知らぬ過去
久しぶりに学校へ行くと、キャロラインにとても心配された。
お茶会のあとから来なくなったから、何かあったのかと不安だったらしい。
「少し体調を崩して休んでいただけよ。キャロラインは関係なくってよ」
「それならいいんだけど……またお茶会にご招待してもいいかしら? あれから侍従がとても張り切って、毎日お菓子を作っているのよ」
「あら、嬉しいわ。とてもおいしかったもの。いただいたお菓子も、すぐに食べきってしまったの」
「伝えるわ。きっと喜ぶわよ。あれからずっとティアンネ様の話しかしないんだもの」
「わたくしは事実を伝えただけだわ。お菓子作りを許して推奨したキャロラインのほうが、よっぽど素敵じゃない」
「そうよねえ。それなのに、ティアンネ様ティアンネ様って、あれはもう」
キャロラインは、ちろりと視線を動かしてから、口をつぐんだ。
「よければ、またお菓子をお贈りしてもいい?」
「まあ、嬉しいわ! 本当においしかったもの!」
いただいたお菓子は、エドガルドと半分こして食べてしまった。
「じゃあ、今度差し上げるわ。これ以上食べたら、太ってしまうもの」
キャロラインと和やかに話ながら授業を受け、終わるとマリナの研究室に顔を出した。
トールとふたりで、仲良く頑張っているらしい。
「まだ満足いくものができてないんだす! おら、本当は跡継ぎの勉強もしなきゃなんねえんですが、そっちはさっぱりで……。やっぱり、妹に跡継ぎを任せたほうがいいんだか……あっ申し訳ない、こんな話はおいといて! トールが手伝ってくれるおかげで、早く進んどります。トールは、浮いとるおらにも話しかけてくれて、その……感謝してるんだす」
ほんのりと頬を染めるマリナを、思わず凝視してしまった。
これは恋の予感……! あのトールに!
「……ちなみにだけど、トールと毎日なんのお話をしているの?」
「ティアンネ様と、トールの姉上のお話だす! とっても楽しいんだす!」
「……そう」
トールとマリナは、意外に相性がいいのかもしれない。
久しぶりの学校を終えて寮へ戻ると、みんなはそれぞれ動き始めた。わたしだけあまり役に立てていないようで、申し訳ない。
せめて何かしようと、いろんなところにある自動掃除機のボタンを押して回っていると、ドアが開いてロアさまが出てきた。
少し顔色が悪い。
「ロアさま、何かありましたか? まさか、前陛下になにか……?」
さっきキャロラインに、前陛下の体調が悪そうだと聞いたのだ。定期的に流れる噂らしいけど、真偽はわからない。
「お茶でも淹れますね。座っていてください」
誰もいなくて静かな部屋で、ロアさまがソファに座る気配だけが動いている。
お茶を淹れるとはいえ、わたしがするのは調理器くんに任せるだけだ。ブラックコーヒーを手に戻ると、ロアさまはうなだれていた。
「……前陛下は、健やかでいらっしゃる。大丈夫だ」
「それならよかったです」
「相も変わらず、離宮へ閉じこもっておられるよ」
どこか責めるような声は、ロアさまらしくなくて違和感がある。
「アリスはあまり知らないのだったな」
「はい。前陛下は、非常に愛していた皇后が崩御されてから、離宮におられることくらいしか」
「そうだ、前陛下はずっとそこにいる。妻の遺品をひとつ残らずかき集めて離宮に持ち込み、ずっと出てこられない。その離宮は、罪を犯した王族を閉じ込めておくための場所だった。臣下が反対したにも関わらず、前陛下はその離宮を熱望したらしい。行き来するための出入口を、陛下しか知らないからだ」
「それは……なぜそこを望んだのでしょうか」
「憶測にすぎないが……ただ、誰も入れたくないのだと、思う。自分たちの愛の巣に、不必要なものを一切持ち込みたくなかったのだと」
ロアさまは、自嘲のような笑みを漏らした。
「前陛下は、遺品すべてを持ち込んだ。服飾はもちろん、ベッドや食器も、肖像画さえ。……子である陛下たちに、かろうじて残されたのは、母からの数通の手紙のみだったらしい」
「そんな……!」
「それすらも、存在を知られれば取り上げられただろう。機転を利かせた者たちのおかげで、それらは残された。陛下の命で新たな肖像画は描かれたが、堂々と飾るわけにもいかず、目立たぬ場所にある」
語るロアさまがあまりに辛そうで、どう声をかけていいかわからない。
「……すまない。アリスには関係のないことを話してしまった」
「いえ。いいえ!」
ぎゅっとロアさまの手を握る。
「ロアさまは、いつだってわたしを励ましてくれました。話を聞いてくれました。わたしはたいして力になれないでしょうが、ロアさまが弱音を吐きたい時には聞きます。聞かれたくないけど誰かに話したいのならば、耳栓をして聞きます!」
ちょっと驚いた顔をしたロアさまは、気が抜けたように笑った。
「……耳栓か。その発想はなかった」
勢いあまって、ロアさまの大きな手に重ねていた手が、優しく包まれた。
「……アリスに、聞いてほしいことがある」