夜の証
その日は、トールと久しぶりにたっぷりと話して、一緒にご飯を食べることにした。
「久しぶりに姉さまのご飯が食べたいんです……!」
とうるうる見つめられて、張り切って作ってしまった。予定通りのフライドチキンと野菜たっぷり塩ラーメンだったけど、トールは喜んでくれた。
「少し離れていただけで、姉さまは素晴らしい料理を作ったんですね。すごいなぁ、さすが姉さまです!」
「ありがとう、トール。家で麺を作るのは難しいから、どこかで探してみようね」
パンが主食なので、麺や米はあまり見かけない。そして、パンよりちょっとお高いのだ。
「ラーメンを作る時、僕もお手伝いしますね。姉さまを守るのは僕ですから!」
可愛い! けなげ! そしてシスコンの気配!
「ありがとう、トール。仲のいい女の子はいないの?」
「いないです。……あ、マリナとはこれからもっと仲良くなって、一緒に姉さまを助けますね」
うーん、そういうことじゃない。
でも、久しぶりに会って、ぴったり隙間なくくっつきながらご飯を食べるトールに言うのは、今じゃない気がする。
デザートまで食べたトールは、帰りたくないと可愛らしく言っていた。だけど、自分でも帰らなきゃいけないとわかっていたのだろう。
何度も何度もわたしを抱きしめてから、クリスに連れられて帰っていった。
今までトールは、毎晩きちんと部屋に帰るいい子だったから、同室の子に疑われてしまう。トールは二人部屋なのだ。
そして同じ部屋にいるのは、昔からのトールの友人。トールが何かするのはわたし絡みだとよく知っているので、いつもと違う行動をすれば疑われてしまうかもしれない。
たくさん喋って疲れてしまったので、みんなにもう一度トールでのことを謝ってから、早々に寝てしまうことにした。
トールのことを一番知っているのはわたしなのに、シスコンの異常性については見誤っていた。
「まさか歩くだけで、あんなに確信を持ってわたしだと言うなんてなあ……」
学校で、少しでも何か掴んで、ロアさま達にお返ししなくちゃ。
ベッドに寝転んで、それからすぐに寝てしまった。
不意にぱっちりと目が覚めた。周囲は暗く、夜の気配がする。
どうして起きたかわからないままベッドの中で寝返りを打つが、寝られる気配はない。
「いつもより早く寝ちゃったからかな……」
起き上がって水を飲むと、余計に頭がさえてしまった。小腹も空いてきたので、キッチンに行くことにした。
デイドレスの中でも質素な、薔薇色の可愛いワンピースを身に着ける。髪は簡単にひとくくりにした。最近はクリスが編み込んだりハーフアップにして凝った髪型にしてくれるから、こういうのは久しぶりだ。
そうっとドアを開けてみると、真っ暗で誰もいなかった。いつもは誰かしらいるソファーが、ひっそりと暗闇に佇んでいる。
泥棒のようにこそこそとキッチンへ続くドアを開けると、真っ暗な中で何かが動いた。
まさか、刺客!?
「ぎゃ……きゃあ……!」
ご令嬢らしく悲鳴を上げようとした口が押えられる。
「僕です。エドガルドです」
こわごわと顔を上げると、確かにエドガルドがいた。そっと手を離される。
「怖がらせてしまって、申し訳ありません」
ばくばくとうるさい心臓を押さえながら頷く。
「いえ……」
「本当に、申し訳ありません……。刺客かと思って手を伸ばしたところで、アリス嬢だと気付いたのです」
しゅんとするエドガルドは、犬だったら耳が垂れているに違いない。
「わたしこそ、普通に来ればよかったです。ちょっと小腹が空いてしまってキッチンへ来たんですが、クリスに見つかったら怒られると思って」
連日フライドチキンの試食をするのは太ると思って、夜ご飯を減らしたのがまずかった。
「僕もです」
エドガルドが、ふわりと微笑んだ。
「お腹が空いてしまって、夜食を食べていたんです」
エドガルドの手には、今日作ったジンジャークッキーがあった。
「焼き立てもおいしいですが、冷めてもおいしいですね」
「よかったです。エドガルド様のために作ったものなので、たくさん食べてくださいね」
甘いものをそんなに食べないロアさまやロルフには、ジンジャーやスパイスをたくさん入れた、甘さ控えめのものを作った。
エドガルド用のものは、蜂蜜をたっぷり入れて甘くした。わたしやクリスもつまむので、数日は持つようにたくさん作ったのだけど、思ったより早くなくなりそうだ。
レネとアーサーはお菓子よりがっつり食べたい派なので、ここへ帰ってきたときにすぐに食べられるよう、具がたっぷりのおにぎりやピザを作って冷凍してある。
「ホットミルクでも作りましょうか」
下ごしらえくんに頼んで、ホットミルクを二人分作ってもらう。
キッチンに椅子はないので、二人で立ったまま壁にもたれて、あたたかいミルクと、スパイスのきいたクッキーを楽しむ。
「なんだか、あの日みたいですね。僕が夜食のサンドイッチを取りに行って、アリス嬢に見つかった、あの日」
見つからないように、近い位置でひそひそと話す。悪いことをしているみたいで、ちょっとわくわくする。
「ふふっ、確かに。噛んでしまった手は、傷が残ったりしませんでしたか?」
「ええ。残ってもよかったんですが」
「そんな傷が残ったら、エドガルド様の奥さんに恨まれるじゃないですか」
刃傷沙汰やドロドロの昼ドラは勘弁してほしい。
エドガルドが、静かにカップを置いた。
「アリス嬢。あなたがそんな感情で僕を見ていないことは、さすがにわかっています」
……顔、が。
エドガルドの顔が、なんだか、いつもと違う。熱っぽい視線を向けられて、どうすればいいいかわからずにうろたえる。
「どうか、僕を異性として意識してくださいませんか。異性に傷つけられたアリス嬢に、酷なお願いをしているのはわかっています。アリス嬢の心の傷が癒えるのを待つべきでしょう」
「……待って、待ってください」
これ以上聞けば、勘違いでしたとか、気付きませんでしたじゃ誤魔化せなくなる。
「あなたは僕をエドガルド・バルカではなく、エドガルドとして見てくれた。それがどれだけ嬉しかったか……。僕はアリス嬢よりも年下です。でも、たった一歳の違いだ。そのたった一年で、あなたは僕を庇護すべき対象とし、弟のようだと思ってしまう。そのおかげで、緊張せずに話してくれるのは嬉しい。でも僕は……」
エドガルドの大きな手がそっと伸びてきて、頬が包み込まれた。
「……あなたをエスコートできなかった時も、ドレスを贈れなかった時も……ここへ、逃げてきた時も。僕はいつも見ることしかできなかった」
体も頭も、凍りついたように動かない。
「……好きです、アリス。どうか、あなたの心を、僕に向けてください」
宝物のように手を取られ、エドガルドが手に唇をよせる。
残ったのは、やけに熱い手の甲の、忘れられない夜の証だった。