キャロライン
部屋の外に出るのは、ここへ侵入した日以来だ。
あちこちで人の気配はするが、昼の女子寮は静かだった。天井には複雑な模様の彫刻があり、窓は天井に届くほど大きい。
きょろきょろせず、女子寮には慣れていますけど何か? という顔で歩く。
「すごく今更ですけど、女子寮に男性がいていいんですか? そもそも、異性が同じ部屋で寝泊りするのは、よろしくないのでは……?」
本当に今更だけど、この状況を見られるのはよくないかもしれないと思うと、心臓が縮みそうだ。
「厳密に言えば、側近については、規則には記載されていないのです。ただ、皆様は節度をわきまえて、同性のみを自室の使用人部屋で寝泊りさせているのですよ」
クリスは落ち着いていた。
「ですが、昨今は異性の侍従が複数いるのが一種のステータスとなっております。ですので、異性で同じ部屋にいるのは、非常に珍しいことではなくなりました」
「それって……」
思わず、十八歳以下は禁止なことを思い浮かべてしまった。
「男性なら有り得ますね。女性ですと、結婚前に処女検査がありますので」
さらりと言われたけど、流せなかった。
「それってつまり、わたし……ティアンネもそう思われてるってこと……!?」
「そうです」
ええー、複数の男と関係を持っていると思われている、人を顎で使う高飛車なお嬢様になるの? わたしが?
「一気に自信がなくなってきた……」
「大丈夫だ、お嬢様」
左にいたロルフが、優しく手を握ってくれた。
「誰に何と思われていようと、俺たちは知っている。本当のお嬢様は、優しくて、ちょっと抜けてて、とびきり素敵なレディだって。迷いながらも前を向くお嬢様は、最高に素敵だ」
ウインクをしたロルフの唇が、手の甲に当たる。すぐに離れていったけど、柔らかい感触が、手の甲でじりじりと焼けている。
「ろっ、あっ……お、お前、何をしているの!」
ロルフの名を呼びそうになって、慌ててティアンネらしく侍従を呼ぶ。
「何って、緊張をほぐして差し上げているのですよ。頬にキスのほうがよろしかったですか?」
「お化粧がつきますよ」
じっとりとロルフを睨むが、ロルフはどこ吹く風だ。
「お嬢様を彩るものに触れられるなら、これ以上の僥倖はございません」
「……口が汚れても知りませんからね」
どこぞのご令嬢にキスして、本当だったと思い知るがいい。
「おや、本当にキスしていいので?」
「そこまでだ」
ロアさまの制止の声に、ロルフがさっと真面目な顔をする。
「もうすぐ階段だ。人も増える。……気を抜かずに、お互いフォローし、無事に帰ってこよう」
ロアさまの言葉に頷く。
ここは、それなりに身分が高い令嬢が住む女子寮の二階だ。ティアンネは、この女子寮の中では高い身分となる。
人が少なかった二階と比べて、一階は人が多くなる。
ロアさまとロルフにエスコートされながら、転ばないように階段を下りた。つんとすました顔も忘れない。
女子寮を出て、ご令嬢らしく、ゆっくりおしとやかに並木道を歩いていく。季節の花が咲き乱れて、エドガルドと行った庭園を思い出した。
……また行きたいな。あの頃みたいに、隠れず堂々と外を歩いて、買い食いをしたい。
「あれが学校? ちょっとホグ〇ーツみたい……」
ようやくたどり着いた学校を見上げると、間抜けな感想が漏れた。白い長方形の建物がいくつかと、大きな塔がひとつある。
大きな入口を通って中に入ると、大きなステンドグラスが等間隔に並んでいて、爽やかな明るさに満ちていた。
白い壁と紫紺の絨毯の対比が厳かだ。絨毯には、白で複雑な模様が描かれている。
壁だって、ただの白いだけじゃなくて何かが彫られている。ステンドグラスは透明だけど、ところどころ薄い差し色が入っていて綺麗だ。
天井にも模様がある。柱にも何かある。ドアですらただの板ではない。
出来るだけ顔をきりっとさせ、クリスに話しかけた。
「わたくしの自信は、先ほど帰宅いたしました」
「私が捕まえております」
「いえ、逃げているはずよ」
「捕まえております。自信をお返しいたしますね。私の特訓を受けたのですから、不安になることはございません」
クリスは言う。前ティアンネの自分がついているのだから大丈夫だと。
クリスが頷いたのを見て、ロルフが教室のドアを開けた。たくさんの視線が集まるが、すぐに消えていく。
教室は、横に長かった。
席は二列しかなく、隣とはたっぷり距離が取られている。席は前の椅子と重ならないように交互に置かれている。この教室の生徒は、12人程度のようだ。
「お嬢様、お手をどうぞ」
クリスにエスコートされながら、ティアンネらしき席へと進んでいく。ロアさまに椅子を引いてもらって座る。椅子には分厚いクッションが置いてあって、お尻が沈み込んだ。
ロアさまが跪き、スカートの裾を直した。うぅっ、いけないことをしている気分……!
「ティアンネ様、お久しぶりじゃない」
声をかけてきたのは、隣に座っていた美少女だ。猫目と、ツンとしてやや上を向いた鼻がチャーミングだ。
はじけるオレンジ色の髪に、きらきらと輝いた茶色の目。話しかけてくるならばこの令嬢だろうと言われていた、キャロラインだ。
「あなたったら、貴族に関するスキャンダルがあれば、すぐに学校へ来なくなるんだもの。今回は大ニュースだから、もう少し来ないと思っていたわ」
そういうキャラクターにして、ロアさま達が逃げてきたときに休んでも、不自然じゃないようにしていたのか。
「いつ来たっていいじゃない」
キャロラインがやや不思議な顔をするのを確認して、先手を打つ。
「どう、この声。だいぶ印象が変わったと思わない?」
わたしがつけている変身の魔道具は、姿を変えてはくれるけれど、声までは変えてくれない。声を変える魔道具は、とても貴重なのだ。
逃げ出したあの夜から、姿どころか声まで変わってしまったロアさまのことは、今は考えないでおく。
「随分と印象が変わるのね。声を変える魔道具を何に使うの?」
ふっと意地悪く笑って答えなかったけど、キャロラインは気にしていないようだ。
「もう少し休んでいてもよかったかもね。前代未聞の人事異動だもの、みんなまだ動揺してるわ。あなたは退屈なんじゃなくて?」
「右往左往する群れを見るのもいいかと思って」
「いい性格してるわ」
キャロラインはにっこりと笑った。嫌味っぽくなく、さっぱりした笑顔に、好感度がぐんぐん上がっていく。
「キャロラインは踊らなくていいの?」
まだ距離を探りかねている人々を見やる。
「あら、私はそこまで愚かじゃなくてよ」
お互い、にやりと笑い合う。キャロラインは、意外そうにアーモンド形の目を細めた。
「あなた、随分と話しやすくなったじゃない」
どきりとしたが、お得意のポーカーフェイスで受け流す。
「好きに生きることにしたのよ」
声を変えたのも、お喋りになったのも、情報収集のために他の人と接触するのも、これで押し通す!
「他国とはいえ、あなたのお家にも何か影響があってもおかしくはないものね」
目を細めて、首を左へ傾げてみせる。ティアンネの癖を見たキャロラインは、追及をやめて首をすくめた。
「まぁいいわ。今度、お茶をしない? みんなダンスに夢中で、誰も座ってくれないのよ」
視界の端でクリスとロアさまがかすかに頷いたのを見て、口を開いた。
「いいわよ。でもわたくし、お行儀が悪いかもしれなくてよ」
侍従である誰かに食べさせてもらう予定だからね。
「あら、素敵なマナーね。ぜひ参考にしたいわ」
学校初日で、まさかのお茶会への参加権をゲットした。早すぎるとは思ったけれど、ここは素直に喜んでおこう。
なにせ、ティアンネはやや嫌われ者。結局、キャロラインしか話しかけて来なかった。その唯一がお茶に誘ってくれたことは、確実な前進だった。