下ごしらえくん
学校が安全だとわかり、室内にはやや緩んだ空気が流れていた。
敵がこちらの居場所を掴むとしても、まだ先のことだ。ずっと気を張り詰めていると、いつか限界がきてしまう。今日くらいはゆっくりしてほしい。
メイドさんもそう思っているのか、お茶を用意しながら優しく言った。
「本日はもうお休みください。明日からまた動きましょう」
「……そうだな。明日からは本格的に動くことになる。今日は各自ゆっくり休んでほしい」
ロアさまが目頭を押さえる。きっと、昨日から動きっぱなしで寝ていないんだ。
どこか気だるげに手を離したロアさまの視線が向けられる。
「ノルチェフ嬢は、なにか欲しいものはあるだろうか。反王派の証拠を掴んだとなれば、相応の褒美がある。考えておいてほしい」
気が早いと言おうとして、口をつぐんだ。
……ロアさまは本気だ。本気で反王派を一網打尽にするつもりなんだ。もしも捕まえられなかったら、なんて口にはしない。
「ノルチェフ嬢は、すぐに思いつかないかもしれないが」
「いえ、あります」
みんなが驚いた顔をするのが不思議だ。わたしにだって欲しいものはある。
「図々しいお願いだとは思うんですが……」
「遠慮なく言ってほしい」
「……わたしが騎士団に入ってから、ずっと支えてくれたものです。ひとりで騎士団でご飯を作り続けられたのも、側にいてくれる存在があったから……。わたし、ずっと、ほしかったんです」
図々しくても、要望を言えるチャンスを逃せない。
「第四騎士団にいる、下ごしらえくんと調理器くんがほしいです! 大変申し訳ないですが、一括で支払えないのでローンでお願いします!」
騎士団の備品を欲しがるなんて、と顔をしかめられるかもしれない。
でも、反王派に関するなんらかの功績があれば、不敬にならないはず!
勢いよく頭を下げるが、返事がない。そうっと顔を上げると、なぜかみんな下を向いて沈み込んでいた。
「や、やっぱり不敬でしたか……?」
「……いや、そうではない。不敬ではない。不敬ではないんだ……」
「それなら、ロアさまはどうしてそんな項垂れて……」
ロアさまの横で、ロルフがソファに沈み込んでいく。
「わかっているさ。少しでも期待した俺が愚かだって。だけど、期待させて落とすなんて、アリスもなかなか悪女だな……」
「あ、悪女ですか? 申し訳ありません……?」
「いや、アリスは悪女じゃない。俺が悪かった。ごめん。俺が悪いんだ」
「みんながわたしに望んでいることと、違うことを言ってしまったんですね?」
余計に沈み込んでしまったロルフに駆け寄ろうとすると、エドガルドに止められた。
「アリス嬢はまったく悪くありません。これは僕たちの問題です。勝手に期待した僕たちが悪いのですから」
「エドガルド様、わたしは望みを変えます」
レネが立ち上がる。
「だから、今の願いでいいんだって! アリスはなにも悪いことはしてないから、安心して!」
「でもレネ様、みんなが」
「いい、アリス。今の状況を簡単に言うと……アリスが福引を回してて、みんなのほしいものが当たらなくてがっかりしてる状態。アリスは悪くない」
「福引を回しているなら、わたしが悪いのでは……?」
「悪くないってば!」
頭を振るレネの肩に手を置いたアーサーが、優しく笑いかけてくれた。
「みんなは、結果にただ落ち込んでいるのです。ですから、ノルチェフ嬢は気に病まないでください」
「……アーサー様も、落ち込んでいるんですか?」
「少し。そんな自分に驚いて……少し、心が踊っています」
それってやっぱり、わたしが悪いのでは?
おろおろしていると、メイドさんがすっと進み出た。
「口をはさんで申し訳ございません。アリス様の望みは、反王派を捕まえる褒美としては、あまりに貧相でございます。応分なものを望まねば、陛下への侮辱とも受け取れます」
「わたしにとって下ごしらえくんと調理器くんは、とても大事なものなんです。初日……いえ、初日となる前日から急に食事を作ることになり、下ごしらえくんがいなければ、わたしはとても仕事を全うできませんでした。とても大事で、心の支えになってくれていたんです」
わたしにとっては、とても大事なものだけど、メイドさんの言うことはもっともだ。
「今はほかに思いつきませんが……あ、ではヒールが武器になる靴をお願いいたします。建国祭のパーティでレネ様と反王派を目撃したとき、わたしには攻撃手段がありませんでした。あの時は靴のヒールで攻撃しようと思っていたのですが」
「そんなこと考えてたの!?」
「はい。レネ様はわたしを守ってくださるつもりだったんでしょうが、わたしが逃げても何にもなりません。わたしが攻撃しているあいだにレネ様が逃げて、伝えるべき人に説明するのがベストだと思いました」
「そんなの、アリスがどうなるか!」
「わたしが逃げても同じでしたよ。むしろ、悪化していたかも。だから、武器になる靴がほしいんです。できたら敵の目をえぐれるやつがいいです」
「……なにそれ」
レネは笑った。
「あの時ボクは、どうやってこの場を切り抜けるか、どうすればアリスと逃げきれるか考えてたのに」
「騎士を守るレディがいてもいいと思います」
「……アリスはほんと、思い通りにならないよね」
レネの笑顔は儚くて、綺麗で、透明だった。令嬢に引けを取らないくらい綺麗な顔は、すぐにしかめられる。
「そういう時に一番助かるのは、一目散に逃げること! 相手はアリスの動きなんかすぐに抑え込めるんだから! 足手まといにならないように逃げるのが一番なの!」
「は、はい」
「よし! でも、万が一捕まったときのために、ヒールの部分に縄を切れるものを仕込むとかはいいかも。とにかくアリスは逃げて。騎士はレディを守りたいものなんだから」
「わかりました」
レネは満足そうに頷いた。
「お腹すいちゃった。休む前に、久しぶりにアリスのご飯が食べたいな」
下ごしらえくんが一番の強敵です。