苦手なんだよ
◇
(この中に確か……あった!)
エマは携帯用ケースの中から一本の小瓶を引き上げる。
教員からの説明にもあった通り……これは、丸薬状の『毒消し』だ。
これはモンスターを想定して配られていたもの、というより、大自然の中でのキャンプゆえ、野生の毒蛇や毒虫などに備えて配られていたものだ。
特に新入生一同は、まだ入学したてでまともな講義も受けていない。当然のことながら、生徒の中には回復系魔法が苦手な者もいるわけで、非常事態に備えて……という趣旨の配布物だと思うが、いずれにせよ解毒の効果に差異はない。助かった。
エマは小瓶を開けると、中から一錠取り出してレイに差し出す。
「毒消しあったよ。ほら、これ、飲んで」
「……はあ……はあ……」
苦しそうに呼吸を繰り返していたレイは、朦朧とした眼差しでエマと差し出された丸薬を見た。
「ほら……?」
もしかしたら、すでに腕を動かす力もないのかもしれないと思い、気を利かせて口元まで近づけるエマ。だがレイは、しばらく丸薬を見つめた後、苦そうな顔でフイっとそっぽを向いた。
「……?? ほら?」
怪訝に思いつつ、エマはレイの口元を追いかけるように再び丸薬を差し出すが、やはり彼は丸薬を見つめた後……口に含む直前のところでフイッとそっぽを向き、頑なに服薬を拒否をした。
「……」
ムッとしたエマは、徐ろにレイに詰め寄り、無理やり丸薬をレイの口の中に押し込んでみる。
するとレイは、秒もしないうちにそれをペッと吐き出した。
「はあ、はあ……」
「ちょっと。なんで飲まないの。このままじゃ死んじゃうよ?」
「……」
強固な拒みっぷりに、脅すように――といってもあながち大袈裟でもないのだが――迫ってみたのだが、やはり彼は服薬に前向きではない様子で押し黙っている。
この非常事態にどうしたんだろうと怪訝に思いながら、もう一粒を小瓶から取り出していると、レイはエマから顔を背けたまま、苦々しい表情でポツンと呟いた。
「苦手なんだよ」
「え?」
「ガキの頃……魔力ない俺に……絶望したおふくろ、が……あらゆる、クソまずい薬、かき集めて……ヒステリックに……飲ませようとしてきて……」
「……」
「無理して、飲んでも……効果なんて……皆無だし……また失望されて……毎日……その繰り返しで……それで……」
レイは辛そうな表情をしたまま、それ以上は語らず静かに目を瞑った。
それは過去を想起しての表情だったのか、それとも単に今、容態が悪くて辛いだけなのかはわからなかったが、エマには彼と彼の母親の間に起きた苦々しい過去が手に取るように伝わってきて、頑なな丸薬拒否の理由が腑に落ちた。
「なるほど……それで、嫌悪感があって、反射的に拒絶反応が出ちゃうってわけね」
「……」
「貴方って……」
「……?」
「冷たいしそっけないし、非の打ち所がない、人間離れした宇宙人かなんかかと思ってたけど、意外と人間臭いところもあるのね」
感心するようにこぼすと、レイは少しムッとした表情で「る、せえ。誰が宇宙人だ」と、口を尖らせた。
あのクールで冷徹そうなレイ・グレイスが、まさかこんな人間味のある表情をするだなんて思ってもなくて、エマは不覚にも、少し笑ってしまった。
「ごめん。でも可愛げがあっていいと思う」
「か、かわっ、」
「私は、どっちかっていうと、今のレイの方が好きかな」
「……っ!」
急に親近感が湧いたため、つい余計なひと言を添えると、思いのほかレイが頬を赤く染めた。
「……」
何かをいいたげな目でこちらを見ているが、声にはならない様子。それは毒が回っていて思考が回らないせいなのか、あるいは褒めなれない言葉に戸惑っているのか。いずれにしても息の荒さがそろそろ本格的に危険領域に入ってきているので、エマは一旦会話を中断して、一息ついてから丸薬をジッと見つめた。
(さて、と。どうするか……)
おそらく、面と向かって無理やり飲ませても、また吐き出されてしまうだろう。
やるとするならば一発勝負の確実に成功する方法で彼の不意をつき、驚いた拍子に勢いで飲ませてしまうしかない。
(そうはいってもこの人、恐ろしいぐらいに頭の回転が速い。虫だ、幽霊だ、といったこどもだましで驚くような相手でもないし、不意をつくには……)
ちらりとレイを見やると、目が合った。
わずかに上気して汗ばんだ顔。朦朧とした瞳。
「……」
彼にはなんだかんだで二度も助けられている。今度は自分が助ける番だ。
エマは腹を括るように小さく深呼吸をすると、よし、と頷いてから徐ろに腕を伸ばして、彼の顔にかかっている銀髪を優しく指でかいた。
「ねえ、レイ」
「……?」
そのまま――。彼の頬に片手を添えると、スッと顔を近づける。
「なん、」
戸惑うレイに問答無用に接近し、エマは彼の艶やかな頬に不意打ちのキスをする。
「……っ」
案の定、唐突すぎる出来事に、レイが驚いたように目を見開いた。
「な、にす……」
さっきの倍以上に顔を上気させ、言葉を失うよう口をはくはくさせるレイ。動揺のあまり声にならないのだろう。エマはいまだ、と言わんばかりに丸薬を放り込んだ。
「んぐっ」
すかさず片手で彼の口元を塞ぎ、抵抗しようとすれば全身を使って押さえつけ、彼の懐に埋まりながら、諭すように呟く。
「お願い、飲んで」
「んぐ、……」
可哀想だが仕方がない。レイの首筋の辺りに自分の頬を押し当てて嚥下を待っていると、心が折れたのか、あるいは驚きのまま飲み込んでしまったのか、確かにごくんと、喉元が動いた。
「よし、飲んだ」
「……っく……ケホッ」
ぜえ、ぜえと繰り返し息を吐き出しながらも、レイは恨みがましい目でエマを見下ろしてくる。
「お、お前……」
「ごめんって。でも、他に思いつかなかったし、死ぬよりはマシでしょ?」
「……」
エマが釈明するようにそう告げると、彼は口元を手の甲で隠したまま、顔を背けて押し黙った。
いつになく顔が赤い。よほど想定外の出来事だったのか、あるいは、エマのことを意識してしまっているのか。いずれにせよ、それまで荒かった呼吸が徐々に穏やかなリズムをとり戻してくる。
早速、飲ませた薬が効いてきたのかもしれない。エマはホッと安堵するようにレイの懐から離れると、
「少しここで休んでて。安静にしていればすぐに薬が効いてくると思うから」
「……」
「私、ちょっと出口を探してく……」
いまだそっぽを向いたままの彼にそう告げて、エマが立ち上がろうとした時のことだった。
――ドオン、と。
鉄扉の奥で、なにやら重たい岩音のようなものが轟き、こちらの部屋にまで伝わってくる。
「……!」
ハッとして顔を上げるエマ。同じく気掛かりな視線を向けたレイとアイコンタクトをとってから、鉄扉のそばまで歩み寄る。
分厚くて硬いその扉は相変わらず開く気配はなく、耳を押し当てたところで奥の部屋の細かい物音が聞こえるはずもない。
だが、鍵穴から中を覗き込めば……気になっていた鉄扉奥の光景が、くっきりとエマの視界に飛び込んできた。




