いったいどんな性癖なんだ
◇
「グオォ……」
攻撃を跳ね返されたワイバーンは、ロアの気迫にやや尻込みするよう、じり、と後退する。
しばしロアとワイバーンの間で異様な空気が流れていたが、
「よそ見してんじゃねえぞ」
すかさず正面から魔法攻撃を仕掛けるレイ。
レイはロアの登場に気づいており、何か言いたげな顔をしていたが、呑気に会話を交わしている余裕などはないといった様子で、ワイバーンとの攻防戦を続けている。
そのおかげで、エマたちにとってのわずかの隙ができた。
「ロアくん! 目が覚めたのね?」
「ごめん。寝てた」
エマが驚きの声を上げると、いかにも申し訳なさそうにボソリと答えるロア。
「寝てたっていうより気を失ってた、かな」
「どっちにしろ役に立ってない……ごめん」
「今助けてもらったし、気にしないで。とにかく意識が戻ってよかった……体は大丈夫?」
「へーき。僕のことより、いったい何がどうなってるの、これ」
ロアはすぐ近くで暴れているワイバーンと、それに対抗するレイ、エマの傷ついた腕を交互に見ながら、眉を顰めて問う。エマは左腕の痛みに苦笑しつつ、簡潔に答えた。
「ごめん、細かい話は後で……。とにかく今は、目覚めてしまったワイバーンを倒すためにレイ・グレイスと手分けしていて、私は弱点のツノを討ち取ることを任されてるの」
「そう……」
「相手は並大抵の強さじゃないし、危険だからロアくんも離れていた方が……」
「この怪我は誰にやられたの?」
「……え?」
ひとまずロアを安全地帯へ誘導しようとしたエマだったが、本人がそれを遮った。
ロアはエマの左腕を取ると、そこにある生々しい傷口と、滴る鮮血をじっと見つめながら、再度確認してくる。
「誰がやったの?」
「えっと……わ、ワイバーン?」
「そう……」
そう、と言葉では受け止めてはいるが、あまり納得しているようには見えない。
いつになく殺伐とした空気が漂っているため、エマが気を使って自分の傷口を服の切れ端で覆い隠そうとしたところ、ロアがそれを制した。
「……??」
「痛かったよね」
「いや、あの」
「可哀想に……」
憐れむような声で呟いたロアは、戸惑うエマの腕を掴んだまま傷口にそっと顔を近づけ、その血をツウ、と、舌先で舐め上げた。
「……っ!? ちょ、ロアく――」
驚いて飛び退こうとしたエマだが、腕を強く掴まれ逃げ場はない。されるがままに血を吸われ、思わず頭の中が真っ白になる。わずか数秒の出来事だが、エマにはそれが、何倍もの長い時間に思えた。
やがて顔を上げたロアは、いつになく艶めいた表情で、恍惚と微笑んでいた。
「ろ、ロア……くん……?」
「ごめん……僕、血を見ると、なんかすごい興奮するんだよね」
「そ、そう……なの?」
「ん。エマの血なら、尚更かな」
意味深に呟き、くすくすと笑うロア。いったいどんな性癖なんだと突っ込みたくなるような、でも、突っ込むのが怖いような。結局エマは、なにも言わず曖昧にやり過ごすことにしたのだが……。
――錯覚、だろうか?
今、彼が何気なくかきあげた美しい金色の髪が、一瞬、漆黒の色に染まったかのように見えた気がして、エマは目を瞬く。しかし、頭を振って今一度目を凝らせば、やはり、彼の艶やかな髪の毛はいつも通りの金色に輝いていた。
(な、なんだろう今の……)
困惑して首を傾げるも、今はその答えを深追いしているような場合でもない。
エマは慌てて腕の怪我を服の裾で隠し、平常心を装ってロアの元を離れようとする。
「とっ、とにかく今は、あのツノをなんとかしないと……」
しかし――。
「僕がいく」
「え?」
「エマはここにいて」
「でもっ」
「大丈夫。エマを傷つける奴は、僕が許さない」
ロアは低い声でそう呟き、エマが止める間もなく軽やかな足取りでワイバーンの元へ歩み寄った。
「ろっ、ロアくん!?」
彼はレイと攻防戦を続けているワイバーンの足元から、いつになく身軽なフットワークで背中に這い上がると、難なくワイバーンの頭部のあたりに到達し、片膝をつく。
魔法杖は持っていなかった。まるでそれが彼の自然なスタイルであるかのように、ロアは片手を直接ワイバーンのツノに添えると、魔力を集中させるように目を瞑り、禍々しいほどの闇の瘴気を自身に纏い始めた。
(え、何これ……)
ビリビリと伝わる、強力な闇の魔力。
やがてロアは瞼を持ち上げると、無慈悲な表情をしたまま、耳慣れない呪文を口にした。
「『闇に堕ちろ』」
「……!」
刹那、広場の空気が凍りついたかと思えば、一気に迸る闇の波動。ロアから放たれたその魔法は、ワイバーンの鋭く尖ったツノを、瞬く間に粉々に打ち砕いていた。
「グオオオオオッッッ」
「!!」
頭部からひらりと飛び降りるロア。
攻撃の腕を止めていたレイは、唖然とするようにワイバーンの断末魔の叫び声を間近で見守り、エマはただただ圧倒されながら、ズシンとその場に倒れ込んで息絶えるワイバーンの末路を見届けた。
「な……」
(なに、今の……)
今のがロアの本当の魔力であり、本来の姿なのであろうか。トライアルマッチでレイと対峙した時の豹変ぶりと、同じような感じだ。
梃子摺るだろうと思われていた魔王の眷属であるワイバーンのツノを、まさかこんなにも容易く打ち滅ぼすだなんて。
目の前で起きた事実をいまだ飲み込めずにいるエマの元に、いつの間にかロアが戻ってきており、彼は何食わぬ顔で手を差し出すと、マイペースな口調で言った。
「終わったよ」
「……」
「帰ろ、エマ」
まるで頼まれたお遣いを終えた子どものような無邪気さで、静かに微笑むロア。
エマはしばらくポカンとしてしまったが、やがてハッとしたように我を取り戻し、慌てて頷く。
「あ、う、うん」
「腕、まだ痛い?」
「い、いや、私は大丈夫。それよりも怪我してるレイ・グレイスや、向こうで怯えているエレーナを……」
「……。僕、あの男キライ」
レイの名前が飛び出すと、ロアはすぐさま頬を膨らませてそっぽをむく。
先ほど恐ろしく冷酷無情にワイバーンのツノを打ち砕いた張本人とはまるで思えない、温度差のある態度だ。
「そ、そっか、ならエレーナお願いしていい? あそこの柱の陰にいると思うから……」
「わかった」
拗ねてみたり、従順に従うよう笑顔を滲ませたり、どこまでもマイペースなロアに、エマは面食らいつつも……――。
かくして無事にワイバーンの討伐に成功したエマたちは、使い魔を使用して外部と連絡を取り、救援の手を借りて祠から脱出する。
その後、第二キャンプ地の洞窟内で眠らされていたメルンも無事に救出し、波乱だらけの課外学習は、予想外の困惑と動揺を残して、ようやく終止符を打ったのだった。




