浮気
「建国祭のお休みで、アリスのご飯を食べられなかったでしょ? 恋しかったんだよね」
レネの言葉は、素直に嬉しい。
「俺も食べたいな。安心したら腹が減ったよ」
「ロルフはサンドイッチしか食べていないからだろう? その……僕もなにか食べたいです。甘い物でなくてもいいんです」
「ノルチェフ嬢さえよければ、作ってもらえないだろうか?」
ロアさまにご飯を頼まれて、少し戸惑ってしまった。
みんながわたしのご飯を食べたいと言ってくれるのは、とても嬉しい。中毒性があるのかほっとするのか、理由はわからないけれど、これなら店を開いても常連さんが出来そうだ。
……でも。
「ここには下ごしらえくんと調理器くんがいて、第四騎士団と同じものが作れます。作れるけど……わたしは、第四騎士団にいる下ごしらえくんと調理器くんがほしいんです!」
ぐっと拳を握りしめて、心から叫ぶ。
「ほかの下ごしらえくんと調理器くんじゃ駄目なんです! これだけ欲しているのに、ここにある下ごしらえくんと調理器くんを使うなんて……浮気じゃないですか!?」
「うわ……き?」
つぶやくロアさまを見据える。
「わたしがこの世で一番大嫌いで許せないものは、浮気と不倫です! そりゃあ事情を聞いたら仕方ない場合もあるんでしょうけど、嫌いなものは嫌いです! 滅べ浮気男!」
ロアさまが、そっと視線を逸らした。
「浮気と不倫をする男は、切り落とすべきです! それなのに、わたしが下ごしらえくんと調理器くんを裏切るなんて……!」
なまってしまった体では、ひとりでこの人数のご飯を用意するのにかなり時間がかかってしまう。
危惧していた通り、本当に下ごしらえくんなしでは生きていけない体にされてしまったのね……!
「ノルチェフ嬢、落ち着いてください」
アーサーの大きな手が肩にそっとのせられ、しおしおと顔を上げる。
「すみません、取り乱してしまって……」
せっかく吹っ切れたのに、前世の元夫を思い出してしまった自分が憎い。存在ごと忘れてしまいたいのに、お風呂場のとれないカビみたいにしつこい。
「ノルチェフ嬢の気持ちは、よく伝わりました。ダリア家に受け継がれる考えをお話してもいいでしょうか」
「……はい」
「騎士は剣を使うもの。どんなに大事にしていても、いつかは壊れてしまいます」
ハッと顔を上げる。
「その時は、こう思うようにしているのです。私と共に切磋琢磨し、時によりそい、励ましあった相棒に魂があるのならば……新しい剣に宿り、私を支えてくれていると。ノルチェフ嬢がこれほどに思っているのならば、ここにある魔道具に魂が入り、またノルチェフ嬢を支えてくれるでしょう」
「そう……思ってもいいんでしょうか。あまりにわたしに都合がよすぎるのでは……」
「ノルチェフ嬢は、あの魔道具がいいと言いました。それに応えてくれるのが、大切にしていた物たちです」
「……わかりました。下ごしらえくんと調理器くんの魂は、わたしと一緒に逃げてきたと信じます!」
「ええ、きっとそうです。ノルチェフ嬢は、いつもあの魔道具を大切にしていました。私ですらわかったのですから、魔道具はもっとそれを感じていたでしょう」
拳を握って立ち上がる。
「ニュー下ごしらえくんと調理器くんに挨拶をしてきます! アーサー様は何が食べたいですか?」
「悩みますが、肉でしょうか。疲れたときは肉が一番です」
「では、久しぶりにとんかつにしましょうか。勝負に勝つで、とんかつです」
「おっ、いいですね!」
新たなダジャレに、アーサーがにっこりする。
「ロアさま、使ってはいけない材料などはありますか?」
「どれでも好きなものを使って構わない。ノルチェフ嬢も疲れているのに、ありがとう」
「わたしはゆっくり寝かせてもらいましたから、大丈夫ですよ」
メイドさんへ向きなおってお辞儀をする。
「キッチン、使わせてもらいますね」
「私のことは気にせず、ご自由にお使いください。食事を作ってくださり、ありがとうございます」
キッチンへ行き、下ごしらえくんと調理器くんを見つめた。第四騎士団のキッチンにあるものと変わらない。
アーサーには丸め込まれたけど、ここで駄々をこねて、みんなの力になることを拒否することは選びたくない。
「……ここでも、わたしを支えてね」
お辞儀をしてから、冷蔵庫から豚肉の塊を取り出す。ロースではなくヒレだけど、これから寝る人もいるだろうから、ヒレのほうがいいかもしれない。
揚げ物なので肉の種類は些細なことなのではと思ったけど、それは考えないことにした。とんかつと言ったときのみんなの目の輝きを見ると、いまさら他のものがいいか聞くことはできない。
パンよりお米のほうが早くできるので、今日はご飯にすることにした。
調理器くんに米をセットし、調理開始ボタンを押す。カットして衣までつけてもらった豚肉を下ごしらえくんから取り出した。
「作っておいたとんかつソース、第四騎士団のキッチンに置いてきちゃったな……。レシピはメモしてあるけど、いまはお米を任せているから調理器くんが使えないし……そうだ、かつ丼にしよう!」
この世界では卵は完全に火を通して食べるものなので、半熟とろとろたまごはやめておこう。
生でも食べられるので、わたしだけは半熟にしておこうかな。やはりかつ丼は半熟に限る。
下ごしらえくんに鳥団子を作ってもらい、野菜と一緒に鍋に入れてスープにする。
とんかつを揚げると、じゅわわっといい音と匂いが広がった。
揚げ終えたとんかつを、だし汁と玉ねぎが入った小鍋に入れ、少し煮込む。溶き卵を流しいれたら蓋をして煮込んで、火を止めて少し蒸らして……。
「できた! おいしそう……!」
これを七回繰り返して、炊き立てのご飯にのせる。キッチンから顔を出すと、メイドさんがすぐに気付いて来てくれた。
「ひとりじゃ運べなくて、手伝ってもらってもいいですか?」
「調理ありがとうございます。あとは私が運びますので、ソファにおかけしてお待ちください」
「ここまで来たんだから、最後までしますよ」
か細いメイドさんに任せるのは気が引ける。ふたりで手分けして運んで、みんなでテーブルを囲んだ。
メイドさんが戸惑った様子で聞く。
「……私のものまであるんですか?」
「あっ、ご飯は嫌でしたか? パンは時間がかかるので、お米にしてしまったんです」
「そうではなく……」
「いいではないか。クリス、一緒に食べよう」
「……かしこまりました」
ロアさまの一言で、メイドさんが端っこに座る。
「いただきます!」
スプーンでかつ丼をすくって頬張った。よく知る甘じょっぱい味に、ほっとする。
とろとろ半熟たまごが、揚げたてのかつによく絡んでいる。お米は少なめにしたので、罪悪感も少ない。
「もう日が暮れてますねえ……」
「本当に……長い一日だった」
気の抜けた、誰に向けたわけでもない言葉を、ロアさまがすくいあげて返事をしてくれる。
それが嬉しかった。