一気に登場人物が増えるのはよくない
就職して二週間、ここの仕事にもすこし慣れてきた。
毎朝大量のパンが届けられるので米を炊くことがなくなり、騎士たちの好みもわかってきた。味が濃く、適度に脂っこく、お腹が満たせるもの。
貴族の食事はおいしいけれど、ちまちま運ばれてくるのをマナーを気にしながら食べなければならない。それと比べるとここの食事は豪快で、仲間と笑いながら食べることができる。手づかみで食べるハンバーガーを出したときは、新鮮でおいしいと好評だった。
あの穏やかイケメンは、夕食にいつもひとりだけ遅れてくる。朝食は逆で、とても早くやってくる。そして、騎士たちが食べ終えたあと、二度目の朝食を食べにやってくる。
あれほど疲れを出さずに努力する人をはじめて見た。あの人は、どこで弱音を吐きだしているんだろう。自分を高め続けるコツを聞いてみたい。
夕食の準備が終わったあと、明日使う材料を見ながら献立を考えているとき、はっと気づいた。
こ、これは……! あれが作れる!
そわそわと立ち上がると、食堂に鳥肌イケメンが入ってきた。後ろには騎士たちがぞろぞろとついてきている。この人が一番最初に部屋に入らないといけない規則でもあるのかしら。
「おかえりなさい!」
弾んだ声を出すわたしが珍しかったらしく、視線が集中する。顔が赤らんでしまったけど、できるだけ無表情を装った。
「お疲れ様でございます。本日の夕食はできております。食後、ほんの十秒ほどお時間をいただけませんでしょうか」
「どんな用でしょう?」
「お時間のあるときで結構でございます」
「いま聞かせてくれませんか」
え、後ろにぞろぞろ人を引き連れておいて? 訓練で疲れてお腹がぐうぐう鳴ってるのに、今聞くの?
戸惑ったが、こうまで言われると従うしかない。早く終わらせて、一刻も早く騎士たちのお腹を満たさなければ。
ペンと紙を取り出して尋ねた。
「激辛、中辛、甘口、どれがお好みですか?」
「え?」
「カレーの話でございます」
「かれー……」
まさか、カレーを知らないの? 唖然とイケメンを見つめる。
そういえば友人のご令嬢たちも、トールのお友達も知らなかったっけ。でも棚にカレーに使うスパイスがたくさん入っているんだから、貴族だから知らないってやつだよね。
「……中辛、かな……?」
そんな自信なさそうに言われても。
とりあえずメモをしようとして、大変不敬なことに気づいた。名前と一緒にメモを取りたいのに、名前を知らない。
だって、下位の貴族から名前を聞くなんてできないし。でも鳥肌とかあだ名書くわけにもいかない。
ひとまず辛さのメモだけ取っておいて……。
ふとメモを覗き込んだ鳥肌イケメンは、すべてを見透かしたように、ふっと笑った。金色に輝く髪がさらりと揺れて、青い瞳がさざ波のように揺れる。
「私の名を書いても構いませんよ。不敬だなんて罰しません」
「ありがとうございます」
あなたの 名前を 知らないんだよ。
いつまでも動かないわたしを不思議に思った鳥肌イケメンは、わずかに目を開くと、優雅に片手を胸にあてた。
「可憐なレディに名乗る名誉が遅くなったこと、お許しください。アーサー・ダリアと申します」
「アリス・ノルチェフと申します。こちらこそ、殿方の名に疎くて申し訳ございません」
「え、うそ、知らなかったの?」
どこからか聞こえた声は無視だ。
鳥肌イケメン改めアーサーにトレイを渡すと、彼は優雅に笑いながら、ウインクで可愛さを添えるという器用なことをした。
「どうぞ、この機会に騎士たちの名と好みをお聞きください。レディに己を知ってもらえる貴重な機会です。みな、我先にと名乗るでしょう」
次に来たのは、いつもアーサーの次に食堂へ入ってくるイケメンだ。
バスケ選手かってくらい背が高く、黒髪がよく似合っている。食堂がにぎやかになっても、あまりしゃべっているところを見かけない。寡黙な性格なようだ。
「エドガルド・バルカ。……中辛が好みです」
「アリス・ノルチェフと申します。よろしくお願いいたします、バルカ様」
次は、チャラそうな雰囲気のイケメンだ。鮮やかにウェーブを描く赤髪をひとつにまとめていて、立っているだけで華がある。
「ロルフ・オルドラ。いつもおいしい食事をありがとう。激辛がいいかな」
「アリス・ノルチェフと申します。こちらこそ、いつもありがとうございます」
ロルフの後ろから、ぴょこんと薄ピンクの髪の毛が出てきた。最初のころ、率先してごはんをたくさん食べて、おいしいと言ってくれたジャニ系だ。
「レネ・ククラ! 同じ子爵だよ、よろしくね! ボクは甘口がいいな」
「アリス・ノルチェフと申します。よろしくお願いいたします」
待って、これ9人分するの? もう名前忘れそうなんだけど。騎士たちも9回もわたしの名前聞きたくないと思う。
しかし、ここで働き始めて、これが初めての正式な自己紹介になる。自己紹介は大事だ。働いて二週間たってるけど。
愛想笑いと、あまりうまくないお辞儀を9回繰り返した結果、騎士たちの名前と好みが手に入った。
一番年上(おそらく20代後半)のムキムキ厳つめの顔をした騎士が、もごもごと「甘口」と言ったとき、思っていた以上にうまくやっていけるかも、と思った。