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クリスの葛藤

 アリス・ノルチェフがドアの向こうに消えるのを見送ってからお茶のお代わりを用意して、皆様の前に置いてゆきます。


「ありがとう、クリス」 


 ライナス様は尊い血が流れているお方なのに、いつもこうして礼を言ってくださいます。

 不躾だと理解していながら、じっとライナス様を見つめます。落ち着いた今、聞いておかねばなりません。


「……これはどういう状況ですか? 特筆すべきことがない令嬢に、皆様が揃って骨抜きなご様子。まさかとは思いますが」


 言葉を区切って、ライナス様のお言葉を待つ。

 ライナス様は、まっすぐな瞳で私を見つめました。


「……私は、アリス・ノルチェフ嬢を、とても……好ましく思っている」


 その言葉に、ガツンと頭を殴られたような衝撃が走りました。


 アリス・ノルチェフ。聞けば子爵家の貧乏な娘で、第四騎士団のキッチン・メイドをしていたという。

 たしかに、少し変わった娘だった。普段からメイドにも丁寧に、人間として接していることが伺えた。……下級貴族のそれだ。

 それが新鮮で、騎士団にひとりしか女がいなかったゆえの気の迷いだと思いたい。


「私には婚約者がいる。……わかっている。いつか婚約解消をする予定だが、うまくいかなかった場合は、責任を取ってエミーリアと結婚するつもりでいる。だが……もし。もし許されるのならば……」

「王弟殿下と子爵家の娘が結婚なんて、無理があります! ……いえ、違いますね。ライナス様のお立場なら、無理を押し通すことができるでしょう。ライナス様の母君のように」


 ライナス様は、苦悩の表情で黙り込みます。身分が釣り合っていない結婚の余波で苦しんでいるのが、ライナス様なのです。

 ご自身の母君の時より身分差のあるアリス・ノルチェフとの結婚が、何事もなく出来るはずがないことは、ライナス様が一番おわかりなはずです。


「アリス・ノルチェフも、ライナス様のことを好ましく思っている様子。今のうちに、しっかりと身分について釘を刺しておくべきです」

「……ノルチェフ嬢は、私がライナス・ロイヤルクロウだと知らない」

「……え?」


 思わず、間抜けな声が漏れました。


「知らない、なんて……そんなはず」

「知らないんだ。私の身分は伏せて事情を説明したし、ずっとロアという偽名で接していた。一度、本来の姿で接触したことがあるから、正体に気付くかは賭けだったが……気付かなかった」


 ライナス様は、なぜか優しく微笑みました。


「ノルチェフ嬢のことだから、王弟である私の顔を見ないように話していたんだろうな。変身の魔道具を外したあと、どこかで見たことがある気がするが思い出せないという顔をしていたが……すぐに、残念な表情になった」

「残念? 何がですか?」

「私の顔が整っているのが残念だと言っていた。ノルチェフ嬢は、顔が整っている男性が苦手なんだ」


 意味がわからない。

 ライナス様と会ったことがあるのに、そのお姿に気づかない? 貴族なのに、今までライナス様の肖像を見る機会もなかったのか?

 下級貴族だから……いや、もしかして。


 ……ライナス様のご尊顔が、整っているから……関心がなかった?


「いくら目の色を変えているとはいえ、ライナス様のお顔はそのままなのです! ご尊顔を見れば、どれほど尊いお方なのか気付くはずです! 気付かねばおかしい!」

「そのおかしい令嬢がノルチェフ嬢なんだ。令嬢どころか、貴族の思考でもない。独特の考えを持っている」

「それは……」


 ……確かに、思い当たることはありました。


 私が女装していることを知り、一番に聞いたのは、私の魂の在り方でした。

 男性でありながら女性の服を着ることを楽しむ人間がいたり、体と心で性別が違うことがあるなど、どう生きていればすぐに思いつくのでしょう。

 アリス・ノルチェフは、あざ笑うために聞いているのではなかった。どう接してほしいか知るために聞いてきた。


「だからこそ……惹かれるのだ」


 ライナス様のお言葉は、静かな部屋にぽつりと落ちて、水面のように広がっていきました。


「私が前を向き、ダイソンと敵対することを選んだのは、ノルチェフ嬢のおかげなんだ。ノルチェフ嬢ははっきり言わないが、おそらく男性に傷付けられて生きてきたのだと思う。それなのに腐ったりせず、家族のために異性がいる騎士団に働きに出て、いつも前向きだ。そんなノルチェフ嬢の在り方が……好ましいと思う」


 私を除く全員が、納得したような顔をしています。


「だから、ノルチェフ嬢が誰を選んでも、妬みはなしだ」


 アーサー様が、わざとおどけて首をすくめました。


「できればノルチェフ嬢と結婚したいので、簡単には譲りませんよ。私の性格を受け入れ、ジョークを言い合い、新しいダジャレを教えてくれる。素敵なレディです」


 エドガルド様が立ち上がりました。


「ぼ、僕もそうです! 不要だと思っていた、僕の核である部分を、アリス嬢は自然に受け入れてくれました。僕は……アリス嬢と結婚できたらと、願っています」


 エドガルド様の顔は真っ赤です。

 初々しい様子に微笑んだロルフ様に気付いたエドガルド様は、赤いままロルフ様を睨まれました。


「ロルフはどうなんだよ」

「俺? 俺は……そんなふうにきっかけとか、アリスのおかげとか、そういうことはないんだ。ただ……気付いたら、心にアリスの部屋があっただけで」


 ロルフ様の言葉は、なんだか心に突き刺さりました。

 気付けば好きになっている……そんな甘酸っぱい恋を、この中で一番遊び慣れているようなロルフ様が言うのは、ギャップがあります。


 最後のひとりとして自然と視線が集まったレネ様は、微妙な顔をしていました。


「ボクは、まだ結婚とか恋愛より、騎士の腕を磨くことに時間をとりたい。さっきの、敵の目をえぐれる靴がほしいとか……そういうところは、すごくアリスらしくていいと思うけど」


 ふんわりと微笑を浮かべるレネ様は、絵画になりそうな美しさです。


「だから、まだよくわからない。だけど、アリスのことが気になってるのは確かだから、今後は未定! よろしく!」


 この空気と流れの中、レネ様はきちんと自分の言いたいことを言いきりました。

 卑屈になるでもなく、威圧するでもなく、他者を不快にさせずに自分の気持ちを伝えたレネ様。外見の可愛さとは裏腹に、きっぷのよさを感じさせます。


 ライナス様は、側近でありながら恋敵であるはずの皆の意見を聞き、笑ってみせました。


「ここでそれぞれの気持ちを聞けたこと、嬉しく思う。だが、今はダイソンのことを一番に考え、対処しなければならない。ノルチェフ嬢のことは置いておく」


 さすがライナス様です。色ボケ……ごほんごほん、異性に夢中になりすぎているわけではないようです。安心しました。


「私の側近となった以上、一番は王位簒奪を防ぐことだ。だが、もし、この中の誰かとノルチェフ嬢と恋仲になっても、互いに恨みや怒りを持つことはしないと誓いあおう」


 顔を見合わせて、頷きあいます。


「では、休めるときに休んでおくように。明日からはまた忙しい」


 ライナス様の言葉で、一度お開きの雰囲気が出てきます。


「あのう、お話し中すみません」


 みんな、数センチは体が浮いたような感覚だったでしょう。

 そこには、私室のドアから顔だけ出したアリス・ノルチェフがいました。できるだけ冷静に聞きます。


「もうお休みになられたかと思っておりました。いつからそこに?」

「たった今です。ドアを開けたら、ロアさまが休めと言って、ちょうどお話が終わった雰囲気でしたので声をかけました」

「どうかされましたか?」

「エドガルド様のマジックバッグを預かったままだと忘れていました。私の私物もたくさん入れてしまいましたが、ケーキが入っているので、先にお返ししておきます」

「……ありがとうございます」


 エドガルド様が歩いていき、マジックバッグを受け取ります。


「今度こそおやすみなさい。お邪魔しました」


 ドアが閉まり、緊張の糸が切れました。

「……本当に、心臓に悪い……」


 ライナス様のお言葉には、いくつもの意味が込められているように思えましたが、聞くのはやめておきました。



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