シスコンの本気
「姉さまがこんなところにいるなんて、思ってもいなかったです」
「姉? こちらは私のご主人様である、ティアンネ様です。あなたとは関係ありません」
クリスがやや棘のある声で言う。美人がすごむのは迫力があるが、トールは引かないまま笑顔だ。
「いいえ、姉さまです。僕は姉さまを絶対に見間違えません。あなた方こそ、なぜ姉さまと一緒にいるのですか? 姉さまの姿を変えて、何を企んでいるんです? 僕は、姉さまの敵を、絶対に、許しません」
一触即発。
バチバチと火花が散り、視線でアーサーに助けを求めた。アーサーがかがみ、耳元で低く囁く。耳がくすぐったい。
「あなたの弟君ですよね?」
「はい。どうして見破られたかはわかりませんが、トールはこのまま引き下がらないと思います」
「そうですか……」
アーサーが思案顔をすると同時に、トールが駆け寄ってきた。
「姉さまにみだりに近付かないでください!」
トールにぎゅっと抱きしめられ、アーサーから離される。少し会わない間に、また背が伸びたようだ。
「姉さま、大丈夫ですか? 男の人とこんなに近付いて、気持ち悪くなっていませんか?」
心配してくれるのは嬉しいけど、どう答えればいいかわからない。ティアンネとして接するべきなんだろうけど、声を出したらすぐバレる。
アーサーが、ふうっと息を吐き出した。
「ここでそれ以上騒ぐと、君が大切にしている人に迷惑をかけることになる。場所を変えよう」
アーサーを先頭に、人気のない道を選んで女子寮の近くまで行く。途中から先に行っていたクリスが、侍従の服を持ってきて、トールに渡した。
「ここで着替えてください。今なら人の気配はありません」
ここ、外ですけど!?
「わかりました。姉さまのためなら」
トールは近くの茂みへ行き、静かに着替えた。トールが侍従の服を着て戻ると、クリスが魔石を渡す。
「これに魔力を流してください。魔力登録をしていない者は、寮へ入れませんので」
そういえば、わたしも魔石に魔力を流したっけ。
女子寮へ繋がる地下は抜け道だから、そこだけは登録していない人も入れるんだと聞いた。
ロアさまとアーサーは、潜伏するならここが第一候補だったから、事前に登録しておいたんだとか。
「では、私は先に魔石を渡して登録してもらってきます」
「頼む」
クリスが行ってしばらくして、アーサーを先頭に女子寮へ戻った。階段をのぼり、部屋へ入って鍵を閉めると、ようやく呼吸が出来た気がした。
部屋には全員いて、突然のトールに驚いている。アーサーが頭を下げた。
「独断で連れてきてしまい、申し訳ございません。レディの弟君に気付かれました」
ロアさまが厳しい顔をする。
「どうして気付かれたかわからず、また、引かずにレディが姉だと話すため、こちらへ連れてまいりました」
「どうして姉さまが違う人になって、学校にいるんですか? 姉さまを利用するのなら、僕は許しません!」
ロアさまとトールがにらみ合う。
しばらくして、視線を先に外したのはロアさまだった。
「……どうして、その人を姉だと思った?」
「どうしてって……見ればわかるじゃないですか」
変身の魔道具が作動していて、今は別人に見えているはずなのに。
「姉さまは、僕の前で歩きました。それを見ればわかります。確かに前とは違いますけど、姉さまですから」
「ティアンネ様は、発言しておりません。すぐに私がティアンネ様を背に隠しましたが、小さな部屋から出るまでの間に気付かれました」
アーサーの言葉に、ロアさまはゆるく頭を振った。
「……君は、歩く姿だけで気付いたと?」
「もちろんです」
「他に気付く人は?」
「いないと思います」
「……わかった。他言無用だ。もしそうなれば、君の大好きな姉が危険な目に遭う」
「はい!」
「皆様、申し訳ありません。まさかトールがこんなことで気付くなんて……」
「この中の誰も想定していなかったことだ。予想外だが、下級貴族の味方が増えることは喜ばしい」
ロアさまはこう言ってくれているけれど、やっぱり申し訳ない。
「久々に会うのだろう? しばし魔道具を外して語らうといい」
「……はい」
「みなの紹介と説明をする。全員、魔道具を外してくれ」
魔道具を外すと、トールが涙ぐんだ。
「姉さま……! 母さまが突然いなくなって、姉さまも帰ってこないと告げられ、父さまは違う部署に行って出世してしまって帰れなくなって、僕……!」
「トール……! 心配させてごめんね!」
ぎゅうっと抱きしめると、トールも抱きしめ返してくれた。わずかに震える手が、トールがどれだけ心細かったのか伝わってくる。
「まずはみな、ソファにかけてくれ。話をしよう」
わたしに抱きついたまま説明を聞いたトールは、驚きながらもどこか納得したようだった。
「姉さまは素晴らしい人ですから、仲良くしてしまうのは当然です。それで巻き込まれてしまったのはそちらの責任ですが、姉さまは魅力があふれているので仕方ないこともあるかと」
「トールお願い、やめて」
「そうだな。アリスは素晴らしい人間だ」
「お待ちください、なぜ姉さまの名を呼んでいるんですか」
「ノルチェフ嬢と呼んでいたが、とっさにノルチェフの名を呼んでしまうと特定されてしまう。まだ誤魔化せる名前で呼ばせてもらっている」
「仕方ありませんね。姉さま、気持ち悪くないですか?」
「大丈夫だからやめてトールお願い」
ここにいるのは、トールの暴走を許してくれていた友人ではないのだ。
「アリス、構わない。最愛の姉が突然消えたあとの再会なのだから、興奮もするだろう」
「ロアさま……ありがとうございます。でも、きちんとしないと」
抱きつくトールを引きはがして向き合う。
「トール、この部屋にいるのは尊敬すべき人たちよ。足手まといのわたしのことを背負ってここまで連れてきてくれたの。トールがわたしのことを心配してくれているのも、男性が苦手だから気遣ってくれているのもわかるわ。でも、不敬なことをしちゃだめ」
「……姉さま、男の人が苦手じゃなくなったんですか?」
「苦手よ。でも、この部屋にいる人は苦手じゃないの」
「もう、姉さまの一番は僕じゃなくなってしまったんですか……?」
うるうると上目遣いで見られる。
「トールが一番よ! 決まっているじゃない!」
「……わかりました。姉さまが脅されて嫌なことをさせられているんじゃないかって、不安だったんです。皆様、申し訳ございませんでした」
トールが深く頭を下げるのを、みんな笑って許してくれた。建国祭でトールの襲撃を受けて、なお許してくれるエドガルドの懐が広すぎる。
「僕、姉さまのために手伝います! そうしたら姉さまはお家に帰ってきますよね。そうしたら、ずっと一緒にいましょうね!」
「トール、気になる子はいないの?」
「いません!」
「マリナに会いに行ったんじゃないの?」
「姉さまのために、化粧品と調味料の開発を手伝っていたんです。カレー粉も、あそこで作ったんですよ!」
「そうだったのね。ありがとう、トールのおかげでおいしいものが作れたわ」
「あとは、彼女が少し姉さまに似ているので手伝っていただけです。ほら、姉さまも思っていることがすぐ顔に出るでしょう? それに、彼女も異性が苦手なんです。料理に関することをしているのも、家族が好きなところも姉さまみたいです!」
トールの世界は、わたしに似ている人であふれているのかもしれない。
わたしがうじゃうじゃいるのを想像したらちょっと怖かったので、考えるのはやめておいた。