第十七章:増えていく音
午前一時三分。
神谷弘志の自宅。灯りは最低限。
壁の地図と資料が、闇に浮かぶように貼られていた。
彼は机に肘をつき、重くなったまぶたを支えていた。
「……寝よう。」
そう呟いて立ち上がった瞬間——
「どうして、私だったの?」
その声に、足が止まった。
——振り返ると、部屋の片隅に女性が立っていた。
髪の長い、制服姿の若い女性。
第二の事件で殺されたコンビニ店員、白石舞だった。
彼女の目は潤んでいた。だが、涙は流れていなかった。
静かに、ただ彼を見つめていた。
「私、誰にも迷惑かけてなかったのに。
真面目に働いて、家に仕送りして……
どうして、“あなた”に殺されなきゃいけなかったの?」
「……やめろ。」
「あなたが刺したんでしょ?
静かに、冷たく、誰にも見つからないように。
わかってるの。私、あの瞬間……ちゃんと“見た”から。」
「……違う……俺は……刑事だ……」
目を閉じたが、声は止まらなかった。
「刑事? じゃあ、なんで“あの時の顔”と今のあなたが、
同じなんだろうね。」
ふいに、別の声が重なる。
「お前の手は、血の温度を知っている。」
低く、震えるような声。
視線を上げると、第三の事件の被害者、佐久間洋平がそこにいた。
胸に包帯のような血痕。顔はやつれ、笑ってすらいた。
「いい顔だったぞ。あの瞬間。
目を逸らさずに俺の命を消した。
……プロの仕事だった。」
「やめろ……」
「刑事なんだろ? 正義感があるんだろ?
だったら“もう片方の自分”をちゃんと見ろよ。
逃げんなよ、弘志。」
「ほら、また震えてる。」
いつの間にか、あの“声”が再び頭の中で囁く。
「罪が見えるようになってきたな。
あいつらの声が聞こえるってことは、
とうとう“境界”が崩れてきたってことだ。」
「……うるさい……」
「俺を“他人”だと思ってたんだろ?
でも残念だな。俺こそが“お前”なんだよ。」
そのとき、足元に何かが落ちた。
白い羽根だった。
拾おうとして、手が震えた。
目の前の空間が歪み、被害者たちの顔が**“重なり合って”**いく。
叫び声もなく、ただ静かに——
だが確実に、神谷弘志の精神は蝕まれていた。




