ほのかに香る
「お茶会がなんとか無事に終わってよかったですね」
キャロラインの部屋から帰ってくると、一気に気が抜けた。
お茶会は大成功だった。プライベートな空間で、お互いいつもよりリラックスできたこともあり、キャロラインと仲良くなれた。
キャロラインの家は商家らしく、おいしいものもたくさん出た。キャロラインの侍従が作ったというお菓子は本当においしかった。おいしいと連呼してたので、キャロラインがお土産に包んでくれたほどだ。
「ああ。本当に……アリスのおかげだ」
ロアさまは気が抜けたように微笑んだ。並んで座ったソファに背を預けるのが珍しくて、まじまじと見てしまったけれど、ロアさまは怒らなかった。
部屋の中で、ふたりきり。第四騎士団で、夕食の後に談笑していた時のようだ。
「キャロラインは情報通だ。だからこそ、何か情報を得られればいいとティアンネに話しかけていたのだろう。アリスがキャロラインと仲良くなってくれたおかげで、少しずつだが前に進んでいる」
「お役に立ててよかったです」
「……アリスはずっと、私を助けてくれている」
こちらに顔を向けて微笑んでくれるロアさまの顔が綺麗だ。男の人は綺麗と思われるのが嫌かもしれないけど、ロアさまの顔には、今までロアさまが積み上げてきたものが現れている気がする。
そういうのをひっくるめて、綺麗だと思う。
「第四騎士団にいる時から、ずっと。暗闇の中でも光り、希望を与えてくれる。私の……」
そこで言葉を切ったロアさまが口を開くことはなかった。
ど、どうすればいいんだろう。
ロアさまは、気のせいであればいいけど少し熱っぽい視線で見つめてくる気がするし、わたしはわたしで、先に目を逸らすのは不敬な気がして、見つめ合ったままでいる。
「……ロアさまは、男前になってしまいましたね」
ロアさまは、おかしそうに笑った。
「そういえば、私が本来の姿に戻った時、アリスは残念そうだった。そんなに前の私がよかったのか?」
「あちらのほうが親しみやすかったので」
「今の私はどうだ?」
「本音を言うと、体が一回り大きくなったので、よかったと思いました。細い体でたくさん鍛錬しているのは心配でしたから」
さすがに本人に、ぼっちじゃなくてよかったねとは言えない。
「では、何か食べようか。たくさん食べなければ大きくなれないから」
「ロアさまは何歳なんですか?」
わたしより年上なのは確かだが、これ以上大きくなれる年齢なのだろうか。
「22歳だ。……ようやく聞いてくれた」
嬉しそうにロアさまが微笑んだので、黙って微笑み返しておいた。
さすがに、堂々と偽名を使ってくる人相手に、軽々と年齢は聞けない。
「今くらいは、自分で食べてもいいですよね。お茶会でいただいたお菓子はとてもおいしかったのに、食べさせられるのは恥ずかしくて、あまり味わえなかったんです」
キャロラインがお土産にと包んでくれたお菓子をテーブルに並べ、うきうきとお茶を注ぐ。
「私に食べさせることになって、ロアさまも恥ずかしかったでしょう?」
「いいや」
さすが上流貴族、世話されるのには慣れているらしい。
生クリームや飾り切りされたフルーツで彩られたロールケーキを選び、口に入れる。濃厚でありながらさっぱりした生クリームとふわふわのスポンジ、フルーツの酸味がちょうどいい。
「やっぱりおいしい。あの侍従の方、とっても上手ですね」
「ああ。どれも考え抜かれた味だ」
ふたりでお菓子を食べながら、途中でサンドイッチなどの軽食も食べる。甘いものの後にしょっぱいものは、無限ループへの入口だ。
「……あの侍従はきっと、アリスで運命が変わったひとりだろうな」
「そんな、大げさな」
「大げさではない。わが国では、女性の雇用を安定させるために、飲食関係は女性ばかりになっている。喜んでいる女性は多いと聞くが、料理が好きな男性にとっては、肩身が狭いだろう。それを解決したいが……なかなかうまくいかない。お茶会で侍従が調理したものが出ると、侮られていると激昂することが普通だ。それなのにアリスは、おいしいと、素晴らしいパティシエだと称えた。あの時の、侍従の輝いた目。……きっと、生涯アリスを忘れることはないだろう」
「それは気付きませんでしたが、キャロラインが主なら、きっとうまくいくでしょうね」
しばらく、ふたりで黙々とお菓子を食べた。ロアさまが無言なので、余計なことを言ってしまったのかと怖い。
ちらちら様子を窺っていると、ロアさまはフォークを置いた。
「アリスが悪いのではない。私が狭量なのだ」
ロアさまはようやくわたしを見て、それから目を細めた。
大きな手がそっと伸びてきて、髪をひと房手に取った。
「……アリスは、素晴らしいことをした」
「ど、どうも」
気が動転して、よくわからない返事をしてしまった。
今日のロアさまは、どこかおかしい。私をそんな目で見たり、触れたり、なんだか……ちょっと。
ロアさまが下級貴族か平民で、わたしに前世の記憶がなければ、いい雰囲気になっていたかもしれない空気に戸惑う。
だけどロアさまは上級貴族で、ダイソンに追われるほどの要人だ。一方のわたしは、ロアさまをどう思っているにせよ、絶対に結婚したくない下級貴族だ。
うまくいくはずがない。
「……少し、疲れたな。誰か戻ってくるまで休もう」
「はい」
大きくてあたたかい手が離れていく。少し名残惜しく思うのに驚いた。
ソファにもたれたロアさまが目を閉じる。わたしも休むことにした。慣れないご令嬢役は疲れる。
しばらくして、ロアさまの頭が肩に乗ってきた。爽やかなシトラスの香りと、柔らかな重み。
どきりとしたけど、どうすればいいかわからず寝たふりをしている間に、眠りの世界に落ちていった。