建国祭~逢瀬~
「トール、本当に気になる子はいないの? 可愛いと思う子とか」
「いません! この世で姉さまが一番です!」
「うーん、ありがとう」
素直にお礼を言っていいか悩むところだ。
いくら言っても周りを警戒することをやめないトールだけれど、今は少し落ち着いた。トールの友人たちは、もはや慣れた様子で「このトールは久しぶりです。今度家にお邪魔したとき、唐揚げをお願いします!」と去っていった。何回か家に来たことがあって、トールの暴走を止めてくれる子たちばかりだ。きっと、わたしが負担に思わないようにしてくれたんだろう。
飲み物でも取ってこようかと思って顔を上げたとき、ふっと暗くなった。
「ノルチェフ嬢、今日は格別に綺麗だな」
「ロルフ様! こんばんは。ロルフ様も、よくお似合いです」
「さっきはエドガルドを助けてくれてありがとな。落ち込んでたから、今度またフォローしてやってくれ」
「はい」
「姉さま、この方は?」
さっきみたいに鬼の形相にはなっていないけれど、警戒を隠そうともせずわたしの前に立つトールに、ロルフは気を悪くした様子もなく、楽しげに目を細めた。
自然な仕草でトールに近づき、声をひそめて告げる。
「ノルチェフ嬢には、毎日おいしい食事を用意してもらっている」
「では、あなたは……!」
「本当は言っちゃいけないんだ。両親にも秘密にしてくれるか?」
「は、はいっ」
「いい子だ」
ロルフがウインクするのに合わせて、結んだ赤い髪が艶やかに光る。トールを相手に色気を振りまくロルフってすごいな。
「これ、飲んだらおいしかったから持ってきたんだ。レディ、どうか受け取っていただけませんか?」
「ふふ、ありがとうございます」
「こっちもおすすめなんだ。えーと」
「トールです。トール・ノルチェフ」
「トール、自己紹介が遅れてすまない。ロルフ・オルドラだ」
ロルフが持ってきてくれたジュースは、とろっとして甘酸っぱくておいしい。聞けば、ザクロやベリーを合わせたノンアルコールカクテルだった。今度家でも作ってみよう。
「ノルチェフ嬢には本当にお世話になっているんだよ。おいしい食事を用意してくれるから、それが毎日の楽しみなんだ。しかもデザートまで作ってくれる。他の騎士団じゃこうはいかない」
「そうでしょう! 姉さまは本当に素敵なんです!」
「それに、トールの話もよくしているぞ。自慢の弟だって。そうだ、カレー粉を作るのにも協力したんだって? あれ、すごくおいしいな! すぐカレー粉を振りかける奴がいるくらいだ」
「それは、姉さまがカレー粉がほしいって困っていたから……。姉さまのカレー、好きなんです」
「俺も好きなんだ! おいしいよなあ! 激辛もいいが、中辛が一番スパイスや辛さを楽しめていいんじゃないかって思い始めたんだ」
「それは正解ですよ。姉さまは、家族それぞれに合わせた辛さでカレーを作ってくれるんです!」
「ノルチェフ嬢は家族が好きだもんな。そりゃあトールは特別だろう」
「はい!」
ロルフが、がんがんとトールの懐に入っていくのがすごい。ロルフは肝心なところはぼかしつつわたしの働きぶりをいい感じに話して、トールは目を輝かせて聞いている。
「姉さま! ロルフ様はいい方ですね!」
「トール、壺や絵画を買いそうになったときは、一度姉さまに相談してね」
「わかりました!」
ロルフが給仕に頼んで持ってきてもらった料理を食べながら、3人でお喋りを楽しむ。エドガルドがいないロルフは、エドガルドを優先せず楽しい話題をいくつも用意してくれているから、話が弾む。
「うちの領地で栽培しているハーブは、王城でも使われているんだ。一年を通して少し肌寒いのがいいらしい。エドガルドのところでも同じハーブを育ててるんだが、それを売るとなると、あの家はそういうのに疎くてな。うちが一緒に販売してるんだ」
「きっと素敵なんでしょうね。一度行ってみたいです。王都から出たことがありませんから」
「ノルチェフ嬢なら大歓迎だ。もちろんトールも! 家でもてなしたいんだが、家での俺の扱いが少し微妙なんだよなぁ」
「それなら、秘密で行きましょう。こっそり旅行です」
「いいですね! ハーブを買って帰って、ハーブティーを作りましょう。僕が姉さまに作ってあげます!」
「ありがとう、トール。とっても嬉しい! 一緒に飲みましょうね」
「はい! ロルフ様も一緒ですよ!」
「はは、嬉しいよ。本当に」
ロルフは優しくトールの頭をなで、表情を和らげた。
「トール、悪いんだがノルチェフ嬢に会わせたい人がいるんだ。危険がないようきちんとエスコートするから、お姫様を連れ出す許可をもらえないか?」
「姉さまがいいって言ったらいいですよ」
「トール、姉さまはすぐに帰って来るから、さっきみたいな状態にならないでね。そろそろトールも、父さまと挨拶してもおかしくない歳でしょう?」
「……はい。母さまを探して、一緒に休憩室に行ってきます。姉さま、変な男がいたら股間を蹴り上げて逃げてくださいね!」
「もちろん。姉さまに任せておいて!」
トールと別れ、いつもより少しだけ早足のロルフに連れられ、人の隙間をすり抜けていく。少しぴりぴりしている様子のロルフは、一度会場を出て、違う入口からまた入り、あまり人のいないバルコニーへたどり着いた。
「まだ来ていないみたいだ。悪いが、バルコニーに出て少し待っていてくれないか?」
「はい」
ひとりバルコニーへ出ると、両開きのガラスのドアが閉められた。光を散らしたような真っ白で薄いカーテンが、しゃらしゃらと流れ落ちる。これは、バルコニーに人がいて、あまり近寄ってほしくない時の合図だ。逢引きの時によく使われる。
ロルフを呼ぼうとしたとき、低く艶のある声がした。
「……アリス・ノルチェフ嬢で間違いないだろうか」
カーテン越しのきらめきを受け、夜空の下で月のように輝く銀糸。王家の血のみに許された、ロイヤルブルーの礼服。深みのある青い瞳。
「王弟殿下……?」
ぽろりと口から出た名は、たぶん、間違いじゃなかった。