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本音の一滴

 退屈な授業を終えて女子寮へ帰ると、ちょうどレネが帰ってきたところだった。アーサーとエドガルドが帰るのは、もう少し遅くなるそうだ。

 クリスが丁寧な仕草でお茶を置いてくれたので、お礼を言って受け取った。ようやくクリスの男姿に慣れてきた気がする。


 ティアンネらしくお茶を飲みながら、ロアさまがゆったりした仕草でコーヒーを飲むのを見る。たぶん、こんな風にどんな時でも気品がにじみ出るように出来たらいいんだろうな。


「今日のアリスは素晴らしかった。情報通のキャロラインに気に入られ、お茶に誘われたのだ。嬉しい誤算だな」

「すごいじゃん、アリス! ボクも負けてられないな」


 フォンダンショコラを小さく切り分けたレネが、フォークをこちらに向けてくる。


「はい、どうぞ」


 口を開けなくても食べられるように、ほんの少ししかフォークに刺さっていないフォンダンショコラを見つめる。

 とろけるチョコがおいしいフォンダンショコラは、大好物だ。ひとりならぺろりと食べられるのに、今は食べるのが恥ずかしい。


「クリスには食べさせてもらってたのに、ボクは駄目なの?」

「その時のクリスは女の子だったので」

「まだティアンネの練習をしなきゃいけないんでしょ? ほら」


 ティアンネを演じて部屋へ帰ってきて、一度素に戻ってしまった後では、恥ずかしさが勝つ。でも食べたい。

 すました顔で小さく口を開けると、フォークが優しく唇にふれた。口の中にチョコの甘さが広がり、ほうっと息を吐く。


「……おいしい」


 知らないうちに強張っていた体から、ゆっくり緊張が溶けだしていく。


「食べ方、貴族らしくなったね。ボクは前のほうが好きだけど、こっちもいいと思うよ。アリスが一生懸命すました顔をしてるのが見られるから」


 どういう意味か聞こうかと思ったけど、再び差し出されたフォンダンショコラには勝てなかった。続いてティーカップを差し出され、紅茶を飲む。

 ロアさまがコーヒーを置き、沈んだ顔をする。


「ここへ来てから、あまり料理をしていないだろう。せっかく、自分の店を持ちたいという目標が出来たのに」

「言ったじゃないですか、ロアさまに出会う未来を選ぶって。せっかくなので、ラーメンでも作ってみようと思っているんです。陛下から、下ごしらえくんと調理器くんをいただけるはずなので、作るのは難しくないはずです」


 毎日の温度や湿度に合わせて仕込みを変えるなんてことは出来ないが、自分で食べるには十分なものが作れるはずだ。

 なんていったって、わたしには下ごしらえくんと調理器くんがついている!

 とろけるチャーシューもメンマも半熟味付き卵も、ボタンひとつで出来る! スープは調理器くんにいくつか作ってもらって、ブレンドしたっていい。調理器くんは麺だって作れるのだ。


「ラー、メン……とは、あのラーメンか?」

「はい。麺をすするので、貴族の方は食べないでしょうが」


 ロルフが顔を輝かせた。


「聞いたことがある。アリスが作るんだ、絶対にうまいだろうな。一度食べてみたい」

「男性は好きだと思いますよ。味がたくさんあるので、食べ比べてみたいですね」

「それはいいな! 楽しみが増えた」

「今度作ってみますね。ティアンネらしく」

「ティアンネは料理しないと思うけど」


 レネのツッコミは無視だ。


 レネに食べさせてもらいながら、ご飯前の禁断のおやつを味わっていると、エドガルドとアーサーが帰ってきた。

 みんなが真剣に報告を始めるのを見て、そっとその場を離れる。夕食を作っているクリスを手伝いに行くと、追い出された。


「練習をお願いいたします」

「……はい」


 自室でひとり寂しく、ティアンネの特訓をした。



 その夜、メイドになったクリスが、顔のマッサージをしてくれた。こういうところから自信がついていくんだと言われると、確かにそう思う。

 美容院の帰りとか、メイクをしてもらった日は、いつもより自信が持てた記憶がある。


「本日は、本当に申し訳ございませんでした。男の姿でいる時を増やすようにいたします」

「だいぶ慣れましたから、大丈夫ですよ。それに、お化粧で顔を変えているんですよね? メイドになるのに時間がかかるんじゃないですか?」


 目を二重にして、口紅やコンシーラーで唇の大きさを変えたり、アイメイクだってばっちりだ。


「……はい。実はそうなのです。前は、女性のお化粧はどうして時間がかかるか、理解できませんでした」


 マッサージをするクリスの手に、わずかに力がこもる。


「あの顔を作り上げるまで、どれだけの時間がかかったか……。女から男へは、化粧を落とすだけですのですぐに変われますが、その逆は時間がかかります。ですので、出来るだけ化粧をして過ごしているのです。女性のほうがお喋りですから、情報収集にも向いていますし」

「そうですよね。それに、女性がお化粧していないと変に見られたりしますから」

「その通りです! 妊娠しているがごとき腹の、腕や指に毛が生えているくせに頭頂部は薄い御仁に、もう少し可愛ければ愛人にしてやったのになど言われるなど、屈辱の極み! 己の姿を見てから出直せと!」

「ありますよねぇ。そういう時は、股間を凝視してやればいいですよ」

「悔しさを踏み台にし、化粧をどれだけ学び実践したか! ……っも、申し訳ございません。取り乱しました」

「思えば、こうしてクリスとお喋りをすることはあまりなかったですね。気遣ってくれてありがとうございます」


 たぶん、初めて部屋の外に出たわたしのために、マッサージでリラックス出来るようにしてくれたんだと思う。


「いえ。何かあれば、いつでもお申し付けください」

「ありがとうございます」


 顔を蒸しタオルでぬぐわれ、ひんやりと心地いい化粧水が肌に浸透していく。


「……ところで、お嬢様。ご一緒におられる方々は、どなたも眉目秀麗、優秀な方ばかり。どなたと一番仲がいいのでしょう?」

「うーん、そうですね。強いて言うのなら……」


 エドガルドは早いうちから仲良くなって、付き合いも長い。弟みたいで一緒にいて楽しい。ロルフはいつでも気を遣ってくれて、とても過ごしやすいけど、たまにはワガママになってほしいと思う。

 レネは価値観が合っていて、いつも素敵な言葉をくれる。意外にも、アーサーが一番気取らないまま過ごせるかもしれない。ダジャレを言い合うからかな。


 そしてロアさまは……ロアさまは。


「……ぼっちじゃなかったんだって、嬉しくなりました」

「ぼっち?」

「第四騎士団でのロアさまは、いつも一人でいるように見えたので、友達がいないと思っていたんです。でも、離れたところで、こんなふうに慕ってくれる人がいたんですね」

「ロアさまが気になると?」

「うーん……」


 気になる、けど。クリスが聞いている意味ではない気がするし……そういう意味のような気がしないでもない。


「気になっていたとしても、わたしは誰とも結婚する気はないです。ロアさまはおそらく身分の高い方でしょう? わたしじゃ釣り合わないので、安心してください」

「……差し出がましいことを言いました。申し訳ございません」

「クリスの立場なら、気になりますよね。ロアさまに聞いても、そういう関係じゃないってきちんと言いますよ。聞いてみたらどうですか?」

「……そうですね」


 それきりクリスは黙り込み、マッサージも終わった。


「おやすみなさい。明日もお願いいたします」

「おやすみなさい」


 暗くなった部屋で、ゆっくり目を瞑る。

 自分の発言なのに、少し胸が痛む。これはよくない兆候だ。すぐに忘れなければ。


「にんにくマシマシ煮卵チャーシュートッピングメンマねぎどっさり……」


 その夜、ラーメンで溺れる夢を見た。最悪の寝起きだった。



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[一言] にんにくラーメン、チャーシュー抜き。
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