綺麗な人
何回も瞬きをして、最後にぎゅうっと目をつむってから開けてみても、現実は変わらなかった。
深刻そうな顔をしているロアさまの前で、わたしは大混乱中だ。
こんがらがってうまく働かない思考は置いておいて、ロアさまに意識を向ける。
「わたしも、恋愛には向いていませんよ」
「そうなのか?」
「みんな物珍しくて構ってくれていますが、わたしは結婚したくないし、誰かを好きになるのも、好意を向けられるのも……心の奥で恐れている。たぶん、臆病なんです」
「それは、あんな……おぞましいことがあったからだろう?」
「いいえ」
それだけははっきりと否定できた。
あれは駄目押しではあったかもしれないけれど、根本は違うものに傷つけられた。
「……わたしは、わたしに向けられた好意に依存してしまって、それがいつか消えてしまうことが、心底……恐ろしいんです」
まぎれもない、自分が見ないようにしてきた真実だった。
ふうっと息を吐く。認めたくない真実に気付き、人に告げてしまうと、なんだか心が楽になった。
「やっぱり、一日の最後にロアさまとお話しするのは大事ですね。ロアさまはいつも、わたしにたくさんのことを気付かせてくれます」
「私こそ、そう思う」
「それはよかったです」
「……そうか……そうだな。……私も、恐れているのだろう。自分が今まで与えられなかった一番を、これからも与えられることがないかもしれない現実を直視することが……恐ろしかったのだ」
ロアさまは笑った。それは綺麗に、ほころぶように。
「ありがとう、アリス。これで私は、また前に進める」
ロアさまは、綺麗だ。
顔とかじゃなくて、生き方や考え方が綺麗で、眩しい。
考えるだけで落ち込む事実を、どうして前に進める力にできるんだろう。自分が先頭に立って、すべての傷や痛みを引き受けようとして、それを誇らしいことだと笑える人。
「夜も更けた。そろそろ眠ろう」
「そうですね。ゆっくり休んでくださいね」
「疲れただろう? 明日はゆっくり起きて、一日休んでいてくれ。おやすみアリス、いい夢を」
「ロアさまも、いい夢を。おやすみなさい」
ロアさまと別れて、私室へ入る。
ベッドにもぐりこんで、月明りでほのかに明るい天井を見つめた。
「……ロアさまが王弟殿下だったら、つじつまが合いすぎるよね」
ダイソンに狙われて逃げる理由。高価な魔道具をぽんぽん用意できる、ロアさまの兄。
あのダリア公爵家の次期当主であるアーサーの主。
療養中として、滅多に表に出てこない王弟殿下。声さえも変える変身の魔道具をつけて、第四騎士団にいたロアさま。
短髪をゆるやかに撫でつけている銀髪。ロアさまが使う予定だったこの部屋に堂々と使われている、王家の色であるロイヤルブルー。
瞳の色だけは違うけど、それは簡単に変えることができる。
王弟殿下の声は少ししか聞いたことがないからすぐに気付かなかったけど、あの低くていい声は王弟殿下のものに似ている。
「ロアさまは、どうして身分を隠してるんだろう……」
この期に及んでまだ、わたしを巻き込みたくないとか考えているのかな? もうがっつり巻き込まれているから、今更だと思うんだけど。
わたしには身分を隠しているのだから、その理由を聞くことはできない。
聞きたいけど……どうしてこんなことになっているか、心底聞きたいけれども! 聞けない! ジレンマ!
「……とりあえず寝よう……」
シーロの無事を喜びながら寝よう。深夜や寝る前に、いい結論は出ないものだ。
翌朝、昼前に寝ぼけた頭で部屋を出た。
シーロが無事なのは嬉しいのに、自分のことでいっぱいいっぱいになってしまって、なんだか申し訳ない。
寝ぐせをごまかすために、ゆるく三つ編みにして部屋を出る。
「おはようございます、アリス。もう少し寝ていていいんですよ」
「アーサー様、おはようございます。寝すぎると、夜に眠れないので」
「確かにそうですね」
アーサーは、相変わらず爽やかな王子様オーラが漂っている。
「二日酔いですか? 飲んでいる途中で、酔い覚ましの薬を飲んだほうがいいですよ」
「二日酔いではないので大丈夫ですよ」
「顔色が悪いですから、今日は休んでいてください」
侍従の服を着たアーサーは、今から出かけるところだったようだ。
「他に、服従の首輪をしている人物がいないか探してきます。本日はほとんど出払っていますので、部屋から出ないでくださいね」
「わかりました。おいしいご飯を用意しておきますね」
「では、名前を書いたクッキーが飾ってあるパフェにしてください。とてもおいしかったので」
「調理器くんと下ごしらえくんに頼んで、たくさんの種類を用意してもらいますね。いってらっしゃい」
「いってきます」
アーサーが出て行ってしまい、部屋にひとり残される。
気持ちを入れ替えて、パフェの準備でもしておこう。今はダイソンのことに集中するべきだ。