ジャンル:ホラー
今日はマリナのところへ、ハーブソルトの代金を持っていく日だ。わたしが持っているお金で支払えるのに、みんなはそれを良しとしなかった。
「みんなが食べる料理に使われる調味料なのに、アリスがひとりで支払うのはおかしいと思う」
ロアさまの言うことは、もっともだった。逃亡生活を送る上でのお金から出すことになり、ほかの物も購入していいと言われたので、足取りも軽い。
マリナは他にも作っているものがありそうだったから、色々と試すのが楽しみだ。
マリナが学校に借りている一室を、アーサーがノックする。
「はぁい!」
元気のいい声が聞こえ、勢いよくドアが開けられる。
「あんれえ、ティアンネ様! ようこそお越しくださいました! どうじょ!」
慌てすぎて噛んでいることには触れずに、中へ入る。ハーブや香草が入り混じった、独特な香りがする。
「椅子に座ってお待ちくだせぇ! 今からお茶を淹れますだ! 今! すぐに!」
「慌てて火傷しては駄目よ」
「へえ!」
「落ち着いてね!」
「へえす!!」
「お嬢様、私が淹れてまいります」
クリスが申し出てくれたのに、正直ほっとした。マリナの手は震えていて、さっきから「あぁっ!」「痛っ!」という声がひっきりなしに聞こえてくる。
「頼むわね」
「かしこまりました」
クリスに促され、マリナがしょんぼりとやってくる。
「申し訳ございませんだ、おらが下手なせいで……」
「下手なのではないわ。わたくしがお前と話せるよう、代わってもらったの。待っている時間がもったいないじゃない」
「そっそれは気付きませんで! ははぁ~!」
椅子に座っているのに平伏しようとするマリナを、慌てて止める。
「時間がもったいないと言ったじゃないの。わたくしが話すから普通にしなさい」
「へえ!」
「あなたのハーブソルト、おいしかったわ。使いきれば購入するから、そのつもりでいなさい」
「ほっ、本当だすか!?」
「ええ。他の物もあれば、ぜひ購入したいわ。それと、今日はお願いがあって来たのよ」
アーサーに合図して、持ってきていた箱を開く。
ふんわりと揚げ物のいい香りが漂ってきて、マリナのお腹がなった。
「フライドチキンよ。あなたのハーブソルトに、いくつかのスパイスと小麦粉を混ぜて揚げたの。これでもとてもおいしいけれど、あなたなら、もっと合うものが作れるのではなくて?」
フライドチキンとは言っても、骨回りの肉ではなく、モモ肉で作ったものだ。骨のまわりの肉にかじりつくのがおいしいと思うんだけど、さすがにそれは出来なかった。
「食べてもいいんだすか?」
「ええ、もちろん。食べてみて」
みんなにも好評で、もう一度作ってほしいと言われている。このままだと、夕食がラーメンとフライドチキンになってしまう。
ジャンクなものはおいしいけれど、みんなの栄養を管理しているクリスの目が怖い。
ラーメンの上に山盛りの野菜炒めをのせることで納得させたけど、こんな食事が続くとクリスの雷が落ちそうだ。
「おっ、おいしい! おいしいですだ!」
「でしょう?」
色々と試しながら作ったからね。
「にんにくと……ほんのりと隠し味程度のショウガ……ブイヨン?」
「ええ、色々なものを粉末状にして、小麦粉と合わせたの」
下ごしらえくんと調理器くんが。
「あなたは手作業でしなければならないから、こちらで粉末にした色々なものを持って来たわ。他にもほしいのなら言ってちょうだい。作ったものは、好きに売ればいいわ。もちろん、わたくしの取り分はいただくけれど」
「おら……おら、いいんだすか!? これは売れます! おら、売る才能がないんで、妹に相談することになるけど、おら……!」
「いいのよ。おいしいは正義よ。わたくしがほしいものをお前に作らせているのだから、怒ってもいいのよ」
「怒る!? まさか! ありがとうございますだ!」
勢いよく、ぶんっと頭を下げたマリナのおさげが空を舞う。
「化粧品のほうは、気にかけてくれてる人に頼んでみますだ。その人は、お姉さんのために作りたいと言って、何度もここへ来とるんだす」
「そちらも、成果があるといいわね」
「へえ! 出来上がったら、ティアンネ様のところへ持っていきますだ!」
「……あなた、料理は出来るの?」
「人に頼みます!」
自信満々に言うので、それ以上は聞かなかった。たぶん、マリナは料理しないほうがいい。
「では、また来るわ」
「へいっ喜んで! お待ちしとります!」
居酒屋のような返事に頷く。新たなスパイスを購入し、部屋を後にしようとしたところで、ノックが響いた。
アーサーがわたしの前に出る。クリスが前に出て、ドアを開けた。
「失礼いたしました。こちらが先に出てもよろしいでしょうか」
「はい。どうぞ」
クリスの言葉に、素直に道を譲ってくれたのは、まさかのトールだった。
心臓が、ドッッと不自然に脈打つ。
……ヤバい。トールだ。
パーティ会場のどこにいても、絶対にわたしを見つけ出すトールだ。
さすがに喋らなかったらバレないとは思う。たぶん。今はボディスーツも着ているから、いつものわたしの動きとは違うはずだ。
「お嬢様、どうぞ」
ドアの向こうでクリスが左右を確認し、トールとわたしの間にアーサーが入ってくれている。
……大丈夫。大丈夫だと信じたい。
ややぎこちなく歩き、部屋の外へ出る。前だけを見て、トールがいる反対方向へ向かう。
後ろで、静かにドアが閉まる音がした。
「姉さま、何をしているんですか?」
やけに落ち着いている声が、わたしの脚を停止させる。
ちょっとしたホラーの始まりだった。