の視線が鋭くなる。
すぐに男の方へと向かった。
「おい、君——!」
男はこちらに気づくと、一瞬だけ固まり、次の瞬間に——走り出した。
「待て!」
弘志は即座に追いかける。
公園の外周を走り抜け、数十メートル先でようやくその肩を掴んだ。
「……何してる。」
息を整えながら問いかける。
男は驚いた表情で、声を震わせて言った。
「……は? 誰ですか、あなた。」
弘志はすかさず警察手帳を見せる。
「警視庁、神谷だ。ここで起きた事件について調査中だ。
いくつか質問に答えてもらう。」
男は明らかに戸惑っていたが、逃げる様子はなかった。
「……ただ、ここで事件があったって聞いて……
だから、怖くて様子を見ながら歩いてただけです。」
「なぜマスクを?」
「風邪です。喉が痛くて……」
「じゃあ、なぜ逃げた?」
男はわずかにうつむきながら言った。
「……突然、走ってきたら誰でも逃げますよ。
事件があったって場所で、知らない男が自分に向かってきたら……」
弘志は、黙って男の目をじっと見つめた。
(視線が泳がない。声は震えているが、嘘には聞こえない。
——犯人特有の“冷たさ”がない。)
「……分かった。行っていい。」
「……ありがとうございます。」
男は礼も言わず、少し早足で去っていった。
弘志はその背を見送る。
(……やはり、空振りか。)
午後四時十二分。
駅前のホーム。
電車の接近を告げるアナウンスが、どこか遠く感じられた。
コートのポケットに手を突っ込み、弘志はただ空を見上げた。
空は灰色で、また雨が降り出しそうだった。
(本当に、俺に捕まえられるのか……)
その問いは、もはや捜査官ではなく、人間としての声だった。