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やられたら倍で返す主義

 ◇



 ――ロアの退学処分を正式に撤回する報せが届いたのは、それから五日後のことだった。


「それにしても良かったねえ。エレーナも、エマも、ロアくんって人も、無事にカレッジ生活継続できることになって」


 ヴェルモンド・ウィザードカレッジの共用テラスにて。


 昼休み。久しぶりに再会したメルンと、焼きたてのドゥ・リーヴルサンドを食していたエマは、冷えたドリンクで喉を潤わせながら、深い相槌を打つ。


「本当にね。一時はどうなることかと思ったけど……。操られたエレーナに眠らされていたメルンも、何事もなく無事で良かったよ」


「心配かけてごめんね。私、きっと誰よりも先にエレーナの異変に気づいたのに、結局、なにも役に立てなくて、迷惑ばかりかけちゃった」


 シュンと俯くメルンに、エマは首を振る。


「気にしないでメルン。あなたが無事だったらそれがなによりだか……」


「ダチなんだったらはっきり言ってやれよ。ヴェルモンドの学生になったんだったら、ボサっとしてねえでやられる前にやり返すか、異変に気づいた時点で徹底的に潰すか、その二択しかね……むぐっ」


「うっ」


「ちょっ、ちょっとぉ!?」


 何食わぬ顔で毒舌を挟んできた隣席に座るレイ・グレイスの口に、慌ててリーヴルサンドの切れ端をぶち込むエマ。レイは眉間に皺を寄せながらも、もぐもぐとそれを食べている。


「(いやちょっと、なに普通に食べてんのっ。っていうかなんでレイ・グレイスがここにいるのよ)」


 エマは、うるうると涙目になるメルンを庇うよう、小声でレイに抗議する。彼はしかし、淡々とした表情のまま無下に答えた。


「(なんでいちゃ悪いんだよ)」


「(いやだって、あなたほどの人だったら貴族やハイスコア生徒専用の『ロイヤルラウンジ』で過ごすのが一般的でしょ!? そもそもいつからいたのかって話だし、レイ・グレイスなんだからもっと『きゃー♡』とか拍手喝采されながら登場しなさいよっ。気づかないじゃないの)」


「(拍手喝采って、お前、俺をなんだと思ってんだよ……)」


 呆れたように肩をすくめるレイ。エマはさらに食ってかかろうとしてハッとした。


 打たれ弱いメルンが今にも泣き出しそうな顔をしている。


「ご、ごめんなさいレイ先輩……。そ、そうですよね……。私の機転がきいていれば……ううん、そもそも受験の日に受けた助言をもっと肝に銘じていれば、こんなことにはならなかったはずなのに、私ったら……」


「め、メルン、大丈夫、大丈夫だから! 今回のことでよくわかったんだけど、この人、口悪いしそっけなくて怖く見えるけど、別に怒ってるわけじゃないんだと思うのよ。あくまでメルンの身を案じてくれてるだけっていうか……」


 エマが必死に宥めると、メルンはエマに隠れながらも、ようやくチラリとレイの顔を覗き見た。萎縮するような、でも、ちょっと気になって観察するような。


「う、うん……」


「ほら、ロアくんの退学を回避してくれたのも彼のスコアのおかげだし、私たちが無事にワイバーンを倒せたのも彼の配慮や活躍あってのことだし、ね?」


「……う、うん」


「だから大丈夫。怖くない。怖くない……」


 まるで暗示だ。隣にいるレイが、『バケモンか俺は』とでも言いたげな目でこちらを見ている。


 メルンは頷き、レイの顔をしばししげしげと見つめた後、今度は彼の指なしグローブの隙間から垣間見えている中指のバディリングを見た。


 同じ模様がエマの左中指にも入っている。二人がバディになった証だ。


 それを交互に見て、メルンはようやく緊張を解いたように表情を和らげた。


「そうだよね……。ごめん、出会いが出会いだったから、緊張しちゃって。でも……エマがバディとして選んだ人だし、悪い人じゃないっていうのはわかってるんだよ」


「メルン……」


「それに――」


 メルンはそこまで言って、身を乗り出し、エマの耳元に唇を寄せた。


 彼女はレイには聞こえないような小声で、エマにだけ囁く。


「(レイ先輩ほど優秀な人ならなにも心配することはないと思うし、二人とも美男美女ですっごくお似合いだから、学力面でもプライベート面でも、どちらも応援してる!)」


 さりげない乙女らしさを醸し出しながら、ふふっと笑うメルン。


「(ちょ、ちょっと待ってメルンっ。応援ってこれは別に、ビジネスライクな付き合いだし、美男美女でお似合いっていうのもなんか違う気がするし、そ、それにっ)」


「おい。なにコソコソ話してんだよ?」


「なっ、なんでもないっ」


「あっ、いえ。なんでもありませんっ」


 しかし、遮るようにレイに怪訝な顔で問われ、慌てて声をハモらせるエマとメルン。メルンはいそいそと立ち上がると、身支度をしながら言葉を続けた。


「あ、えっと、じゃあ、その。私これから講義があるので、失礼します。ちゃんとしたご挨拶はまた改めますので……エマのこと、どうぞよろしくお願いします」


「……」


「え。ちょっとメルン、もう行っちゃうの?」


「だってレイ先輩がわざわざここまできてくれたのに、邪魔しちゃ悪いじゃない」


「悪くないって! 気まずいからいてくれた方が助かるって!」


「ふふ。照れなくたっていいのに。それに講義があるのは本当だから。また日を改めてゆっくりランチしようね」


「そっ、そんなあ……」


 引き止めるエマの声も虚しく、軽く片目を瞑ってみせたメルンは、そのまま席を立ち、会釈を残して軽い足取りで立ち去っていく。


 なんだか変に誤解されている気がしないでもない。


(う、うう……)


 取り残され、二人きりになるエマとレイ。


 それまでメルンと夢中になって話していたせいで気づかなかったが、周囲はやはり、「レイ様よ!」「あれが噂のバディの女ね」と、小声を交わしあっているようだった。


 今日は黄色い悲鳴というよりも、レイ様がなぜこんなところにいるんだろうという驚きと、エマへの嫉妬心でその場の空気が冷ややかにざわついているような感じだった。


 こんな悪目立ち、するはずじゃなかったのに。


「……で、なんでレイ・グレイスがこんなところにいるの?」


 ちら、と、恨みがましい視線を向けつつ口を尖らせるエマ。レイは自分で用意したと思しきドリンクに手を伸ばしつつ、そっけなく答える。


「なんでって、別に。バディなんだし普通だろ」


 視線は合わない。照れているのか、なんなのか。


「そういうものなの?」


「さあ? まあ、アンタに変な虫がついても困るしな」


「……? 変な虫? よくわかんないけど、貴方って意外と過保護なのね」


「だっ、誰が過保護だ」


「だって。なんだかんだでいつも気にかけてくれてるっぽいし、助けてくれるし、もちろん助かってはいるけど、なんだかとても甘やかされてる気分にな……はっ!」


「……?」


「も、もしかしてアナタ……」


「あん?」


「私に惚れちゃったとか?」


「ぶっ」


 もちろん、冗談のつもりだった。ニマニマ笑って意地悪く尋ねたところ、レイはブッと盛大にドリンクを吹き出し、赤い顔でゴホゴホとむせた。


「ちょ、大丈夫?」


「大丈夫じゃねえ。誰がアンタみてえな可愛げのねえ女……!」


 ぶつぶつ呟きながら、背を撫でるエマを恨みがましい目で睨むレイ。だが、近距離で目が合えば、彼はより頬を紅潮させ、たまらないといった表情でそっぽを向いた。


「なによ……。可愛げがなくて悪かったわね。冗談に決まってるじゃないの。っていうか、天下のレイ・グレイス様がなに変な意識しちゃってんのよ」


「うるせえ。誰のせいだ」


「誰のせいよ?」


「アンタのせいだろーが」


「え、私のせい!? 私何かしたっけ?」


「……した」


「え、なに」


「……」


「なにしたっけ……?」


「…………………キス」


「……」


「しただろうが…………」


 顔を真っ赤に染め、目を逸らしたまま至極屈辱そうに極小の声で呟くレイに、エマは目を瞬く。しかしすぐに『解毒薬を飲ませたときのことか』と、彼の言わんとしていることに思い至った。


「ああ、してた……」


「……」


「だけど……ほっぺに、だよ?」


「どこだろうと関係ねえ」


「じっ、人命救助だし!」


「いくら人命救助ったって、俺に平気でキスしてくるような無頓着なヤツ、お前ぐらいだっての」


「え、うそ。モテるんだからそれぐらいいくらでもしてそうなのに!?」


「こんなことでウソついてどうすんだよ。そもそも俺、そう易々と他人をパーソナルスペースに入れねえし。っつうかさ……」


「……っ!?」


 純粋な気持ちで返答していたところ、ずい、と、かなり至近距離まで身を乗り出された。


 慌てて身を引くもののすぐに椅子の背もたれにぶつかり、大した逃げ場はない。追い詰められたような形になり、こちらを監視している女学生たちのギャーという悲鳴があちこちから聞こえてきた。


「ちょ、なんっ、パッ、パーソナルスペースは!?」


「うるせえ。んなことより、アンタは人命救助なら誰にでもキスすんの?」


「へ?」


「……」


「う……」


「どうなんだよ……?」


「あ、いや……」


 ものすごく不満そうな顔で問われ、改めて考えてみる。


 そりゃあ目の前に死にそうな人がいて、どうしようもない状況だったらやらざるを得ないだろうけれど……でも。


「……」


 他に避けられる方法があるなら避けていただろうし、レイに対する感謝の気持ちや、薬嫌いを理解して寄り添いたいと思う気持ちがなければ、あそこまで必死にはならなかったようにも思う。


(そう考えると、あれはレイ・グレイスだったからこその選択肢だったというか……)


 エマはそこまで考えてはいたが、それを本人に言うのも気恥ずかしい気がしたし、なんとなく気が引けてしまい、つい、思ってもないことを口にする。


「えっと、そ、そりゃ、目の前に死にかけてる人がいたら……ねえ……?」


「……」


「ほ、ほら、『ほっぺたぐらい』ならわけないじゃない?」


「…………」


「あー、その、もちろん『口移し』とかだったら話は別だよ? でも、さすがに生死を分けるような緊急事態で自分しかその場にいなければ、そうも言ってられない気もするし……」


「ふぅん」


「そ、それぐらいは心ある人間として当然のことっていうか……」


「まあ、そうだよな」


 ひどく機嫌が悪そうな、しかし、それを気取られまいと無理矢理微笑むような。そんな表情でエマの回答を一笑に付すレイ。


「な、なんか怒ってる……?」


「別に?」


「そ、そう?」


「でも、まあ」


「うん?」


「なんかムカつく」


 レイは小声で吐き捨てるようにそう呟くと、問答無用で距離を詰め、エマの口元――口の端の部分だ――に、吸い付くような軽いキスをする。


「!?」


 驚きのあまり、エマはガシャン、とドリンクカップを取り落としてしまった。


 もちろん、周りからは阿鼻叫喚のような悲鳴が上がり、エマも顔を真っ赤にしてわなわなと震え、目の前にいるレイを見上げた。


 彼は勝ち誇ったような顔で口角を釣り上げ、自身の唇についたソースを綺麗に舐め上げている。


「な、な、な……」


「ドゥ・リーヴルのソースついてた」


「ちょ、だっ、だからってっ、なっ、ななななななんで、今っ、口っ」


「『ほっぺたぐらいならわけない』んだろ?」


「……!!??!?」


「なら別に、手でとろうが口で取ろうが関係ねえと思って」


 いや、ほっぺたじゃなくて、だいぶ唇に近かったんですけど――!?!?


 と、言いかけてやめた。というより、言えるような余裕は全くなかった。


 赤面して二の句が継げられなくなるエマを見たレイは、さもすっきりしたような顔で微笑む。


「俺、やられたら倍で返す主義なんで」


 そう呟く彼の顔は、いつにも増して楽しそうだった。


 バクバクとうるさい心臓の音。意識したいわけじゃないのに、口元に残された仄かな熱がエマの心中をかき乱すようで、とても平常心ではいられなかった。


 レイはそのまま、エマが何も言えないうちに立ち上がり、普段と変わらない表情で別れの挨拶を交わす。


「――さて、と。じゃあ行くけど。次に会うのは明日の二限のバディ専用講座か。アンタの成績は俺の成績も同義なんだから、予習ぐらいしっかりしとけよ」


「ちょ、まっ」


「じゃあな、『エマ』」


 エマの抗議などどこ吹く風で、レイは人の心をかき乱すだけかき乱して、その場を颯爽と立ち去っていく。


「ちょ……」


 もちろん、のちに残されたのは周囲にいる女生徒たちのギャーという阿鼻叫喚の声と、呆然と立ちすくむエマの姿。


 カレッジ生活はまだ始まったばかりだというのに、騒いで止まない胸の動悸と熱いほっぺたに、エマはどうしようもないほどの胸の高鳴りを感じてしまったりもして。


(ちょっとちょっとちょっとちょっと……)


 自分を討ち取ろうとする勇者よりも、自分を追い求める魔王よりも、自分を封印しようとする聖女よりも、魔女を憎み狩ろうとするあらゆる存在よりも。


 あの男の存在が、自分にとって最大級の『脅威』となる予感がしないでもない。


「ちょっと待ちなさいよレイ・グレイスーーーーっっ!!」


 果たしてエマは、彼とのバディ生活、そしてカレッジ生活を無事にやり過ごすことができるのだろうか?


 ――いにしえの魔女は、今日も明日も穏やかに暮らしたい。



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