ひどい毒じゃない
◇
背後でズシン、と重々しい音が響く。
シャルの背中にしがみついていたエマは、閉ざされた背後の扉を振り返り、どっと安堵の息を漏らした。
「ま、間に合った……」
「シャル、賢いにゃ」
ふふんと得意げに鼻の下をかくシャル。エマは「賢い〜!」と、その背中にギュッと抱きついてシャルの苦労を労る。しかし、喜んでいる場合でもない。ぐったりしている男二人も気になるし、メルンの行く末も気になるし、広い広間の片隅で、一旦シャルの背中から地上に降りて様子をみようと思ったのだが。
「主、この後はどうす……ぶにゃっ」
「へ? うわっ」
壁際の柱に前足をついて、三人をおろそうとしたシャル。
しかしシャルの前足は、図らずも何やらトラップのスイッチを押してしまったようで、突如足元の床が外れて下に落ち、スライダー状になったそこを猛スピードで滑り落ちていく。
「ぶにゃあああ」
「ひえええっ」
必死にレイの体、そして腕を伸ばしてロアの首根っこを掴んで、シャルにへばりつくエマ。
しばし滑落の末、三人を乗せたシャルの体は、やがて終点と思しき何もないひらけた空間にペッと放り出された。
「にゃっ」
「わっ」
「……っ」
どすん、と、シャルの背中から投げ出されて地面に転がる三人。
巨大化の効果が切れたようだ。シャルは元の姿に戻ってぽてんと転がっている。
「しゃ、シャル大丈夫!?」
「だ、だいじょぶ、にゃあ」
慌てて駆け寄って抱き起こすと、シャルは大丈夫だと言いながらも、ぐるぐる目を回していた。
「シャル、頑丈。でも、目がぐるぐるするにゃ」
「ごめん。そうだよね。えっと……ひとまず、魔法陣の中に戻って休んでる?」
「そうするにゃあ」
「ありがとうね」
シュポン、と、魔法陣の中に帰っていくシャル。
ふう、と息をついたエマは、次いで辺りを見渡す。ガランとしたそこは空洞のような小部屋となっていて、四方は石や岩で覆われている。うち一方の壁には、厳重に閉ざされた分厚い鉄扉があるのが見えた。
照明はそこかしこに蔓延る観葉植物――シャインプラントと呼ばれる自然発光草だ――が神秘的な明かりを灯しているのみで、それがなければ室内は真っ暗な闇に覆われていただろう。エマはすぐさま立ち上がり、まずはそばに転がっていたロアの様子を確認する。
これだけ騒がしく衝撃も受けているというのに、彼が目覚める気配はまだない。ぐったりだ。
念のため胸に耳を当てて心音を確認してしみたが、心音や脈にも問題はない。単に気を失っているだけの様子。
ほっと安堵――していいのかも謎だが――の息をつくと、一旦彼はそのまま安静に寝かせておくことにして、少し先に転がっていたレイの元に寄る。
「……っつ」
「大丈夫?」
レイの意識はあるものの、顔色が悪く、息遣いも荒い状態。
エマの問いかけには小さな頷きを返し、涼やかな目で『平気だ』と訴えてくるが、全然平気には見えなかった。額に汗もかいている。
「毒が……効いてるのね……」
エマは血が滲んでいる腹部の辺りを目視しながら呟く。服を捲って確認しようとしたら、その手を制された。
「俺のことは、いい……それより、扉……」
「扉……?」
「開かない……か?」
レイの視線は、閉ざされた重い鉄壁に向けられていた。
ワイバーン復活の阻止、それが最重要だと思っているのだろう。さすがはヴェルモンドの首席学生であり、由緒正しきグレイス家の息子である。もちろんエマも恐ろしい魔物の復活は阻止したいところだが、具合が悪そうなレイの容態も見過ごせないというのが正直なところだ。
「……」
考えた末、ひとまず出口の確認だけは先にしておこうと立ち上がり、扉のそばまで歩み寄る。
錆びついた金色のドアノブ――鷲のような不思議な形をした取手だ――や、少し大きめの鍵穴を慎重に指で触れてみたり、ダメ元で体重を乗せて押してみたり引いてみたりもしたが、動く気配は皆無。レイに向かって首を横に振り、「ダメみたい」と呟くと、彼は口惜しそうに「そう」とだけ返した。
これで諦めて、今は自分の傷に向き合ってくれるだろうと思っていたのだが――。
「なら……」
「ちょちょちょちょ! そんな体で何する気!?」
素直に諦めたのかと思いきや、彼は懐から魔法杖を取り出し、よろよろと起きあがろうとしたので慌ててそれを諌める。
おそらく魔法で扉を吹き飛ばそうと思ったのだろうけれど、そんな簡単に吹き飛ぶような軽い扉でもなさそうだし、そもそも魔法杖もまともに握れず、指先が震えて地面に落しているところからしても、今の彼の体では到底無理な話である。
「くそ……」
「無理だって。寝てた方がいいよ」
「そうはいっても、ワイバーン……」
「こんな時こそ『冷静になれ』でしょ?」
「……」
「無理したって扉は開かないだろうし、焦ったところでどうにもならないよ。とにかく今は毒をなんとかしないと」
エマはレイを壁にもたれかけるように座らせ、「ちょっと見せて」と、断りを入れてから無理やり服の裾を捲り上げる。
やはり思った通り、腹部に大きい傷ができており、被毒状態であることが一目でわかるよう紫色に腫れ上がっていた。
「やっぱり……ひどい毒じゃない」
「…………」
「解毒魔法、使えない?」
石化解除の魔法を扱えた彼なら、解毒の魔法も容易に扱えるのではないかと思って尋ねたエマだったが、思いの外、レイは顔を曇らせた。
「……? もしかして、他者にはかけられるけど、自分には回復魔法をかけられないタイプとか?」
「……いや」
「じゃあ、もう魔力が残ってないとか?」
「それも違う」
「ならどうして……」
「……」
「……?」
「俺、本当は『人工的魔力者』なんだよ」
「へ?」
ここで思いもよらぬ発言が飛び出してきて、エマは目を瞬く。
『クアージ』といえば――昨日の野営クッキングの時にも出てきた話だが、魔力者と非魔力者のうち、魔力を持たずに生まれてきた非魔力者に、人工的に魔力を付加した者のことだ。
「元々は魔力ゼロで生まれて……でも、家柄上それは絶対に許されないことだからって……ガキの頃に人目を憚りながら手術して、体内に無理やり魔力石を埋め込まれてる」
「うそ……」
「ホント。俺の魔力石は、汎用性は高いけど、体に何らかの状態異常がかかると、不具合が生じて一時的に一部の魔法が扱えなくなるデメリットがある」
「……!」
「だから……今、回復魔法は……制限されてる状態、ってわけ……」
「そうだったの……」
驚いたようにこぼすエマに、レイは荒い息を吐き出しながらも浅く頷く。
――意外だった。
有名な魔法使い家系で、カレッジでも優秀な成績を収め、溢れんばかりの魔力を秘め、あらゆる高等魔法を操ってきただろう彼のことだから、てっきり純然たる魔力者だと思っていたのだが、あくまでそれは仮初の姿だったというわけだ。
(驚いた。全然違和感なかったのに……)
非常事態だとはいえ、なんだかものすごい秘密を知ってしまった気分だ。
「笑えるだろ。名門カレッジの首席学生が『クアージ』とか」
「……」
「バラしたきゃバラせばいい……世間体を気にする親父らは困るだろうけど、俺は別に……今の地位や名誉に未練……ねえし……」
レイは自嘲気味にそう吐き捨てて、呼吸を整えるように静かに目を瞑る。
端正な顔立ちのそのくっきりとした輪郭には、彼の不調を明確に示すような汗がうっすらと滲んでいて、痛ましかった。
わずかな沈黙の後、エマは呟く。
「別に笑わないし、誰にも言わないけど」
迷いのない声色だ。レイが長いまつ毛を持ち上げてこちらを見る。
エマは今一度はっきりとした口調で、思っていることを率直に告げた。
「クアージだろうがなんだろうが、魔力石を自分の意思で操って魔法を使っているのなら、それは間違いなく貴方自身の力でしょ」
「……っ」
「『どんな魔力か』より、『どんな魔法を使うか』の方が大事だし、よほどの努力をしなければヴェルモンドの首席学生にはなれない。むしろ体内の異物を操りながらトップに上り詰めたのなら、それはそれでタフな精神力じゃない。恥ずべきことでもなんでもないと思うけど」
寸分の迷いもなくそう答えるエマに、レイは驚いている様子だった。
「そんなことより、今は、毒をなんとかしなくちゃ」
「…………」
「ごめん、私が解毒魔法を使えたら良かったんだけど、その、回復魔法は……ちょっと苦手っていうか……まだ会得できていなくて……」
エマは言葉尻を濁らせながら、レイの傷口と向き合う。
ひょっとしたらロアが解毒魔法を扱える可能性もなきにしもあらずだったが、彼は未だに気を失っているため、当てにすることはできない。
(どうしよう、このままじゃ……)
レイは押し黙り、被毒状態を拗らせて具合が悪そうに荒い息を繰り返している。
顔色もどんどん悪くなってきているし、このままでは本当にまずいかもしれないと真剣に頭を悩ませるエマ。
「あっ」
ふと思い出したように、エマは自分の服のポケットを漁る。
カツン、と、指先に硬いものに触れた。エマは慌ててそれを引き上げる。
(ああ、よかった、あった……!)
四角い透明ケースに入ったソレ。神に縋るような思いで取り出したソレは――……野営が始まる際、非常事態用にとカレッジ側から生徒全員に配られた、『携帯用七つ手道具』だった。




