混乱と発熱
気だるい眠りから起きると、もう夕方だった。手紙を書いてからすぐに休んだので、それなりに寝てしまったようだ。
頭と体がぼうっとする。本当に疲れがたまっていたのかもしれない。
枕元に置いてあった水差しで水分補給をして、ベルを鳴らす。すぐにドアがノックされた。
「アリス、起きたのか?」
ロルフの声だった。返事をしようとして、喉がかすれて咳が出る。
「アリス!? 悪いが入るよ」
大股で入ってきたロルフは、控えめにわたしの背をさすり、お茶を差し出してくれた。
「す、みません……大したことはないんです。クリスは?」
「今いるのは俺だけだ。体調はどうだ?」
「寝不足なだけですから、かなりよくなりました。起きたことを知らせようと思っただけなので、ロルフ様はどうぞ自分のことをしてください」
「俺の今の仕事は、アリスの護衛だ。何か持ってこようか?」
ぐう、とお腹が鳴る。
ワンピースのまま寝てしまったので、しわくちゃな服を晒すのは勇気がいるけど、空腹には勝てない。
「キッチンに行きたいです」
「俺が作って来るよ。これでもそれなりに作れるんだ。アリスは知ってるだろ?」
「そうでしたね。では、調理器くんで、雑炊を作ってきてくれませんか? ボタンを押すだけなので、すぐに出来ると思います」
「わかった。ちょっと待っていてくれ」
ご飯を作りに行ったと思っていたのに、ロルフはすぐに帰ってきた。
「お湯とタオルだ。いらないなら、そこらへんに置いておけば後で片付ける。雑炊が出来たらノックするから、ゆっくりしていてくれ」
「あ、ありがとうございます」
ロルフの気遣いは、相変わらず細やかだ。
念のためドアにカギをかけてから、ワンピースを脱いで汗ばんだ体をぬぐっていく。身に着けるものを変えると、さっぱりした。
ゆるく髪を編んで結んで、タオルとお湯を片付けると、ちょうどロルフがドアをノックした。
「お待たせ、アリス。さ、ベッドに座って」
枕がどけられて、大きなクッションが何個も置かれる。それを背もたれにしてベッドに座ると、ベッドテーブルがセットされた。
「熱いからゆっくり食べてくれ」
お皿に乗った雑炊が、おいしそうな湯気をたてている。
ロルフはスプーンを取り、少しだけ雑炊をのせると、笑顔でそれを差し出してきた。
「自分で食べられます」
「体調不良ってだけじゃ納得できないなら、お嬢様の特訓ってことにしてくれ。アリスは気付いていないかもしれないが、いつもより動きが鈍いし、重心がずれている。今日は休んだほうがいい」
真剣な顔で諭されると、こちらが駄々をこねている気持ちになる。
「あんまり遅いと、雑炊をふうふうするぞ」
「食べます」
口を開けると、少し冷めた雑炊が口に入った。まだ熱いけど、雑炊はそれがおいしい。
刻んだ野菜と出汁が、柔らかいお米と混ざって、胃に落ちていく。ふうふうと冷ましながら雑炊を食べていると、鳥のヒナになったような気分だ。
食べながら、ロルフの様子をうかがう。エドガルドは、告白したことをロルフに話したと言っていた。それが筋だから、と。
何がどうなって筋を通す話になったのかさっぱりわからないけど、このことをロルフが知っているのは確かだ。
「ロルフ様。エドガルド様のことなんですが……」
「ああ、想いを告げたことか? エドガルドから聞いたよ。あいつは律儀だから」
ふっと笑い、ロルフはスプーンを置いた。
「エドガルド様の気持ちをないがしろにするわけじゃありませんが、第四騎士団にはわたししか女性がいなかったでしょう? だから乱心した可能性が捨てきれなくて」
「エドガルドには、綺麗な女性と接する機会がたくさんあった。それでなお、アリスに恋したのさ」
「そ、うですか……」
乱心の可能性がさらに低くなってしまった。
「アリスには悪いが、もうしばらくエドガルドへの返答を待ってほしい。誰だって、レディの心を射止める機会はほしいものさ」
「わたしが綺麗で身分が高かったら素直に受け止めますが、わたしですよ? 平凡で、特に変わったところもない、ただの子爵家の娘です」
「アリスは十分変わっていると思うが、まあ、そういうことにしておこう」
おかしそうに笑うロルフをじっとりと見るが、笑いがおさまる気配はない。
「エドガルドがアリスに惚れたのもわかるよ。俺も好きだから」
あまりにさらっと、普通の顔で言われたので、反応が遅れてしまった。
「……ありがとうございます。わたしもロルフ様を好ましく思っていますよ」
「おっ、じゃあ恋人になれるのか?」
「そういう意味で言ったわけじゃないでしょう?」
「そういう意味だ」
あくまで普通の顔で、ロルフは続けた。
「俺はエドガルドほど立派な理由で惚れたんじゃない。アリスと過ごす日々の中で、ただアリスに惹かれていったんだ。だからアリスは、返事をしなくていい。俺の一方的な想いだから」
「……ええと……冗談ではなく?」
「冗談じゃない。ただ、アリスの心の片隅の俺を置いてくれれば、これ以上の幸せはないけどな」
……頭の内側が、激しく渦巻いているようだ。
突然のモテ期。なんだこれは。みんな頭がどうかしてしまった可能性がある。
「お、落ち着いて、よく考えてください。どうしてわたしなんですか? ロルフ様のまわりには、美男美女がいるのに!」
「理由がわかれば、よかったのかもな」
自嘲気味に片頬を上げ、ロルフはお皿を持った。
「エドガルドに続いて混乱させて、悪いとは思ってる。だけど、もう、今しかないのをわかってほしい」
「……どういう意味ですか?」
「学校への潜入はいつか終わる。その時にはダイソンも捕らえられているはずだ。アリスは勲章をもらう可能性があるし、もらわなくても脚光を浴びる。王族の覚えめでたい、婚約者もいない未婚の令嬢はどうなると思う? 断り切れない縁談がくる。絶対にだ」
「そ、そんな……」
「そんな時、アリスのことを知っていて、守れるのはここにいる人間だ。結婚したくないアリスに無理強いはしたくないが、エドガルドも俺も、そういう思惑からアリスを守りたい。告白したのは、そうなった時に思い出してほしいという意味もある」
寂し気に目を細めたのに、ロルフの笑顔は、不自然なほどにいつものままだった。
「ご大層なことを言ったが、まあ、一番の理由は簡単なことだ。自分の想いを伝えて、同じように想いを返してほしい。それだけだ」
「……いきなりで混乱しています」
「ははっ、だろうな!」
ロルフの笑顔が痛い。どうしてそんなに傷を抱えた痛々しい目で、笑顔を作れるんだろう。
「お願いだ、アリス、同情で返事をしないでくれ。それはお互いに不幸になる。俺たちは気持ちを伝えた。断られる覚悟もしている。アリスは、自分の気持ちのままに進んでくれ」
お皿を持って静かに出ていったロルフにかける言葉は、どんなに考えても見つからなかった。
そしてその晩、熱を出して寝込んだ。