どうしてこんなこと
◇
やはり、という思いと、なぜだと悲しくなる気持ちが入り混じり、複雑な心境で問いかける。
「エレーナ……どうしてこんなこと……」
「どうして? 決まってるじゃない。魔物の封印を解いて、いずれ完全復活なさるであろう『新生魔王』様を喜ばせるのよ」
真っ赤に染まる眼差しで、不気味なほど冷ややかに笑うエレーナ。
「ちょっと待って。『新生魔王』は、まだみつかりもしていない存在でしょう? ワイバーンの封印を解いたところで、いるかどうかもわからない相手が喜ぶとも思えないし、それに……」
「いるに決まってるじゃない! 新生魔王様の『遣い』が、私に、この『魔性の水晶』を与えてくださったのよ!?」
「……!」
そう言って、エレーナは手に持っていた紅く輝く水晶を、ずいと差し出して見せた。
並々ならぬエレーナの気迫に少々たじろぎながらも、エマはめげずに尋ねてみる。
「魔性の……水晶?」
「そう。これよ……綺麗でしょう? 昨日、あんたと会話して別れた後、気づいたら私のポケットの中に入っていたの。最初はなにに使うものかよくわからなかったけど、この水晶に触れているうちに、自然とやるべきことが見えてきたっていうか……」
「……」
「きっとこれは魔王様からの思し召しで、『魔物の封印を解くこと』が、今の私に与えられた使命なのよ」
やはり彼女の言っていることはいまいちよくわからない。だが、その得体の知れない水晶が彼女をこの場所へ導き、悪に手を染めさせようとしていることだけは確かなようだ。
エマはエレーナが怪しい水晶によって何者かに操られている可能性も加味し、極力彼女を刺激しないよう、話を合わせることにした。
「そう……経緯は分かった。でも、だったらなぜメルンの格好をしていたの? 魔王は、メルンではなくエレーナに思し召しを与えたんでしょう?」
「ふん。だって仕方ないじゃない。最初の魔物の封印を解いた時に、キャンプ地が近かったメルンに、偶然見られちゃったんだもの」
「……!」
「想定外の出来事だったわ。もちろんアイツはすぐに私の行為を止めにきた。『お願いだからこんなことはやめて!』とか言って……今思い出しても腹が立つ……本当は私のことなんか見下してるだけのくせに、同郷の幼馴染を労わる優しい優等生ぶった顔で、説教まで垂れ出したりしてさ……」
「メルンは他人を見下したりなんかしないよ! それにメルンは、きっと本当にエレーナのことを心配して……」
「あいつが私を心配? はっ。そんなはずがないじゃない! 施設でどれだけ嫌がらせしてきたと思ってんの!?」
「……っ」
エレーナは間髪入れずにエマのフォローを打ち消し、忌々しげな顔でこちらを睨みつけた。
よほどメルンに対する劣等感や執着心があるのだろう。彼女はひどい剣幕で捲し立てるように続ける。
「エマだって知ってるでしょう? 私はあの女が大嫌いなの!『いにしえの魔女』でもないってのに、『高潔魔力者の血』だからって、どいつもこいつも大袈裟に神格化して、アイツばっかりチヤホヤして!」
「エレーナ……」
「私はねえ、あんな血筋だけの女より、何倍も何千倍も血が滲むような努力をしてきたのよ! 勉強も、魔法も、貴族の娘としての礼儀作法や教養も、見た目の美しさも、ヴェルモンドに対する予備知識も……何もかも、全ッッッ部独学で学んで身につけてきたし、実力だけならあの女に負けない絶対的な自信がある! それなのに……」
「……」
「いつだって選ばれて持て囃されるのは私よりもあの女……。結局、どれだけ努力しようが生まれついた血筋には敵わない……アイツに見つかって説教を喰らった時、それを思い出して、溜まってた憤懣が一気に爆発して……咄嗟に『巻き添えにしてやろう』って思ったの」
「……!」
長い金髪を優雅にかきあげるエレーナは、口元に歪んだ笑みを刻む。
「だってほら。凶悪生物の封印を解いたなんて事がバレたら、当然、ヴェルモンドからは追い出されるでしょう? 最初はまあ、魔王様に見初められさえすれば、もうヴェルモンドの肩書きなんてどうでもいいって思ったけど、どうせなら自分の名誉は傷つけずにいたいし、誰かのせいにできるものならしておきたいじゃない」
「な……」
「だから魔法で眠らせて、私がメルンになりすますことにしたの。そうすれば、罪は全部メルンに被せて、魔王様への手柄は全部私のものにできる。メルンのバディもさぞかしがっかりするでしょう? ……あはっ。これ以上にないザマアだわ」
エレーナは、自分のバディ相手であるマークの言葉を、よほど気にしていたのかもしれない。エマはたまらずに叫んでいた。
「卑怯だよエレーナ! そんな汚い事をして、貴女、本当に幸せになれるの?」
「……っ」
痛いところを突かれたように、憎悪に満ちた顔でキッとエマを睨むエレーナ。しかし怯むものかと立ち上がり、どこか正気を欠いているように見える彼女に、エマは真正面から立ち向かう。
「目を覚ましてよエレーナ。今のあなた、絶対に変だよ。魔物の封印を解いたからって、いるかどうかもわからない魔王に見初められる確証もないし、誰かの仕組んだ嫌がらせにハマっている可能性だってある! そもそも、小さい頃から血が滲むような努力を重ねてきたエレーナが、辿り着きたかった場所って本当にそこなの?」
「……」
「エレーナ……小さい頃に言ってたじゃない。『いつか誰かに心から必要とされる、幸せなお嫁さんになりたい』って。メルンを貶めて、悪に手を染めて、いるかどうかもわからない魔王に縋り付いて、せっかく勝ち取ったヴェルモンドでのカレッジ生活も手放して、今までの苦労も全部水の泡にして……それで本当に、エレーナは幸せ?」
「……さ、い……」
「私は、貴女がそれで本当の幸せを掴めるとは到底思えない。お願いだから目を覚まして。きっと、その水晶に何か仕掛けがあるはず。それさえ手放せば……」
「う、うるさいっっっっっ!!」
「きゃっ」
エレーナの手から、彼女を惑わせている原因と思しき得体のしれない水晶を奪い取ろうとしたエマだったが、即座にものすごい力で跳ね飛ばされた。
エレーナはエマの言葉に逆上するよう、血走った目をさらに滾らせて憤慨する。
「うるさい、うるさい、うるさいッッ!」
「……っ」
「どいつもコイツもうるさいのよもう黙って!! そんなこと言われなくたって自分が一番よくわかってる!」
「エ、エレーナ……?」
頭を抱え、心を乱すように絶叫するエレーナ。
葛藤しているのか、あるいは良心の呵責に苛まれているのか。いずれにしても今までに見たことがないぐらい苦しそうな表情で美しい金髪をぐしゃぐしゃにかき乱した後、彼女は血走った眼でぜえぜえと荒い息を吐き出しながら、全てのノイズを断ち切るように、今一度、強く水晶を握りしめた。
「わかってるけど……でも……」
「……! だ、だめっ、エレーナ!」
「もう無理。後には戻れない」
闇に堕ちるような声で呟かれたその一言。エマが止める間もなく、エレーナは紅く揺らめく魔性の水晶を再度石碑の中央部分に翳し、そして――。
「目覚めなさい、ワイバーン!!」
復活の儀式を最後まで結ぶよう、ついにその呪文を最後まで口にしたのだった。




