言えないや
熱が高いようで、唇がかさついている。発汗していないから、まだ熱が上がるかもしれない。
ロアさまが部屋に入ってきて、クリスが布団をかけなおしてくれた。
「レディの部屋に入ってすまない」
「いえ……お見苦しいものを見せて、申し訳ありません」
「見苦しくなんかない。アリスが熱で苦しむ姿を見るくらいなら、私が代わりたいくらいだ」
「ふふ……そうしたら、みんな大慌てでしょうね」
ロアさまが体調を崩したら、大騒ぎになりそうだ。
「女子寮の侍医を呼びたいが、直接ふれられると、変身の魔道具を使っていることが露見しやすい。呼ぶのはもう少し様子を見てからにしようと思う。熱が出ているのにすまない……」
「これくらいの熱が出たことは何度もあるので、大丈夫ですよ。抱えられてここへ来たわたしが一番に熱を出してしまって、情けないです」
「女性の体力が少ないことを、もっと頭に入れておくべきだった。ここに着いてから、休みなく働かせてしまった……」
ゆるくまとめている髪は乱れているだろうし、顔は見られたものじゃないから、あんまり見ないでほしい。なにより、近付くとうつるかもしれない。
クリスを見ると、軽く頷いてくれた。
「それ以上近付くとうつる恐れがあります。どうぞ、御身を一番にお考えください」
「……そうだな」
ぐっと唇を噛んだロアさまは、数歩下がった。
すっかり凛々しくなってしまったロアさまは、そんな表情もよく似合う。
「なにか、欲しいものはないか? ここへ部外者を入れるわけにはいかないから、侍女は無理だが……」
「……アイスが食べたいです。とびきりおいしいバニラアイス。あとスイカ」
目を見開いたロアさまは、どこか安心したため息をついた。
「食欲があるのなら大丈夫だな。一番に食べ物をあげるのがアリスらしい」
「……もしかして、食いしん坊キャラだと思ってます?」
「アリスのままで嬉しいという意味だ」
「わたしだって、そんなにご飯のことばっかり考えているわけじゃないですよ。きちんと他のことも考えています」
そのせいで熱が出てしまったかもしれないけど。
ぼうっと頭が回らないまま、子供のように拗ねた声を出してしまったのに、ロアさまは咎めなかった。
「……本当にロアさまは格好よくなってしまいましたね……」
「よほど残念なんだな」
ロアさまは、歯を見せて笑った。歯の白さだけは、出会った頃と変わらない。
「ゆっくり休むといい。誰かひとりは残すから、何かあればベルを鳴らしてくれ。大丈夫だなどと思わず、何かするときは必ず呼ぶように」
幼子に言い聞かせるような声に頷いた。
「お嬢様のお着替えや湯あみだけは手伝えません。一番人手がいるというのに、申し訳ございません」
「クリスは男でしたね。それは一人でできる程度の熱ですから、お気遣いなく」
「お心遣い、痛み入ります。さっそくアイスと薬を持ってまいります」
二人が去ってしまった部屋は、一気に寒々しくなってしまった。
家族がいない時に熱が出るのは初めてで、どうしても心細くなってしまう。
……熱は嫌だ。思い出したくないことが悪夢となって襲いかかってくる。
「お待たせいたしました。アイスクリームとお薬です。お着替えはなさいますか?」
「ありがとうございます。着替えるのは、起きてからにします」
クリスが持ってきてくれたアイスと薬を飲んで横になると、すぐに眠ってしまった。
次に目を覚ますと、夜明け前だった。カーテンの下からうっすらと、朝特有の白い光が漏れ出ている。
薬がよく効いたようで、熱はやや下がっていた。たぶん微熱がある程度だろう。
用意してあったお湯とタオルで体をふいて、服を着替える。顔を洗ってさっぱりしてからベルを鳴らした。
こんな時間に誰かがいるとは思わなかったけど、すぐにノックされた。
「アリス、ボクだよ。起きたの? 入っていい?」
「どうぞレネ様」
心配そうな顔をしたレネは、わたしの顔を見て、すこし安心したようだった。
「窓を開けたいんですけど、開けてもいいんですか?」
「防犯のために開けないほうがいい。常に換気されているから、そこらへんは心配しないで。アリス、具合はどう? 熱は?」
「微熱になったし、だいぶよくなりました。薬を飲んだほうがいいかわからなかったので呼んでしまいました。朝早くからすみません」
「アリスは病人なんだから、そういうのは気にしないで甘えるのが仕事なの! 薬は飲んでいい時間だから、持ってくるね。何が食べたい? アイス?」
甘えていいと言われて、少しだけわがままを言ってみることにした。
「……バニラと、チョコと、ストロベリーのアイスが食べたいです……」
「オッケー、任せておいて。固形物はまだ難しい?」
「今はあんまり……あ、スイカを食べ損ねたのでスイカが食べたいです」
「ああ、クリスが買ってきてたよ。じゃあまず、スイカから食べよっか」
レネが持ってきてくれたスイカは、一口サイズに切ってあった。スイカを頬張ると、瑞々しさと爽やかな甘さが口いっぱいに広がる。
「アリスが言ってた下ごしらえくんに任せたんだけど、あれすごいね。スイカもすぐに切ってくれたよ」
「下ごしらえくんはすごいんです!」
「しかも、種まで取ってくれたんだよ! すごいよね! 姉さんに贈ろうかなぁ」
「喜ぶと思います!」
下ごしらえくんが褒められて嬉しい。一緒にスイカをつまみながら、レネは優しく微笑んだ。
「よかった、元気になったね」
「……ご迷惑をおかけしてすみません」
「いいって。アリスの体力を、鍛えてるボクたちと同じに考えたのが悪かったんだ。前提からして違うんだから、こっちのミス! アリスは毎日頑張ってるよ。それだけはみんな認めてるんだから、覚えておいて」
「……はい」
レネの言葉は、いつも力強くて、わたしが喜ぶ言葉をくれる。
「アリスは怒れないだろうから、ボクはエドガルドを叱っておいたからね!」
エドガルドの名前が出てきて、どきりとする。レネがどこまで知っているのか、わたしは知らない。
「エドガルドは律儀っていうか融通が利かないっていうか……まあ、色々あって、アリスに告白したのは聞いてる」
「……わたし、一生熱が出ます。絶対に」
「勝手に聞いて悪かったと思ってる。抜け駆けみたいだから、言わずにはいられなかったんだろうね。エドガルドは、隠し事や駆け引きみたいなのは、無理な性格なだけ。アリスのことをないがしろにしたわけじゃない」
レネは慰めるように続けた。
「アリスに聞かずに言ったのは駄目だけど、エドガルドも恋に振り回されてるんだと思うよ。自分の気持ちでいっぱいになっちゃって、アリスのことを深く考えられない。青くて可愛い恋だよね」
「……なんだか、エドガルド様より年上みたいですね」
「弱ってるアリスにボクから言えるのは、たったひとつ」
レネは真剣な顔をして、強いまなざしでわたしを見つめた。レネは、いつだって真っ直ぐだ。
「いざとなったら、ボクの領地においで。田舎だけど、そのぶんのびのびしてる。アリスが店を出したって、誰もなんにも言わないよ。姉さんもアリスを気に入ってるから、手助けしてくれる。アリスだって、いざとなればボクの領地に来るかもって言ってたでしょ?」
「……はい」
「本当に、いざとなったらだけど。一つの選択肢として覚えておいて。ボクは……今のアリスには、何も言えそうにないや」
儚げに微笑むのは、レネらしくなかった。
「アイスを食べたら薬の時間だよ。眠れそう?」
「いえ……あっ、こんなに近付いたらうつるかもしれないので、離れていてください。ひとりで本でも読んでいます」
「じゃあ、適当なレシピ本持ってくるね。何かあったら、すぐにベルを鳴らすこと!」
「はい」
わたしより二つ年下なのに、とても頼もしいレネを見送る。
静寂が押し寄せてから、アイスを一口食べた。熱が出るのはつらいけど、こんな時に食べるアイスは格段においしい。