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むしり取る

 商人がマリナを狙っている以上、わたしは必要以上にマリナとトールに近付かないほうがいい。研究室もできるだけ行かないほうがいいと言われ、授業が終わるとまっすぐ帰るようになっていた。

 ちょっと……いや、だいぶ寂しい。


 服従の首輪をしている人を探すため、わたしについている人は少ない。今日はアーサーだけだ。

 いざとなれば、わたし一人でもいいと思ったけれど、さすがにそれは許可されなかった。

 学校に来てからずっと、みんなはわたしが一人にならないように気を配ってくれている。

 わたしが頼りないからか、わたしを巻き込んだ罪悪感からか、はたまたレディを一人にしておけない騎士精神か。どれも根底にわたしに対する気遣いがあるので、ありがたく受け取っておくことにした。

 騎士からのプレゼントは、受け取るのがレディの優しさだって、クリスも言っていたしね。


「お嬢様、お待ちください」


 珍しくアーサーからの呼びかけに、脚を止める。

 校舎から女子寮へ帰る途中の、なんの変哲もない夕闇に染まっている小道だ。周囲に人もいない。

 わたしの前にアーサーが立ちふさがり、いつでも剣を抜ける体制になる。ぴりっとした緊張のなか、木陰から出てきたのは、あの商人だった。


「ああよかった、人に会えた」

「……っ!」


 ぞわわわっと、すごい勢いで鳥肌が立った。

 もう顔さえもおぼろげだったのに、声を聞いた途端、体が逃げろとわめく。

 顔も、声も、体つきも間違いない。あの時、わたしを襲おうとした人間だった。


「何用か」


 わたしの顔が見えないように、前に出てかばってくれるアーサーの声には、棘がある。


「この学校に出入りを許されている商人です。お恥ずかしいことに、道に迷ってしまいまして」

「出口はあちらだ」

「ご親切にありがとうございます。随分と前から迷っていまして、人を探していたんです」


 ……マリナを狙っているのならば、研究室に出入りしていたわたしのことも知っているかもしれない。

 偶然とは思えない。待ち伏せしていた可能性が高い。


 人好きのする笑みを浮かべ、商人はバッグを開けた。


「こちらはお礼の品です。近々、商会で売り出す予定の商品で、発売前なので貴重ですよ。私の恩人へ捧げることができるのなら、これ以上の喜びはございません」


 この商人は、自分は無害だと見せるすべを知っている。今も、いかにも偶然の出会いに感謝していると見せかけているに違いない。

 本当は受け取りたくはないけれど、ダイソンに繋がる貴重な品かもしれない。


「……では、ありがたく」


 アーサーが近付いて受け取り、すぐにわたしの近くまで戻ってくる。

 可愛らしいパステルカラーでラッピングされた小さな箱は、見た目も綺麗だ。この状況で、もらった相手が他の人だったら、きっと素直に喜べただろう。


「いいえ、こちらこそ感謝の念に堪えません」


 商人は柔和な態度で、深々とお辞儀をした。やけにあっさり去ろうとする背中に、いつもより高い声で話しかけた。


「……お待ちなさい」


 驚くアーサーの、服の裾を掴む。商人に見えないように、バレないように。

 ほんの指先が布を掴んでいるだけなのに、少しだけ震えが止まった。


「これが気に入ったら使用人をよこすわ。商会の名を教えなさい」

「では、毎日この時刻に、ここにいるようにいたしましょう」


 商人は、すんなりと商会の名を告げ、嬉しいとばかりに微笑んだ。


「我が商会の、自信の品なのです。お気に召したなら幸いでございます」

「気に入らなかったら来ないわ」

「もちろん、それで結構です。必ずや気に入っていただける商品だと、自信をもっておりますので」

「そう。邪魔よ、さっさと行きなさい」

「御前、失礼いたします」


 やりすぎなほどお辞儀をしてから去っていく商人が消える前に、つんと澄ましてアーサーへ告げる。


「何をぼんやりしているの。さっさと部屋へ帰るわよ」

「申し訳ございません。まいりましょう」

「今日のお茶は用意しているでしょうね? わたくし、あれでないと嫌よ」


 これで、少しはワガママお嬢様に見せられただろう。

 商人の前でわたしが話すことがあれば、いきなり商品がほしいと言い出しても疑われないようなご令嬢になると、事前に決めていたのだ。

 周囲を警戒するアーサーと女子寮まで戻り、部屋へ入る。ドアが閉まった途端、いまさら脚が震えてきた。


「大丈夫ですか、アリス! アリスは話さなくてもいいと決めたではないですか! こんなに震えて……!」


 がっしりと支えてくれたアーサーが、部屋にいたロルフに商人のことを説明する。

 ロルフは驚いて、わたしのために怒ってくれた。


「アリス、なんて無茶を……! 聞いただけで、寿命が縮まりそうだ。お願いだ、自分を大切にしてくれ」


 ロルフの懇願には、頷けなかった。


「お二人がわたしのことを心配してくれているのは伝わっています。本当にありがとうございます。でも、わたし、あそこで逃げたくなかったんです」


 支えられていたアーサーの腕に掴まり、震えの止まった脚で立つ。


「このままあのクズに怯えて過ごすなんて、絶対に嫌だったんです。アーサー様はきっと、わたしが話さずとも、決めた通りの会話へと誘導してくれたでしょう。でも、それに隠れて、話さなくて安心したくはなかったんです」


 アーサーの腕を離しても、わたしの脚は、わたしの体をしっかりと支えてくれる。


「あの時は確かに震えていました。いきなり現れて、虫も殺したことがないような顔をして話しかけてくるのが怖かったから。でも、いま感じているのは……怒りです」


 わたしを突き動かしているのは、まぎれもない怒りだった。

 昔、あの商人に騙されていた時に感じたのは、諦めだった。やっぱりという感情が胸を埋め尽くし、細身のイケメンというだけで嫌悪するようになってしまった。

 自分のことより、気付けなかったと自分を責める家族のケアを優先していた。


 でも、今は違う。

 二度もわたしに狙いをつけ、トールに人を殺す練習までさせ、なんの罪もない頑張り屋のマリナを狙っている。


「絶対に許せない! 絶対に……絶対に!」


 体中の細胞が燃えている。産毛が逆立って、体温が上がる。

 わたしの家族に消えない傷をつけたあいつを、絶対に許さない!


「今度こそ、むしり取る!」


 なぜか広げられていたアーサーとロルフの両手が、そっと下ろされる。

 心なしか股間を守っているような体勢には触れないでおいた。



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